読書感想・マンガ
(個人的メモ)

2024年3月

〇ドラゴンボール

小学生の時に夢中で読んだマンガである。

完全版の第1巻を持っているので、10年ぶりくらいで読んでみた。

大人になってから気付いたが、この作品は暴力的である。
今回読み直して、その思いを強くした。

絵は大好きなスタイルだが、話が暴力すぎだし幼稚なので、もう楽しめなくなった。

暴力の1例を挙げると、最初の回で、16歳の少女ブルマが、旅の道中で孫悟空という少年に出会う。
その出会いは揉めて始まるが、ブルマは孫悟空を銃で何発も撃つ。

孫悟空は特殊な人間だから死ななかったが、普通ならば射殺である。
16歳のブルマは殺人者となっていた。

暴力のもう1例を挙げると、旅の途中でウーロンという豚顔の者に出会う。

そこでブルマは、1個舐めただけで、「ピーピー」と言うとひどい下痢になる飴を、わざとウーロンに舐めさせる。

この飴は、完全版に書いてある注釈によると、1ヵ月も効果が持続する。
正に劇薬・毒薬である。

自分の意に沿わない事をすると、ピーピーと言って下痢にさせるブルマは、他人を奴隷にするのを何とも思わない人間なのが明らかだ。

また、この作品はご都合主義というか、行き当たりばったりの展開が多すぎる。

この第1巻で言うと、第2話目で、ブルマは孫悟空の身体を洗う。
この時にしっぽがあるのに気付き、引っ張るが、悟空は何ともない。

ところが数話してから、チチが悟空のしっぽを掴むと、悟空は力が抜けてしまう。

この「悟空はしっぽが弱点」というのは、この先は大きく取り上げられていき、話にも影響していくが、こんな重要な設定ならば、最初の時点から決めておくべきだろう。

行き当たりばったりの雑な展開が、ドラゴンボールには多すぎる。

後になると、死んだ者がドラゴンボールで簡単に蘇るようになり、完全にストーリーとして破綻する。

当時は子供だった私も、この生命の軽さ、いいかげんさには付いていけず、熱意を持って読むことがそれ以降は出来なくなった。

この設定の雑さは、第1巻の時点からあったのだと、今回気付いた。

私はもうドラゴンボールを楽しめない。

〇ブラックエンジェルズ

ドラゴンボールと同時期に週刊少年ジャンプに連載されていたマンガ。
大好きではないが、まあまあ楽しんでいた。

買い集めたコミックスは成人してから捨てた。
その後、懐かしさからジャンプコミックス・セレクションでVol.11のみ買っていた。
それをまた読んでみた。

絵は好きなのだが、話が暗すぎる。
そして残酷な描写がとても多い。意図的にグロテスクな表現を多用している。
当時もそう思った。

つまりエンタメに偏った作品なのだが、劇的な流れのわりに感動はない。

真に魅力的なキャラはいないし、残念ながら後世に残るような作品ではないと思う。

〇聖闘士星矢

これもドラゴンボールと同時期に週刊少年ジャンプに連載されていたマンガである。

連載当時に小学生だった私は、ドハマリした。当然ながらコミックスもたくさん買った。

成人してからコミックスは処分した。

その後、懐かしさからコミックスの第7巻のみ買った。
それをまた読んでみた。

今見ると、話の雑さに驚く。

全体的に、話も登場キャラも幼稚である。
大人になってからも楽しめる作品ではないと痛感した。

クロス(鎧)のデザインは今見ても美しいし楽しい。

〇花の慶次

これも週刊少年ジャンプに連載されていたマンガである。

北斗の拳を書いた原哲夫が、隆慶一郎の原作をマンガ化した作品。

北斗の拳の連載が終了した後、わりとすぐにこの作品の連載が始まった記憶がある。

最初の頃は面白かったのだが、徐々にストーリーが雑になり、主人公の前田慶次がケンシロウ化していって、簡単に人を殺す残虐な内容になった。

当時、このように感じたのだが、いま読み返しても同じ印象だ。

隆慶一郎の原作は、読んだことがあるので知っているのだが、あまり長い話ではない。
それで原作の部分が終わると、後は原哲夫が自分で好きなように書いたと思われる。

で、原哲夫がストーリーを考えて書いた部分が、史実無視のご都合主義で、北斗の拳の二番煎じになっている。
結果として、連載の後半になるとつまらない作品になった。

私は当時、この作品を通して読んで、原哲夫にはストーリーを考える才能がないと思った。
画力はすごい人だが、良い原作がないと輝かない人だと思う。

〇闘将!!拉麺男(たたかえ ラーメンマン)

これは月刊ジャンプに連載されていたマンガである。

キン肉マンを書いていたゆでたまごが、同作品の人気キャラであるラーメンマンを主人公して書いたもの。

ラーメンマンが主人公なので、中国拳法が格闘のメインになっている。
でも実際は、格闘にリアリティを持たせてないので、キン肉マン(プロレスもの)とあまりバトルに変わりはない。

私はキン肉マンのキャラで一番ラーメンマンが好きだったので、当時この作品もよく読んでいた。

ジャンプコミックスセレクション1巻と2巻が家にあったので、それを改めて読んでみた。

第1話では、冒頭でラーメンマンの住む村が馬賊のコブラ党に襲われ、彼の父ソーメンマンが殺される。
幼いラーメンマンは復讐のため、超人拳法の達人である陳老師に弟子入りする。

これは、当時に流行っていたジャッキー・チェンなどの中国映画の影響だろう。
キン肉マンでも、ブルース・リーが登場したりして、その影響を隠そうともしていなかった。

ラーメンマンの子供時代は、とてもかわいい。
作者のゆでたまごは、子供をかくのが上手いと思う。キン肉マンのミート君も可愛かった。

ラーメンマンは陳老師のもとで12年の修行をし、そこで大人になるが、拳法の腕を認められて闘龍極意書をさずかる。

そしてコブラ党を倒すが、同じくコブラ党に父を殺された子供、シューマイを弟子にする。

続く第2話では、ドクロ拳のガンダムが登場する。

ガンダムはラーメンマンに敗れて左手を失うが、復讐を誓って、右手を毒手にすると決意する。
そして数千種の猛毒を粉末にし、それを砂に混ぜたものと、薬草のしぼり汁を用意する。

まず火に右手を入れて大火傷させ、次に猛毒の入った砂に手を入れる。
そして火傷した右手に毒をしみこませて、次に薬草のしぼり汁に入れて毒を中和する。

「右手を毒の砂→右手を薬草のしぼり汁」という、くり返しの作業を44日間続けると、毒手は完成し、手の甲に「毒」の刻印が自然に浮かぶ。

この毒手で攻撃すると、少しの傷をつけただけでも毒が身体に入り、3日3晩苦しませて死に至らしめる。

ここまで書くと分かるはずだが、めちゃくちゃな話である。

猛毒が身体に入ったら、ガンダム本人が死ぬのではないか?
薬草のしぼり汁に付けただけで解毒できるなら、ガンダムの攻撃を受けた者も、同じ方法ですぐに回復するはずだ。

ラーメンマンはこの毒手に攻撃されて、すぐに弱り始めるが、修行時代にケガを治した「万病洞」という特別な霊泉に行き治療に成功する。

毒に犯されたラーメンマンは3日で死ぬはずだが、「万病洞」が弱った彼の足取りですぐに行ける場所に都合良くあるのも、冷静に考えると違和感がある。

最終的に、ガンダムは毒手を自らの胸に打ち込んでしまい、死亡する。

第3話では、ラーメンマンが陳老師から授かった闘龍極意書は、何万人もの軍隊をも倒せる凄いことが書かれているのだが、ラーメンマンは弟子のシューマイにあっさりと盗み見されてしまう。

さらに寝ている時に、シューマイに奪われてしまう。

どうなんだと思う。ラーメンマンが愚か者に見える雑な展開に、引いてしまう。
キン肉マンにも、こうした雑な展開はよくあった。
いや、子供の頃は楽しめたのだが。

第4話では、陳老師が百歳を超えている老人だと、ラーメンマンが証言。

第5話では、悪党のホーガンが、ラーメンマンの訪れた村を襲撃する。

本来ならラーメンマンは村人を守るべきだが、なぜか「隠れろシューマイ」と言って物陰に入り、戦おうとしない。

そして村人たちがホーガンに殺されるのを、隠れた場所から傍観する。

ホーガンは、ラーメンマンの身につけた超人拳法にまさるとも言われる、散弾流星脚の使い手である。
だから戦わなかったのか。

ところがラーメンマンは、父をホーガンに殺された4~5歳と見られる子供ギョーザに対して、スパルタ指導で逃げ方を教える。
これは、ギョーザがホーガンに復讐するためである。

なぜか分からないが、1週間でギョーザは完璧なくらいに逃げ方が上達する。

そしてホーガンと一騎打ちするギョーザ。
ホーガンの技をかわし、見事な動きでホーガンを殺すギョーザ。
めちゃくちゃな展開である。

逃げ方(守備)しか教わっていないギョーザが、超人拳法にまさるほどの使い手ホーガンを一撃で倒すなんて、意味不明でしかない。

第6話ではラーメンマンは、高い山壁に四方を囲まれて、全く日光のささない村を訪れる。

それで色々あった末に、ラーメンマンは地面を挙で打つのだが、なぜかその一撃で山壁の一部が崩れて、ちょうどそこから日光がさす。

拳で地面を打って離れた山壁がピンポイントで崩れるのもおかしいが、その結果として日光がさすと、なぜか地面から竹がいっせいに猛烈な勢いで伸びるのだ。

一瞬で1mくらい竹が伸び、なおかつその先端がとがっているので、竹に身体を貫かれる者が続出する。

これまた、自然の法則、物理の法則を無視した、めちゃくちゃな展開である。

第7話では、なぜか死んだはずのガンダムやホーガンが登場する。
ガンダムにいたっては、失ったはずの左手まで復活している。

第7話の筋書は、ブルース・リーの映画のパクリである。
見れば分かるが、モロにパクっている。

この回でもホーガンは戦死した。

第8話では、ラーメンマンの生まれ故郷の村に、彼が帰る展開となる。

それで第1話の冒頭に出てきたラーメンマンの故郷は、鬼首村(おにこべ村)だと判明する。

だが、第1話では父が殺されただけだが、今回はなぜがコブラ党の襲撃で母も殺された事になっている。

それだけでなく、当時のラーメンマンに、まだ赤ちゃんの妹ラーニャがいたとの、新情報が語られる。

ラーメンマン曰く、「あれから15年なので、妹が生きていれば17歳になる」。

どう見ても、後からねじ込んだ、作者の都合による設定の変更である。

ラーメンマンは妹ラーニャを助けに行くが、将棋七鬼衆(きしゅう)に完敗してしまう。

この七鬼衆はとても残虐な連中だが、なぜかラーメンマンだけは殺されず、一緒にいた村人たちは殺される。

この展開も明らかにおかしい。ラーメンマンが見逃される理由がない。

第9話では、このマンガは時代設定が詳らかではないが、映写機が登場する。

これまで機械は登場していないので、かなり唐突な印象である。

不思議なことに、その映写機ではラーメンマンが色んな格闘家と命を賭けて戦ってきた姿が、いくつも上映される。

ラーメンマンが死闘の撮影を許可するはずがなく、隠し撮りだろうが、かなり近くから堂々と撮っているようで、どうやって撮ったのか謎は深まるばかりだ。

この回は、ラーメンマンの回想シーンがあり、陳老師のもとで修行していた時期に、ザーサイという少年と知り合い、彼に拳法を教えたとラーメンマンは語る。

その時期(8年ほど前だろうか)にザーサイの背中に付着した落ち葉は、 なぜかずっとザーサイの背中に付いたままなのだ。

驚くことに、8年くらいして再会した時、落ち葉はまだ付着している。

それだけでも十分におかしいが、その落ち葉の付いた部分だけが筋肉がきたえられず、そこを攻撃されると死ぬという展開もおかしい。

この回では、ラーメンマンは自らの拳法を次のように説明している。

「超人拳法が誇る超人102芸の必殺技は、外れた場合(相手にかわされた場合)、風圧の摩擦をうけて全エネルギーが自分に返ってくる。

その結果、技をくり出した者は大ケガをする。」

この設定も、めちゃくちゃだと思う。物理法則をあまりに軽視している。

この辺りから、闘将!!拉麺男(たたかえ ラーメンマン)のストーリーはさらにおかしくなっていく。
読むことが出来ないほどに。

(随時更新)


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