(『原発のウソ』小出裕章著から抜粋)
人類で最初に放射線を発見したのは、ドイツの学者レントゲンです。
彼は1895年に、陰極線管の実験中に、「正体不明の不思議な光」が発生しているのに気づき、『エックス線』と名付けました。
翌96年には、フランスの学者ベクレルが、ウラン鉱石から謎の放射線が出ている事を発見し、『放射能』と名付けました。
1898年にはキュリー夫妻が、ウラン鉱石の中からラジウムとポロニウムを分離して、それらが放射能を持つと突き止め、『放射性物質』と名付けました。
当時は、放射能の恐ろしさは知られていませんでした。
少しづつ、「被曝は有害である」と分かってきたのです。
被曝の恐ろしさを理解するには、「生命の仕組み」を知る必要があります。
人体は、もともとは1つの『万能細胞』からスタートします。
その1つの細胞が分裂していき、分裂をくり返して人間の形になります。
大人の身体には、60兆個もの細胞があります。
どの細胞も、「遺伝情報」は同じです。
私たちの生命は、細胞分裂をしながら、同じ遺伝情報を複製することで支えられています。
細胞には核という部分があり、その核の中にはDNAの二重らせん構造で遺伝情報があります。
細胞分裂の時には、DNAの鎖がスーッと分かれて、片方の鎖がもう片方を正確に複製し、新旧が対になって元と同じ配列で繋がるのです。
DNAの幅はわずか2ナノメートルで、繋げていくと1つの細胞につき長さは1.8mにもなります。
2ナノメートルの極細の糸を、正確に複製して繋げるのですから、まさに「神業・神秘」です。
放射能被曝は、この神業で組み立てられる遺伝情報(DNA)が、切断されて異常を起こします。
1999年9月30日に、東海村の核燃料の加工工場で、『臨界事故』が起きました。
工場内の容器内で、予期せずに核分裂反応が始まったのです。
放射線が大量に放出され、避難勧告が出されましたが、700人近くが被曝しました。
中でも現場で作業にあたっていた3人が大量に被曝し、そのうち大内久さんと篠原理人さんが短期間で亡くなります。
2人は放射線医学の総合研究所に担ぎこまれましたが、治療は出来ませんでした。
被曝量を調べた結果、「もう助けられない」と分かったからです。
2人の被曝量は、大内さんが18シーベルト、篠原さんが10シーベルトでした。
人間は、2シーベルトの被曝をすると死ぬ人が出始め、4シーベルトでは半分が死に、8シーベルトでは全員が死にます。
2人は、被曝によってDNAがズタズタにされて、身体の再生する能力を失い、苦しみながら亡くなりました。
当初の大内さんは外傷もなく、看護師とおしゃべりするほど元気だったといいます。
ところが、1ヵ月後には全身が焼けただれた様になってしまいました。
それは、皮膚の再生ができなくなったからです。
皮膚だけではなく、肉・骨・内臓も再生されず、ただれていきました。
大内さんは、毎日10リットルを超える輸血と輸液をしながら、天文学的な量の鎮痛剤を投与され、83日後に他界しました。
その治療の経過は、『NHK「東海村臨界事故」・朽ちていった命』として出版されました。
痛ましい内容ですが、価値のある本です。