親友だったH君との思い出シリーズ、第2弾です。
第1弾で書いたように、私とH君は小学3年生の2学期に急速に仲良くなりました。
学校にいる間は、しょっちゅう一緒に居て、色々と話し込みました。
ただし、学校外(放課後や休日)では、最初のうちは遊びませんでした。
というのも、私は当時は完全なアウトドア派だったのに対し、H君は生粋のインドア派だったからです。
H君は、スポーツや運動が苦手で、ややそれにコンプレックスを持っているようでした。
私は、当時はサッカーや昆虫採りに夢中で、家の中で遊ぶのは友達の家でファミコンをする時だけでした。
(自分の家にファミコンは無かったので、プレイしたい時には友達の家に押しかけていました)
そうして、H君と話していく中で彼がファミコンに興味が無い事が分かり、彼の家にはファミコンが無い事も判明したので、(H君とは学校で遊べばいいや)と考えたのです。
しかし、彼との仲が深まっていくと、(H君は普段どのように過ごしているのだろう、彼の家はどうなっているのだろう)と気になってきました。
そこで私は、2学期の中頃のある日に、「H君、家に遊びに行っていいかな?」と聞いてみました。
すると、「ぜひ遊びに来てよ」との返事でした。
ちなみにH君は、自分から「遊ぼうよ」とか「今日、空いてる?」とは言わない人でした。
1人で過ごすのに慣れているのか、恥ずかしがっているのか分かりませんが、彼から誘われたのは2~3回しかなかったですね。
あまりに誘われないので、(友情を感じてくれていないのだろうか…)と心配した時期もありましたが、彼を観察していて他の子も誘っていないと気付き、「そういう人なのだ」と理解できました。
私はさっそく、次の土曜日にH君の家に行く事にしました。
初めてだったので少し迷いましたが、説明を受けた通りの家を探し、無事に到着しました。
その家は、ごく普通の一軒家でした。
やや緊張状態でH君の部屋に通されましたが、そこで私は非常に驚かされました。
というのも、『とてつもなく部屋がきれい』だったからです。
私が知る友達たちは、みな男の子だからか部屋が汚く、へたをすると壁に穴が開いていたり、壁に落書きがされていました。
床にも、おもちゃ・TVゲーム機・マンガ・服など、色々なものが散乱している事がほとんどです。
それなのに、H君の部屋はピカピカの状態で、全てがきちんと整頓されています。
勉強机の上も気持ち悪いくらいに整えられており、本やおもちゃは全て棚に収納されていました。
これほどキレイな部屋は、学校で屈指の優等生だったM君の部屋以来でした。
私は、(H君の部屋は、整理整頓がされていないだろう)と予想していました。
なぜなら、H君は学校ではのんびりしていて、どこかだらしない感じがあり、鼻水を袖でぬぐうのと爪を噛むのを癖にしていたからです。
冬場になると、H君の上着の袖は、乾いた鼻水がこびりついて固まり、ピカピカになっていたものです。
また、H君がしょっちゅう爪を噛むので、親の指示によって彼の爪はいつも深爪の状態がキープされていました。
私は整理整頓の苦手なタイプで、基本的に同じタイプと気が合っていました。
その経験則から、(私と気が合うのだから、H君も同類に違いない)と見ていたのです。
こうした予想は、完全に外れました。
私は、自分の想定と180度違う室内環境に大きなショックを受けました。
軽い目まいを覚えたくらいです。
30分くらいは動揺を収められず、借りてきた猫の様にビクビクしてました。
ようやく平静さを取り戻した頃に、H君の母がお菓子と飲み物を持って現れました。
彼女の態度や、お盆に載せられてピカピカの皿に入ったお菓子を見て、(H君の部屋がキレイなのは、母親の教育のせいだな)と確信しました。
彼女は部屋に居るあいだ、H君にあれこれと指図をしました。
「友達が来ているのだから、親切に対応しなさい」とか、「部屋をちらかしちゃ駄目よ」といった事をです。
H君は困った表情をしながら、うんうんと頷いていました。
私はH君に同情しつつ、(俺は、この母親はダメだ。こんな母親だったら、精神がもたないなあ。)と感じましたよ。
彼女の態度には辟易しましたが、出されたお菓子はとても美味く、そこには感心しましたね。
一般の家庭で出てくる駄菓子とは、完全に一線を画するもので、子供だったのでよく分かりませんでしたが、ブランドものだったのでしょう。
結果論になりますが、私はH君とは本当に仲が良かったのですが、H君の家には5回くらいしか遊びに行きませんでした。
その理由は、あまりにもキレイすぎて、居心地が悪かったからです。
私は友達の家に行くと、寝っ転がってマンガを読み倒したり、頬杖をつきながらファミコンをしたりしてましたが、そうした行為を許す雰囲気がH家には無かったのです。
さて、本題に入りましょう。
お菓子を食べて一段落し、ようやく部屋にも慣れてきた私は、じっくりと部屋全体を眺めてみました。
そうしたところ、棚に飾られている完成したプラモデル達と、本棚にある一風変わったマンガ達が目に留まりました。
特にプラモデルは、いくつも並べられていて、その全てが高いクオリティなので、圧巻のコレクションと成っています。
私はそれまでは、(プラモをきちんと制作できるのは、大人だけだ)と思っていたので、衝撃を受けました。
H君に「プラモデルを手に取って見てもいいか」と尋ねると、「いいよ」と言われたので、さっそく1つを手に持ちました。
それは、流行り始めているガンダムのプラモでした。
詳しく細部を見ていくと、作りの良さを実感し、H君の力量に深く感動しました。
私が驚愕したのは、単に完成しているだけではなく、きちんと正確に彩色されており、手を抜いた箇所がなくて、完成度が抜群に高かったからです。
プラモデルは、たいていの男の子は一度は作るもので、私もすでにパーツの少ない簡単なものを作った事がありました。
でも、作っている途中で飽きてしまい、きちんと完成させられませんでした。
彩色をするなんて、夢のまた夢です。
なにしろ、セメダインを細かい部分に塗るのが子供の手にはつらく、当時のセメダインは乾くのに1~2時間くらいかかるので、制作時間もはんぱじゃありません。
(これは、大人が取り組むものなんだな)と、作っていて痛感しましたよ。
周りの友達たちも、同様の状況でした。
「図面通りに作るのは、無理。」、これが定説だったのです。
こうした概念を持っていた私にとって、H君の作品がどれほどの衝撃だったか。
(これは奇跡である!)と、思ったくらいです。
私は興奮しつつ、「凄いじゃない! よく作れたねえ。」とH君を褒めました。
H君は嬉しそうにして、「そんなに難しいものじゃないよ、頑張れば誰でも出来ると思うよ」と言いました。
「僕にも作れるだろうか」と聞くと、「大丈夫だよ、教えてあげるから」との返事です。
私はすっかり嬉しくなり、「それじゃあ、作るよ!」と答えるのでした。
そうして、『とりあえずプラモ屋に行って、どんなプラモを作るか検討しよう』という話になりました。
さっそく外に出て、すぐ近く(150m)の距離にあるおもちゃ屋さんに向かいました。
そのおもちゃ屋は、タミヤと提携している個人営業の店で、店内は10畳ほどです。
典型的な個人営業のおもちゃ屋で、店内のコントロール(整理)ができておらず、所狭しとプラモなどの箱がありました。
店内を詳しく説明すると、中央部には、プラモなどの箱が積み重ねられた、1.2mほどの高さの山があります。
その山は、縦2m×横1m×高さ1.2mでした。
そして、店内の四方の壁には、地面から天井までびっしりとプラモの箱が重ねられています。
子供では高いエリアは手が届かず、何の箱か目で確認するのも困難な状態でした。
山と四方の壁の間は、60cmほどの幅の通路になっており、その通路は山を囲むようにして円状で繋がっています。
通路の西側の端にはカウンターがあって、その奥に店長が座っていました。
通路は子供にも狭くて、油断すると山や壁に触ってしまい、おもちゃの箱が崩れ落ちてきます。
店内をイメージできましたか?
子供たちにとっては、宝の山とも危険地帯とも迷宮とも言えるようなスペースでした。
このおもちゃ屋は、私達の学区域では唯一のおもちゃ屋で、皆が1度は足を運んでいる店でした。
私も小学1年生の時に、誕生日プレゼントでボードゲームが欲しくなったので、ここに物色に来た事がありました。
その時には、中央の山で気に入るものを探したのですが、山を掘り崩さなければならず、掘っても関係ないおもちゃばかり出てくるので困りました。
小学1年生の私にとっては、大量すぎるおもちゃは、ワクワクするよりも恐ろしい存在でした。
『何が出てくるか分からない場所』に感じられたため、一人で来ていた事もあり怖くなって、すぐに退散しました。
誕生日の当日には、1人だと不安なので母に同行してもらい、時間を掛けて選ぶだけの勇気がないので、山の表面にあってすぐに手に取れる奴を購入しました。
以上の体験があったので、H君に付いておもちゃ屋に入りつつも、(ここは、あまり得意じゃないんだよなあ…)と思っていました。
私は、子供なら全員がこの店を苦手にしていると考えていたのですが、H君を見て考えを改めました。
彼は、水を得た魚のように店内を我がもの顔で移動し、店長とも知り合いの様で自然に話すし、『行きつけの店に来ている感』がモロに出ていました。
さらに驚いたのは、ジャンル分けなど全くされずにグチャグチャと置かれているプラモ達を、H君が隅から隅まで把握している事でした。
H君は、「僕は今、戦車のプラモデルが欲しいんだ」と言い、「戦車はパーツが多くて細かいから、作るのが大変なんだけど、挑戦したいんだ」と言いました。
そして、戦車のプラモをあちこちから引っ張り出しては箱を開けて、組み立てられるのを待つパーツ達をうっとりと眺めるのでした。
取り出したものの1つについては、「これが欲しいんだけど、お金が足りないんだ。お小遣いを貯めていて、あと2ヵ月で買えるようになる。売れないといいんだけど。」と説明しました。
ジャングルのように商品が乱雑に積み重なった店内において、全く物怖じをせず、的確に目的の戦車のプラモを引っ張り出してくるH君は、私には信じられませんでした。
(こんな人も世の中には居るのか!)と思いましたよ。
H君の態度に勇気づけられて、私もじっくりと店内でプラモを物色する事にしました。
そうしたところ、かつて訪れた時には気付かなかった事を知りました。
とにかく目についたのは、いいかげんな商品構成です。
商品の入れ替えなど考えた事すらないようで、10~20年前のおもちゃも平然と置いてありました。
私が保育園の時に流行っていた戦隊もののおもちゃがあったのには、本当に驚きました。
「誰が買うんだよ! あり得ねー!」と、心の中で絶叫しましたよ。
毎年ヒーローが新しく更新されていくのに、4年も前のヒーローのおもちゃがあるなんて。
一番ひどい商品になると、箱がボロボロに壊れており、中の商品が見えていたり飛び出ているものまでありました。
何年に製造されたものか確認しようとしたところ、消えかかって読めなかったり、書いてなかったり、マジックで塗りつぶされていたり、でした。
流行から遠く置き去りにされている昔のキャラクターものや、もう商品として成立しないほどのボロボロのものがあるのを見て、「ちゃんと商品の整理をしろよ。古い奴なんて誰も買わないんだから。やる気の無い店だなあ。」と思ったものです。
しかし、それから10年ほどして、テレビで『何でも鑑定団』が始まると、古いおもちゃが高値で取引されているのを知りました。
その時に私は、「もしかして、あれは宝の山だったのか…」と愕然としましたね。
私が子供だった1980年代は、まだトイザラスなどの大型おもちゃ店は無くて、『個人営業のおもちゃ店』と『デパートのおもちゃ売り場』しか存在しませんでした。
競争が激しくないので、あまり努力しなくても経営が成り立ったのでしょう。
たぶんあの店長は、「古い商品とはいえ、捨てるのはもったいない」と考えていたのだと思います。
あの時代には、個人営業店が多くて、同じ様なコンセプトで、流行とは隔絶された古~い商品を置き続ける店がかなりありました。
こうした『古典派の店』は、大型店やチェーン店が増える中で、どんどん淘汰されてしまいましたね。
今振り返ると、古典派の店のほうが、チェーン店よりもワクワクさせるものがありました。
チェーン店は、値引き率が高いし、最新の商品ばかりですが、驚きが無いんです。
古典派は、定価だし古い商品ばかりですが、意外性のある出会いができました。
話を戻しましょう。
私は、ガンダムのプラモを探したのですが、ザクやガンタンクのプラモばかりで、ガンダムのプラモは売り切れらしく見当たりませんでした。
色々と見ていった末に、『やはりガンダムのプラモを作りたい』と思いました。
当時のロボットもののデザインでは、ガンダムは圧倒的に洗練されていましたね。
他のロボットのプラモを見ても、ガンダムと比べると「ダサい」と感じてしまうのです。
ガンタンクでさえ、プラモの箱を見比べていくと、かなりお洒落なレベルでした。
この後、ガンダムのデザインがロボットものの主流となっていき、真似をした作品が大量に登場しました。
そして今では、ヒーローものの大型ロボットといえば、ガンダム・スタイルになりました。
当時は、鉄人28号とかボトムズとか、他のスタイルもあったんですけどねー。
さて。
お金も持っていないし、目当てのガンダムは売り切れなので、その日はそのままH君の家に戻る事にしました。
その後は、H君がどのようにプラモを制作するかが気になったので、「作りかけのプラモはあるの? あるんだったら、それを作ろうよ。」と提案しました。
そうして、何のプラモだかは憶えていませんが、H君とプラモを作りました。
一緒に作ると言っても、実際にはH君の作業を見つめる事ばかりです。
H君の緻密な作業ぶりを見たら、手を出す意欲は完全に無くなりました。
私が驚いたのは、『パーツを切り離すのにニッパーを使っていること』と、『使うセメダインがチューブ状ではなく、小さなガラス瓶に入っていて、蓋に小さなハケが付いていてそれで塗ること』でした。
私はそれまで、パーツを切るにはクルクルと指で回して取っていたし、セメダインは文房具店にあるチューブ・タイプ(ジェル・タイプ)を使っていました。
この時に、生まれて初めてニッパーという工具を見ました。
H君に問うたところ、「ニッパーを使わないと、きれいに切り離せず、仕上がりが悪くなる。このセメダインは液状だから、塗りやすいよ。」と丁寧に教えてくれました。
(なるほど! さすがH君だ。知識がはんぱじゃない。)と、感心しましたねえ。
とても感心しましたが、30分くらい見ていたら飽きてきました。
そこで、前述した本棚に並ぶ一風変わったマンガ群を指差して、「あそこにあるマンガを読んでいいかな?」と聞き、OKをもらいました。
そのマンガは、詳しくは憶えていないのですが、科学系のもので、他の家では見かけた事がありませんでした。
読んでみたら面白いので、(よし、全て読んでやろう!)と思い、読み倒すことにしました。
最初のうちは行儀良く座って読んでいたのですが、徐々に疲れてきて、気付いたらいつもの様に寝っ転がって読んでました。
そこにふらっとH君の母が現れたのですが、私のくだけた態度を見て、少しだけですが嫌そうな顔をしました。
(しまった!)と思いましたよ。
でも、彼女は何も言わずに去っていきました。
結局、夕方になって帰るまでずっと読み続けたのですが、読み終えられませんでした。
私がマンガと取り組んでいる間、H君はプラモ作りと読書をしていましたね。
帰宅してからは、H君の完成度の高い芸術的なガンダム・プラモデルが頭から離れません。
考えていると欲しさで一杯になり、どうやって入手するかを検討しました。
手持ちの金はないし、誕生日が近いわけでもありません。
弟に話を持ちかけたところ、弟も興味を示したので、「一緒に母に相談してみよう」との意見で一致をみました。
で、とりあえず母に相談しました。
あっさりと却下されました…。
その後、私の両親は離婚し、それまで住んでいた家から出て、母子でM家と同居する事になりました。
そうしたところ、母は「申し訳ない」と思ったのか、プラモデルを私と弟に1つずつ買ってくれたのです。
プラモを手にしたのは、3学期の終わり頃か、4年生になったばかりの頃だったと思います。
もしかすると、進級祝いだったかもしれません。
そうして、ようやくプラモの制作にかかる事になりました。
それは、次回で話すことにしましょう。
(2014年11月10、26~29日に作成)