(『原発のウソ』小出裕章著から抜粋)
チェルノブイリ原発は、4つの原子炉があり、そのうち4号機が事故を起こしました。
4号機は、停止をしようと操作し、止まる寸前で核暴走が起きました。
そして建物が吹き飛び、大量の放射性物質が外に噴き出したのです。
事故後に駆けつけた所員と消防員たちは、重度の被曝を受けた31人はすぐに死亡しました。
彼らの遺体は、鉛の棺に入れられ、墓も隔離されています。
遺族は、墓に近づく事は出来ません。
事故処理のために、数年にわたって累計60万人が動員されました。
作業員たちは、鉛のスーツを着て活動しました。
少しでも多く放射能を防ぐためです。
放射性物質が風で飛んでいかないように、ヘリコプターや車両で「飛散防止剤」が撒かれました。
作業に使ったヘリや車両は、汚染されたので原発近くに打ち捨てられました。
原発のあったウクライナは、ソ連の40%の穀物を供給するほどの豊かな大地でした。
その大地が、汚染されました。
この事故で放出された放射能は、広島原爆の800発分です。
チェルノブイリ周辺の住民は、30km圏内の13.5万人がバスに乗せられて強制避難をさせられました。
ソ連政府は、「原発でちょっとトラブルが起きた。3日分の手荷物を持ってバスに乗りなさい」と命じ、住民たちはそれだけを持って自宅を離れたのです。
その後に、300km以上も離れた場所でもひどい汚染が発見され、さらに二十数万人が強制避難をさせられました。
チェルノブイリ事故の時は、日本にも沢山の放射性物質が飛んできました。
私の職場である京都大学・原子炉実験所でも、事故から1週間後に検出されました。
半月後には100分の1に減りましたが、その1週間後には10倍近くまで再増加しました。
これは、風に乗った放射性物質が、地球を1周して日本に戻ってきたのでした。
日本政府は、2011年4月に、「福島原発から出た放射能は、チェルノブイリの10分の1だ」と発表しました。
しかし、その後も新たな汚染が続き、どうなっていくかは誰にも分かりません。
福島では、事故を起こした原子炉が3基もあり、大量の使用済み核燃料もあります。
チェルノブイリ4号炉は停止寸前だったのに、福島では普通に稼動していたという違いもあります。
私たちは、「10分の1」という情報に安心してはいけません。
福島原発の事故では、北西40kmに位置する飯館村で、チェルノブイリ事故では強制移住させられた地域を上回る汚染が検出されました。
それなのに日本政府は、1ヵ月も住民を放置したままでした。
(『原発の真実』小出裕章著から抜粋)
格納容器は、放射能の拡散を防ぐ最後の砦です。
チェルノブイリ事故では、格納容器が壊れました。
そして、『日本の本州の6割にあたるエリアを、放射線の管理区域にしなければならない汚染』が生じたのです。