日本の原発史③
1999年に東海村で臨界事故が起きる

(『原発のウソ』小出裕章著から抜粋)

1999年9月30日に、東海村の核燃料の加工工場で、『臨界事故』が起きた。

工場内の容器内で、予期せずに核分裂反応が始まった。

放射線が大量に放出され、避難勧告が出されたが、700人近くが被曝した。

中でも現場で作業にあたっていた3人が大量に被曝し、そのうち大内久と篠原理人が短期間で亡くなった。

2人は放射線医学の総合研究所に担ぎこまれたが、治療は出来なかった。
被曝量を調べた結果、「もう助けられない」と分かったからである。

2人の被曝量は、大内が18シーベルト、篠原が10シーベルトだった。

人間は、2シーベルトの被曝をすると死ぬ人が出始め、4シーベルトでは半分が死に、8シーベルトでは全員が死ぬ。

2人は、被曝によってDNAがズタズタにされて、身体の再生する能力を失い、苦しみながら亡くなった。

当初の大内は外傷もなく、看護師とおしゃべりするほど元気だったという。

ところが、1ヵ月後には全身が焼けただれた様になってしまった。
それは、皮膚の再生ができなくなったからだ。

皮膚だけではなく、肉・骨・内臓も再生されず、ただれていった。

大内は、毎日10リットルを超える輸血と輸液をしながら、天文学的な量の鎮痛剤を投与され、83日後に他界した。

その治療の経過は、『NHK「東海村臨界事故」・朽ちていった命』として出版された。

痛ましい内容だが、価値のある本だ。


『原発は要らない』 目次に戻る

サイトのトップページに行く