(以下は『原発のウソ』小出裕章著から抜粋)
原発はすでに、膨大な「核のゴミ(負の遺産)」を生み出している。
ウラン鉱山、ウラン製錬所、ウラン濃縮・加工所、原発、再処理工場など、たくさんの所で「核のゴミ」が出ている。
このゴミたちをどうするのかは、実のところさっぱり分かっていない。
誰も、きちんとした答えを持っていない。
核のゴミには、まず『低レベルの放射性の廃棄物』がある。
これは核施設における、使用済みのペーパータオルや、作業着などが当てはまる。
原発を1年間動かすと、これらがドラム缶で1000本も出る。
1980年の時点で、日本にはこのドラム缶が25万本あった。
どんどん増えていくので、電力会社は『ドラム缶に詰めていたゴミを、燃やして灰にする』道を選んだ。
そうやってどんどん燃やしたが、2005年には70万本ものドラム缶がたまってしまった。
「もうダメだ」という事で、六ヶ所村に押し付けることにし、20万本が六ヶ所村に送られた。
六ヶ所村では、地面に穴を掘り、そこにどんどん埋めた。
ドラム缶は地下に置くと、湿気で簡単に穴が開きます。
そこで「定期の点検」をする事になったが、何と300年も監視し続けるという。
「300年も経てば、放射能が減って何とかなるだろう」というのが、日本政府の説明である。
次に、『高レベルの放射性廃棄物』がある。
これは、使用済み核燃料を再処理した後の、残りかすだ。
政府は、「ガラス固体化」して地面に埋める事を考えている。
そして埋め捨てを行う場所を探している。
高レベル放射性の廃棄物は、安全なものになる(放射能が無くなる)には、100万年もかかる。
はるか未来の子孫に負債を押し付けることで、原発は成立している。
(以下は『毎日新聞 2012年12月5日』から抜粋)
日本国内には、1.7万トンの使用済み核燃料がある。
「全量の再処理」という国策の下で、これらはすべて「資源」とされてきた。
再処理をやめると言ったとたんに、資源から「ゴミ」になる。
使用済み核燃料の再処理というお題目は、ゴミ処分を先送りする仕組みでもあった。
「(使用済み核燃料の)暫定保管」は、取り出せる状態で保管することを指す。
これも先送りと言えるが、技術の発展を待つことができる。
(※長期間にわたる保管をきちんとやれるのか、という問題がある)