子供の頃の思い出⑦
親友だったH君① 焚き火(前半)

私の生涯では、たくさんの友達ができ、親友と呼べる人物にも何人も出会っています。

その中で、今生で最初の親友となった人物は、H君です。

今回は、彼との思い出について書いていきます。

H君に出会ったのは、小学2年生の時でした。

彼は別のクラスにいたのですが、ひょんな事から知り合いになりました。

その出会いは、こうです。

私は、生まれつきお腹が緩く、朝にきちんとウンチを出しても、すぐに再びウンチをしたくなる事がよくありました。

学生時代には、朝は必ず学校に行く前にトイレで出せるだけ出すのですが、登校してしばらくするとウンチをしたくなる事が頻繁にありました。

で、普通で考えれば休み時間にトイレで出せばいいのですが、私の居た小学校だと、ウンチをするとからかわれたり外から覗かれたりしてしまうのでした。

私はこれが嫌で、ウンチを我慢する習慣がついてしまったのです。

我慢をすると、大抵はなんとかなり、運が良いと出したい気がなくなります。

しかし、何回かに1回は、猛烈にお腹が痛くなります。

私は、季節や体調によって変動はありましたが、10~15日に1度は、猛烈な腹痛に堪えていました。

この『ウンチを我慢すること』については、私の学生時代には大きなエネルギーを注いだものの1つであり、かなりのエピソードがあります。

少しづつ、このエッセイで明らかにしていきましょう。

それにしても、今から考えると、実に不毛な闘いでしたね。

「H君の話だったんじゃないのか?」という疑問が出てきそうなので、本題に入っていきましょう。

私は、腹痛がひどい時は、休み時間のたびにトイレに行く事にしていました。

というのは、トイレに行ってみて誰も居なかったらこっそりウンチを出したかったのと、小便を出しきっておく方がウンチを我慢しやすいからです。

トイレに行くと、大抵は1人はいます。
たまに誰もいない時があるのですが、(今こそ大便をする時なのではないか?)と思いつつも勇気を出せずに、結局は我慢してしまいます。

そうして、小便をしてお茶を濁すことになっていました。

この事情があり、私は『トイレを多用する奴』となっていました。

友達の中には、「お前は、小便が近いなあ」と呆れている者もいたほどです。

そうした日々を送っていたところ、トイレでしょっちゅう会う男がいるのに気付いたのです。

それが、H君でした。

最初のうちは、(こいつ、よく見かけるな)と思う程度でした。

でも、だんだんと顔なじみになり、H君の方も私の顔を覚えたのです。

しばらくすると、隣り同士で小便を出しながら、「やあ」とか「また会ったね」と声をかけあうようになりました。

彼の第一印象は、「のんびりしていて、良い奴そうだな」でした。

彼には、ギスギスしたところや、ガツガツしたところや、暴力的なところが、全くありません。

平和主義を体現している人間でした。

私は、(彼もウンチを我慢しているのだろうか? それとも小便が近いのか?)と思いつつ、彼とのトイレでの交流を続けていきました。

そうしたところ、3年生に進級してクラス替えになったら、H君と同じクラスになったのです。

1学期の間は、席が遠かったので親しくなる機会もありませんでしたが、2学期になって席が近くなると、一気に仲良くなっていきました。

彼は、私と同じに超マイペースな人間で、それで気が合ったようです。

彼は周りに流されないタイプで、いつも落ち着いていました。

例を挙げると、『子供の頃の思い出⑤』に書いた、私とQさんが仲良くなり悪ガキ・グループにからかわれていた時期も、H君はそれにいっさい同調せず、「あんな奴らの言う事は、気にする事ないよ」と実に的確なアドヴァイスをしてくれました。

あの時は、彼の言葉に勇気づけられましたねえ。

さらに彼は、私には無いものも持っていて(それはこれから書いていきます)、私は深く尊敬するようになっていきました。

彼との思い出はたくさんあるのですが、まずは『焚き火』について書きましょう。

私は、彼に焚き火を教えてもらいました。

私とH君は、どんどん親しくなっていったので、放課後にも遊ぶようになりました。

そして、2学期も後半に差し掛かったある日曜日に、私はH君の家に行ったのです。

H君はインドア派で、いつもだと彼の家の中で過ごすのですが、この日は違っていて、彼は「外に行こう」と言いました。

(珍しいなあ)と思いつつ、彼に付いていくと、家から25m位にあるお寺に入っていくのでした。

そのお寺は、さびれている感じで、それなりの敷地があるのに人の気配が全くしません。

私はお墓参り以外には寺に入った事はなく、(なぜ寺に? 遊ぶ場所などあるのか?)と、H君の行動を不思議に思いました。

(私はずっと、ここはお寺だと記憶してきましたが、
 今この記事を書く上で改めて考えると、神社だったのでは
 ないかとも思えます。

 お寺として記述していきますが、人の居なさ具合から見て、
 神社の可能性もあります。

 当時の私は、寺と神社の違いを理解していませんでした。
 そんな事はどうでもよかったのです。)

H君は、お寺の入り口近くにある、とある場所に私をいざなうのでした。

そこには、焚き火があり、煙が細く昇ってました。

その焚き火は、ドラム缶を使うような本格的なものではなく、地面の上に枝と落ち葉を集めて火を付けた、最もシンプルなスタイルでした。

大きさも小ぶりで、火の勢いも無く、付いているか消えているか微妙な状態でした。

H君は、「ここでは、いつも焚き火をしているんだ。僕は、たまに遊びに来ているんだよ。」と説明しました。

そして、焚き火の傍らにしゃがみ込み、息を吹きかけたり、薪をくべたりし始めました。

彼はかなり経験があるらしく、手馴れた動作で火力を拡大させていきます。

私は、(H君は凄いなあ)と感心しました。

どうもそのお寺では、落ち葉が出る時期になると、焚き火をする習慣があったようです。

私が子供の頃は、今みたいに焚き火についてうるさくなく、秋には庭のある家では普通に行われていました。

私は、焚き火をすでに見たことはあったのですが、自分が行うのはまだ経験していませんでした。

私が高校生の頃(1990年代半ば)に、「焚き火は危ない」とか「ダイオキシンが出る」といって焚き火をするのが禁じられ、許可を得なければ行えなくなりました。

この法律が出来たときには、「バカな事をするものだ」と呆れましたが、今から考えても愚かな行政決定だと思います。

焚き火は、古来から行われてきた伝統だし、燃えカスを土に混ぜることで土を豊かにできる賢い行為です。

危ないのも理解できますが、プラス要素とマイナス要素を勘案すれば、明らかにプラスが勝ちますよ。

私は、焚き火を日常的に行うような状態に、戻したほうがいいと考えています。

話を戻しますが、私は最初は火をやや恐れていましたが、すぐにH君の真似をして、一緒に薪をくべ始めました。

薪は、焚き火のすぐ近くに、ドサドサッと大量に置いてありました。

お寺にある木々から落ちた枝なのでしょうが、小枝~直径15cmほどの太い枝まで、多様な枝がそこには集められていました。

H君の動作をしばらく見ていた私は、徐々に火に慣れていきました。

30分もする頃には、顔を火に近づけてじっくりと火を観察したり、火に息を吹きかけて火に勢いをもたらしたりと、焚き火を堪能する状態となりました。

焚き火というのは、やった事がある人だと分かると思いますが、火の勢いを持続させるにはノウハウがあります。

「落ち葉をあまり投入しすぎると、酸素が中に入らなくなって火の勢いが弱まる」「薪を入れすぎると火が強くなりすぎる」といった現象があり、一定のタイミングで適度に薪を投入し続ける事がポイントになります。

私とH君は、時に火を弱体化させてしまい焦ったりしながら、焚き火を続けていきました。

そして私は、焚き火のノウハウを体得していきました。

私は、あまりに寺が静かなので、(この寺には人が居ないらしいな)と思っていたのですが、1時間ほど焚き火をしていたところ、突如として60歳くらいの僧衣(寺で小僧が箒かけをしたりする時に着る衣装)を着た人物が現れました。

私はびっくりし、(怒られるんじゃないか)と焦ったのですが、どうもH君とその住職は知り合いらしく、住職は「火を見ていてくれてるのかい? すまないねえ」と感心したように言うと、すぐに去っていきました。

私は、焚き火をしている事を住職がむしろ評価してくれたので、すっかり嬉しくなり、「頑張ってここにある枝を燃やそう」と、情熱的にH君に言いました。

任された以上、任務をしっかりと遂行しようと思ったのです。

そうして、夕方になり暗くなってくるまで、一生懸命に落ち葉と枝を燃やしました。

焚き火は、『とにかく酸素(新鮮な空気)を投入できるかが命』で、3時間くらいするとそれが分かってきました。

私は、枝を使って薪を動かし空気が入るスペースを作ったり、赤く焼けている炭に息を吹きかけて炎を上げたりと、全力で頑張りました。

火の近くに顔を持っていくと、煙のために目が痛くなります。
そのうちに、鼻水も出てきます。

私とH君とは、焚き火の反対側に向かいあって陣取り、涙と鼻水をダラダラと流しながら、交互に息を吹きかけて火のめんどうを見ました。

目はとても痛かったですが、それよりもはるかに楽しさが勝ちました。

2人共に、休憩を全くはさまずに、一心不乱に焚き火を続けました。

最後の頃には、私もH君も、煙を浴びすぎて顔がやや黒ずんでいたほどです。

結局、夕方まで焚き火をし続けましたが、まだまだ枯れ枝は残っていました。

私は完全に焚き火にはまってしまい、枝も残っていて心残りだし、「また焚き火をしたいなあ」と言いました。

すると、H君は「またやろうよ。」と応じました。

そうして、来週の日曜日にまたここに来て、焚き火をする事になりました。

私は楽しみにこの日を待ったのですが、これまた楽しい思い出となるのでした。

それは、後半で書いていきます。

(後半はこちらです)

(2014年3月7&11日に作成)


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