子供の頃の思い出⑦
焚き火・番外編③

焚き火・番外編の最終回です。

前回は、焚き火から燃え拡がってしまったのを、無事に鎮火しきった所まででしたね。

激闘の末に、暴走する火を退治した私たち。

激しい疲労と虚脱感に襲われながらも、私たちは満足感で一杯でした。

吹き出た汗をぬぐいながら、「危なかったぜ…」「何とか消したな」「やったな」などと、お互いの健闘を称え合いました。

そうして、一息つこうと、その場に静かに佇みました。

このままハッピーエンドになりそうだったのですが、火を消してから30秒後くらいでしたか、突如として『エプロン姿の30歳くらいのおばさん』が現れたのです。

彼女は登場するなり、「何やってるの!!! あんた達!!!」と、もの凄い大声でどなりつけてきました。

全く予告なく現れ、のっけから大声で威圧してきたので、非常にびっくりしましたね。

私たちは疲労により著しく集中力を欠いていて、抜け殻のような状態だったので、彼女が近づいて来るのに全然気づきませんでした。

現れた彼女を見ると、激しく動揺しており、完全に我を失っている状態でした。

ろれつが上手く回らない感じで、動揺と怒りのあまり言葉が出ない様子でした。

私は彼女の剣幕に驚き、(何なんだ、このおばさんは? 危ない人なのか?)と思いました。

私は今世において、登場した時点で完全にキレている人を、初めて見ました。

彼女の言葉は要領を得ないもの(動揺と怒りのためきちんとしゃべれない状態で、言葉が単語ばかりだった)でしたが、耳を傾けたところ以下の内容でした。

「私は、すぐそこの家に住んでいる。

 家で夕食を作っていたところ、窓から外で煙が上がっている
 のが見えた。

 火事かと思い、急いで見に来た。」

説明により、彼女の家は公園の隣だと分かりました。

指で差し示すその家を見たところ、ごく普通の1軒屋で、公園とはブロック塀をへだてただけの位置にありました。

事情が分かったので、私は彼女を安心させてあげようと思い、急いでこう言いました。

「焚き火をしていたが、ほんの少しだけ火が大きくなって
 しまった。

 だが、もうちゃんと消し止めた。

 大丈夫だ、何の問題もない。安心して家に戻ってくれ。」

私は、誠意あふれる態度できちんと説明したし、彼女は納得して家に戻るだろうと予想しました。

ところが、このおばさんは全く納得せず、「あんた達は、とんでもない事をしてくれた」とさらに怒り出したのです。

私は、びっくりしましたよ。

おばさんは、火が消えていると知って少し動揺が収まったらしく、まともな口調になりましたが、それと同時に次々と言葉を放ち始めました。

「こんな場所で焚き火をしていいと思っているのか」とか、「私の家に火が移ったら、どう責任を取ってくれるのか」と、言い出しました。

彼女の言い分ももっともなので、私たちは大人しく聞く事にしました。

反論したい瞬間もありましたが、彼女はそんな隙をいっさい与えずに、怒りにまかせてどんどんと話し続けました。

(反論については、例えば火が家に移るという件では、高いブロック塀が間にあったし、公園側はブロック塀の近くは草が刈ってあり、火が拡がっても民家には届かないようになっていました。私はそれを確認した上で、焚き火をしたのです。)

反論をいっさい封じる、彼女の独善的な態度には閉口しました。

それだけは終わらずに、彼女の話は徐々に本題からずれていきました。

彼女は一方的に話し続けましたが、少しすると(話し始めて3分くらいからでした)「あんた達みたいなのは、ろくな大人にならない」とか、「どんな教育を受けているんだ、親の顔が見たい」などと、内容が単なる悪口になっていきました。

私は、最初のうちは神妙に聞いていたのですが、感情的な悪口ばかりになってきたので、だんだんと厭きてきました。

そうして、(こんなに一方的に話し続けるなんて、少し頭がおかしいんじゃないか? ちっ、面倒な奴に捕まってしまったな。早く去ってくれるとありがたいのだが…)と、心の中で考え始めました。

そもそも私は、焚き火をコントロールできずにボヤを起こしてしまった事よりも、その後の果断な消火活動と見事な鎮火のほうに気持ちが行っていました。

私は心の中で、

(このおばさんは、全く分かっていない。

 いいか、俺達は英雄的な活動で鎮火に成功したんだぞ。

 それは褒められる事であり、断じて非難されるような事
 ではない!)

 と思っていました。

こんな私なので、おばさんの話が続いていくと、聞くのが面倒になってきました。

話が5分も続くと、完全に厭きてしまい、下を向いたり横を向いたりして、集中力を欠いた状態になりました。

リーダー格の私がこのような態度を示したので、他の3人も同様の態度を見せ始めました。

話が7分にさしかかる頃には、私たち4人はふてくされた顔つきでそっぽを向く状態となりました。

彼女はそうした状況に気付かず、とにかくまくし立てていましたが、さらに1分くらいべらべらとしゃべり続けた末に、ようやく私たちの態度に気付きました。

彼女は、私たちが真剣に話を聞いておらず、かったるそうにしているのを知ると、心底から驚いた顔つきをして、
「あんた達、反省してないでしょ?!!」と大声で叫びました。

私は、彼女の指摘が完全に図星だったので、思わず(ドキッ!!)とし、(このばばあ…、少しはやるじゃないか)と、ほんの少しだけ彼女を見直しました。

私たちが反省していないのを見た彼女は、すでに完全にキレていたにも関わらず、さらに怒りのボルテージを上げました。

怒りのあまり身を震わせて、髪の毛が少し逆立つほどでした。

マンガでは、怒りで頭から湯気が出る絵が出てきますが、それに近い雰囲気がありましたね。

私はビクビクしながら、(このおばさん、本当にやっかいだな…。まいったなこりゃ)と思いました。

おばさんは、「あんた達は、私を本気で怒らせた。あんた達みたいなのは、厳しい罰を与える必要がある」と、断固とした口調で宣言しました。

(一体、どんな事をやろうというのだ?)と警戒しながら待つと、彼女はこう言いました。

「通っている学校と名前を教えなさい。学校に報告します。」

これを聞いた瞬間に、(結局、自分じゃ解決できないので社会権力に頼るのかよ。なんてせこい奴なんだ。)と思い、彼女を激しく軽蔑しました。

しかし、学校に報告されると先生に知られてしまい、やっかいな事になるのも事実です。

私は学校外での不祥事で先生から呼び出しをくらった事はありませんでしたが、友達の何人かがこの状況になり、えらく怒られているのを目にしていました。

子供時代を振り返ってみると、『学校に報告する』という行動は、子供の問題にきちんと対処できないダメな大人ほどする傾向がありましたね。

子供の側からすると、「卑怯な大人がとるやっかいな態度」という認識でした。

これをされると、担任の先生からこっぴどく怒られて、その子供はしばらくは(1ヵ月くらいは)大人しくなります。

でも結局は、元に戻っていました。

短期的な効果しかない対処法でしたよ。

子供からすると「権力に頼る卑怯な行為」に見えるので、反発心を生み、ちゃんと反省しないのです。

私は、おばさんの卑怯な対応ぶりに軽蔑と憤りを覚えましたが、学校に報告されると困るので、5秒ほど考えた結果、懐柔策をとる事にしました。

本来はこのような策は使わない主義なのですが、相手が相手です。

私は態度を豹変させて、「本当にすみませんでした、深く反省しています」と言い、深々と頭を下げました。

リーダーの私が頭を下げたのを見て、他のメンバーも「すみませんでした」と続けて丁寧に謝りました。

私のそれまでの経験では、こじれた状況になっても子供がきちんと謝れば、ほとんどの大人は「分かればいいんだ」と言って表情を和らげ、態度を軟化させました。

だから、きっと今回もそうなるだろうと思ったのです。

ところが!

このおばさんは態度を全く変えず、えらそうな表情をして、「謝って、それで済むと思うな」と言うのでした。

この言葉には、さすがの私も怒りではらわたが煮えくり返りそうになり、(このばばあ…、どこまで嫌な奴なんだ!)と思いましたねえ。

(こっちがこんなに下手に出てあげているのに、まだ反省して態度を改めないか!)と、私は激しくイライラしましたが、それを態度に出すとさらにやっかいな事になりそうだったので、ぐっと堪えて我慢しました。

彼女は全く態度を軟化させず、「あなた達は、この学区域の子なの?」と訊いてきます。

仕方なく、「そうだ」と答えました。

これにより、通っている小学校は即座にばれてしまいました。

彼女はこれに続けて、「あなた達の名前を言いなさい」と強制してきました。

そして、「右端の子から、順番に名前を言いなさい」と言いました。

私は、この場面になって、頭に浮かぶ事がありました。

それは、『偽名を使う』という技です。

私たちのような外で元気良く遊ぶ子供には、先輩から後輩へと受け継がれるノウハウがいくつもありました。

そうしたノウハウの1つには、「変な大人や悪い大人にからまれて、名前を聞かれる状況になったら、偽名を使ってしのげ」があったのです。

私は、(今こそ、このノウハウを使う局面だ)と感じました。

私たちの中で右端に居たのは、A君です。

A君がどう対応するかを私は注視していましたが、A君はごく当然のように偽名を使ってきました。

A君は、大人しくて泣き虫で、やや我儘なところのある奴です。

彼は「責任を回避する能力」に非常に長けており、問題を起こした時に言い逃れをして誤魔化そうとするので、周りがイライラする事も多かったです。

しかしこの場面では、彼の「責任回避の能力」がプラスに働きました。

私は彼の態度にいたく感心し、(よし、俺も後に続こう)と決めました。

A君の隣に私は居たので、次に名前を言う番になりました。

私はドキドキしながら、「近藤○○です」と、よくありそうな名前を言いました。

近藤を選択したのは、かなり多い名前だし、佐藤とかの超メジャーな苗字よりも何となく本物臭く聞こえる気がしたからです。

「偽名じゃないでしょうね?」と怪しまれるかと思いましたが、大丈夫でした。

私に続いて、弟もきちんと偽名で答えました。

あと少しで、作戦は成功するはずでした。

それなのに、何を血迷ったのか最後のY君は、本名を言ってしまったのです。

私たちがお手本を示したにも関わらず、Y君は動揺しまくっていたらしく、偽名を使う事が出来ませんでした。

私はY君が本名を言ってしまうのを聞いて、(あちゃー、言っちゃったよー)と思いましたが、表情に出すとやばいので、平静を装いました。

おばさんは、名前を聞くと満足したようで、「本当にどうしようもないクソガキ達だ」みたいな捨て台詞を吐くと、家に戻っていきました。

(やっと去ってくれたか)と、非常に安心しましたね。

彼女が去ると、私たちは顔を見合わせて、「とんでもないババアだな」「何なんだ、あいつは」「あいつ、おかしいよ」「ひどい目に遭ったなあ」と言い合いました。

すっかりテンションの落ちた我々は、17時を過ぎて暗くなってきていたのもあり、家に帰る事にしました。

帰る段になって、Y君は「本名を言っちゃったよー、学校で怒られるよー」と泣きそうな顔で言い出しました。

私は、「大丈夫だよ、心配するな」と元気づけました。

これは根拠の無い事ではありません。

私の経験では、大人は怒っても、少し時間を置くと冷静になる場合が多かったです。

怒りを維持し続けるねちっこい大人は、そうは居ません。

常識のある大人は、口では色々と言っても、最終的には「子供だから大目に見よう」と考えて、極端な行動には走りません。

大抵の大人は冷静さを取り戻せるものですが、今回のおばさんは普通ではありません。

だから、おばさんが学校に報告するかどうかは、「5分5分だ」と見ていました。

(学校に報告される可能性は50%だ。希望はある。)、私はこう考えていたのです。

さて。

翌日になり、いつも通りに学校へ行きました。

いつ先生から呼び出されるかとビクビクしていましたが、何事もなく放課後になりました。

(助かったのか?)と、やや安心しました。

ところが。

私たち学童クラブのメンバーはいつも、学校から10分の距離にある児童館に置かれた学童クラブの部屋に移動するため、放課後には校門のところに集合していました。

そして、皆でワイワイしながら、学童クラブまで移動してました。

いつも通りに校門に行ったところ、Y君がこう報告してきました。

「先生から呼び出しをくらって、信じられないくらい猛烈に
 怒られた。

 2度と焚き火をするなと、厳しくクギを刺されてしまった。

 他のメンバーの名前を聞かれたので、みんなの名前を言って
 しまった。」

聞いた瞬間に、「バカ! 何で名前を言っちゃうんだよ。仲間を守るために黙秘権を使えよ。」というセリフが喉元まで出かかりました。

しかし、Y君を見るとかつてないほど気落ちしており、ほぼ涙目であと少しで泣いてしまう状態です。

私は、(これは、よほど怒られたらしいな…)と感じ、深く同情しました。

そして「あまり気にするなよ」と言って、優しくY君の背中を叩きました。

学童クラブに移動すると、私は1人になって、じっくりと「これからどうなるか」を考えました。

焚き火の件が学校に報告され、参加していたと判ってしまった以上、私も呼び出される可能性が大だからです。

私の担任の先生は、35歳ほどの女性で、彼女は優しい先生として有名でした。

優しく寛大なために生徒から慕われており、私も敬意を持って接してきました。

彼女の性格からすると、Y君のようにこっぴどくやられる事は避けられそうですが、今回ばかりはどうなるか分かりません。

なにしろ、アイディアを出して焚き火を主導したのは私ですから。

(もしかすると、さすがに今回は激しく怒られるかもしれない…。覚悟した方がいいかも…)と、結論を下しました。

で、ビクつきながら翌日に登校しました。

そうして、1日中おどおどしながら過ごしました。

ところが、何事もなく放課後になりました。
そのまま下校となり、学童クラブへと移動しました。

(もしかしたら、怒られないんじゃないか。

 そもそも、ちゃんと鎮火したんだから、それほど悪い事は
 していないじゃないか。

 あのおばさんに、問題があるんだよ。
 学校はそれを分かったらしいな。)

 と、私は納得しようとしました。

出来る限り楽観的な解釈をしようとしたのです。

そうする事で、プレッシャーから解放されるのを目指しました。

その翌日になると、かなり楽観論が頭を支配するようになって、あまり心配をせずに学校に登校しました。

しかし!

朝の授業前の時間に、「あなた、放課後に残りなさい」と、先生から言われてしまいました。

(ついに来てしまったか…)と、心底から落ち込みました。

その日は放課後まで、授業にまったく集中できず、友達ともほぼ話さずに過ごしました。

そうして、放課後になりました。

言われた通りに教室に残り、皆が下校するのを待ちました。

先生と2人きりになると、先生は教壇のイスに座り、私は傍らに立ちました。

どうなるのかと思いましたが、先生は冷静な口調で、「どういう事なのか、きちんと最初から話しなさい」と言ってきました。

私は、最初から話すとH君の名前を出す事になるので、少し迷ったのですが、(ここまで来たら正直に全てを話そう)と思い、H君に誘われて焚き火をした所から余すところなく説明しました。

10分ほどかけて、全てを話しました。

私は、話の途中で先生が「あなたねえ、それはだめじゃない」などと怒ったり非難したりするのではないかと思ったのですが、彼女は冷静さを保ち続けて、最後まで口を挟みませんでした。

私の話が終わると、先生はとても納得した表情を見せて、「はあ~」と1つ大きなため息をつきました。

そうして、こう言ったのです。

「あなたねえ。焚き火が面白いのは理解できるけど、ちゃんと
 した場所で大人と一緒にしなければ駄目じゃない。

 焚き火は危険があるんだから、しっかりと考えないと。」

私はこれを聞いた瞬間に、(んん? これは焚き火の禁止令ではない。条件さえ整えば焚き火をしてもいい、と言っているに等しいぞ。これならば、それほど怒られずに済みそうだ。)と直感しました。

(やっぱり、この先生は優しいなあー。この人が担任で良かったー(^-^))と、嬉しさで一杯になりましたね。

思わず笑顔をしそうになりましたが、それを顔に出すと反省していないと思われる可能性が高いので、深く反省しているような顔つきをし続けました。

私は長い説教があるのを覚悟していたのですが、先生は『きちんと話した事』と『言い訳をしなかった事』を高く評価してくれて、「正直なのは大変よろしい、言い訳をしないのも大変よろしい」と言い、ほとんど説教をせず、数分間の話で締めてくれました。

彼女の態度にいたく感心し、(この人は、名教師だ)と思いましたよ。

私の態度を褒めた後、先生は困った表情をしながら「正直に話さない子もいる」と愚痴のように言いました。

(たぶんガキ大将グループのことなのだろうな。あいつらの中には、かなり性格のすれた奴もいるから。)と思いました。

この日から数ヵ月後に、クラス内で盗みを働く事件が起き、犯人探しをした事がありました。

その時先生は皆の前で、「盗んだ人は素直に先生に言いなさい」と告げました。
しかし犯人は自白せず、事件の解決まで半月くらいかかりました。

この事件の時には、「なるほど。先生の言っていたのは、こういう事か。正直に話せば、そんなに怒られないのに。」と思いましたね。

話を戻しますが、私は先生の立派な行いに感服し、「先生に迷惑をかけないように気を付けなければ。とりあえず、1年間は焚き火をしないようにしよう。」と決心しました。

そうして、1年間の冷却期間を置いたところ、焚き火への情熱はきれいに消えうせてしまいました。

例のお寺の前を通り過ぎる時にだけ、少しだけ焚き火をしたくなりましたが、一瞬の事です。

いま振り返って強く思うのは、子供を叱る時には、『出来るだけ簡潔に時間を短くして話すこと』と、『感情的にならずに冷静に説教すること』が大切ですね。

私の経験では、説教は3分~5分くらいがベストの長さです。

それ以上だと、同じ話の繰り返しになりがちだし、子供の集中力が続かないです。

長くなればなるほど、子供の側では何を言われたのかが曖昧になり、印象に残りません。

感情的に話すのも、厳禁です。

説教する側が感情をむき出しにすると、子供は(こいつ、大人気ないぞ)とか(早く冷静になってくれないかな)という事に意識が行ってしまい、自分のした行いを反省する事を忘れてしまいます。

今回の事件では、焚き火の現場に来たおばさんは「説教の最悪の見本」、先生は「最高の見本」でした。

2人のあまりの対応の違いに、(大人というものは、ピンからキリまでいるなあ)と実感しましたね。

その後、私がH君の事を先生に話したので、H君も先生に呼び出されました。

H君は先生から、「あなたは隠れて焚き火をしてないでしょうね?」と訊かれたそうです。

私は申し訳ない気持ちで一杯になり、(H君から怒られたり嫌われたりするんじゃないか)と心配になりました。

ところがH君は、まったく怒った様子がなく、「お互いに、しばらくは焚き火をしない方がいいね」と穏やかに言うだけでした。

私はH君の大人な態度に驚き、それまでも一目置いていましたが、深く尊敬するようになりました。

そして彼を特別な友(親友)として認識するようになり、転校するまで最も信頼する友人として接していくのでした。

(2014年10月12日~18日に作成)


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