昨日なんですが、『プレミアムシンフォニックコンサート~花總まり・愛に生きた女王を綴る~』というコンサートを観てきました。
渋谷のオーチャード・ホールで行われ、はるばる小田原から駆け付けて、数年ぶりに花總まりさんを見てきました。
このコンサート、公演日の2日前(1月15日)に知ったんですよ。
チケットぴあからメールでお知らせが来て、何となくチェックしたところ、花總まりが交響楽団と共演し、歌を披露するという。
なんだか凄そうじゃないですか、内容的に。感動できそうじゃないですか。
で、無性に見に行きたくなった。
チケットがまだあるか、確認のために、ぴあのウェブサイトに行ったら、まだS席とA席があり、S席は「残りわずか」との事。
とりあえずS席でどの辺りの席が残っているかを見ようと思い、クリックして進んで行ったら座席確認もなく購入画面に進んだ。
どうも公演日の直前なので、座席確認ができず、チケットも当日渡しになったらしいんです。
まあ、最近はとんとぴあを使わないので、よく分かりません。
で、S席とA席の料金差は2千円だし、「ま、いっか」と思って、そのままS席を購入しちゃいました。
因みにチケットぴあのメールですが、一時は頻繁に来てました。
花總まりさんのチケットをぴあ経由で買ったところ、「花總まりファン」と認識・登録されたらしく、それ以来まりさんの出る公演のお知らせがしっちゅう来るようになった。
私の住む小田原近辺の公演ならともかく、大阪とか絶対に行かない所の公演まで何度も知らせてくる。
先行発売だとか、特別公演だとか、追加公演だとか、何とか理由を付けて、メールを送りつけてくる。
悪気はないのだろうか、私は完全に食傷してしまい、ぴあからメールが来ると全く確認せずにゴミ箱に入れる日々となってしまいました。
せっかく花總まり関連の公演の知らせが来ているのに、見ずに捨てるなんて、酷いじゃないかと思う方もいるかもしれません。
でも、ぴあ以外からも色んな宣伝メールが来るので、1日に15通とか来ちゃう時もあるんです。
3日分も溜めると30通とかなるし、1週間も溜めると100通超えたりしてしまう。
ガガガッーと上から下まで並ぶ新着メールを見ると、もうそれだけで嫌になり、まとめて捨てたくなってしまう。
いちいち見るのが苦痛なんです。
この殺到するメールに対応するというのは、現代人の悩みの1つですねえ。
ぴあから届くメールをゴミ箱に入れる事を、続けてきました。
そうしところ、徐々に数が減ってきた。
で、最近はすっかりぴあからのメールは来なくなっていたのですが、久々に届いたんですよ。
いや、もしかすると無意識の作業でゴミ箱に入れており、来ている事にすら最近では気付いてなかったのかもしれません。
まあとにかく届いたんです。上述したとおり1月15日に。
それで本当に久しぶりにメールを開いてみたところ、花總まりのコンサートが決定し、初日が明後日だと言うのだから驚きました。
正に寝耳に水の状態でした。
今回チケットを購入したので、「また頻繁にメールを送りつけてやろう」なんてぴあが思わないとも限らない。
まあ仕方ないかな…。
話を進めましょう。
ぴあのサイトでチケットを購入したところ、当日引き換え券をコンビニで受け取る手筈となりました。
で、すぐにコンビニに赴いて券を入手した。
すると、そこには『プレミアムシンフォニックコンサート~花總まり・愛に生きた女王を綴る~』書かれている。
「プレミアムシンフォニックコンサート」、「花總まり・愛に生きた女王を綴る」というフレーズに胸が躍った。
かねてから「花總まりは日本を代表する歌手になれるほどの才能がある」と見てきた私にとって、こんなに嬉しい事はない。
交響楽団との共演なんて、花總まりの長い芸歴でもかつてない。
「これはついに、花總まりの最高のコンサートが観られるのではないか」、そう思わざるを得なかった。
夜、布団に入って目を閉じると、まりさんの歌と交響楽団が美しいハーモニーで絡み合う姿が脳裏に浮かび、音までが聴こえてきて、ワクワクした。
嬉しくなって、当日もすっごい早く家を出発し、オーチャード・ホールの前に17時45分に着いてしまった。
18時10分から開場で、19時開演なので、時間が有り余っている。
どう時間を潰すか考えたのですが、この日はとても寒く、ホール入口で突っ立って待機していたのでは身体が凍えてしまう。
そこで、近くの散歩に繰り出しました。
私は渋谷という街が好きじゃないので、目的もなくぶらぶらするというのは、初めてでした。
渋谷というのは、駅を中心にして直径1kmくらいはずっとビルが立ち並んでいると、漠然と思ってたんですよ。
ところが、ぜひオーチャード・ホールに行った方は確認してもらいたいのですが、そこから夜だと暗がりになる、上り坂で山に向かう方面に歩いていくと、完全に住宅街なのです。
高級住宅地らしく、みんな一軒家で、それも鉄筋・アスファルトが主体の無骨な建物が多い。
あまり良い趣味の外見じゃないな、なんて思いながら散策しました。
私の住んでいる小田原の少し高級な一軒家たちと、規模や造りではそんなに大差ないですね。
ただし、防御を固めている感じが、小田原よりも遥かに強い。
高いコンクリートの壁で家を覆っている事が多く、「やたらと防御に重点を置いているな」と。
2.5mくらいの高さのコンクリート壁に囲まれる家もあって、「見た目が牢獄みたいだ」と、こんな家に住んで幸せなのだろうかと思いました。
そこに住んでいる人達の心を、現わしていましたねえ。
ぷらんぷらんと歩いていたら、山に家を林立させているエリアなので、道がくねくねしていて分かりづらく、迷ってしまったんですよ。
ちょっと焦りましたね。たまにあるんですよ、余裕があって散歩で時間を潰していたら迷子になり、結果として遅刻してしまう事が。
このままだと遅刻すると思ったので、とりあえず山を下って行けば何とかなると考え、下り坂を進んでいき、コンビニがあったので店員さんに「(オーチャード・ホールのある)ブンカムラって、どっちの方角ですか」と聞いた。
店員さんは不審そうな目で(ブンカムラに行きたがっている人が、何でこんな所に居るんだろ)と思っている様子でしたが、「あっちの方角です」と教えてくれた。
そこからは速足で行き、知っている場所に戻ってきて、きちんと開演前に入場しました。
さてさて。
話をコンサートに進めますが、当日引換券を受付にてチケットに換えたところ、2階の6列目でした。
1階席が良かったんですけど、ギリギリになって購入したので、仕方ないですね。
で、ホールに入り見渡してみると、たしかに交響楽団が舞台上に居た。
東京フィルハーモニー交響楽団の面々です。
「おおっ、これをバックに従えて、花總まりがブイブイ言わすのか。楽しみだなあ。」と、大いに楽しむぞと気合を入れ、集中力を高めた。
ここまでは全てが順調だったんですよ、ここまでは。
私の想定内で事態は進んでいました。
そうして幕が開いた。
指揮者、オケの面々が、舞台脇の袖からバラバラと出て来た。
で、花總まりも当然出てくるのかと思ったのだが、出て来ない。
なぜかヴァイオリン奏者が登場し、オーケストラと協奏を始めた。
「ん?」と思った。
違和感はあったが、「これはオープニングの演出なんだろう」と解釈した。
主役が出るまえの、軽いウォームアップみたいなものだろうと。
ところが、それが長い。ピアニストまで出てきて、協奏を始めた。
「んん?」と思った。
この時点で、頭の中で警戒音が鳴りましたね。
「どうも、自分の思い描いていたコンサートと違うらしい」と考え始めた。
とはいえ、主役が出てくるまでに時間のかかるコンサートもある。
あえて登場を遅らせて、お客を少しジリジリさせ、それから登場すれば、かえって盛り上がる。そんな演出もある。
「どうもそのパターンらしい。あまり好きな演出ではないが、それできたか。」と思った。
ずっと続く花總まり抜きの演奏で、会場内が、徐々に寒い空気になってきた。
「そろそろ出て来ないとまずいぞ、まり」と、心配になった。
そうしたところ、演奏が一段落して、ようやく上手の袖からまりさんが現われた。
舞台の中央に立ち、額田王に絡んで和歌を1つ、メロディを付けて歌ったと思う。
わずか10秒ほどだったのだろうか。でもそのフレーズを聴いて、「おっ、声が凄く濃い力強いものになっている。以前と違う。」と感じた。
成長しているのを理解した。
「この進化した声で歌うのだから、感動できるんじゃないか」と思った。
まりさんは、手に持った台本を見つつ、朗読で額田王について説明した。
「説明したほうが、その後の歌を味わいやすいよな、うん。」なんて思いながら、耳を傾けた。
まりさんは宝塚歌劇団に在団中に、額田王を演じていた。
その時の公演から1曲を選び、がつーんと歌ってくれるのだろう、そう思った。
しっかりと朗読で前振りをしておき、十分な準備を整えた上で、がっつーんと来るのだろうと確信した。
「なかなかの演出を見せるじゃないか」と、感心した。
ところが!
一通りの朗読を終えると、まりさんは静かな足どりで出て来た袖に引っ込んでいくんですよ!
私の頭は大混乱しました。
「なにこれ?まさか歌わないの!?」とびっくりした。
そうして、またヴァイオリン奏者とオーケストラの協奏が始まった。
一瞬、頭の中が真っ白になりましたね。
さらに、その協奏の出来が悪い。聴いてるのが辛いくらいに、出来が悪い。
舞台を直視できず、思わず目を脇に逸らしてしまった。嫌な汗が少し出てきた。
その曲が終わると、再びまりさんが登場した。
今度がトゥーランドットだったかな。やっぱり有名な女性を取り上げて、その人の略歴を朗読で語り出した。
今度こそ、歌うでしょう。トゥーランドットだもの。
私は朗読が終わるのを、心待ちにしました。絶対にそこから歌が始まるでしょ。
まりさんの朗読が終わったタイミングで、オケがババッーと演奏を始め、そこに乗っかってまりさんががっつぅぅーんと歌う。
ここまでの流れを挽回するには、これしかない。
この演出で来る、そう確信して、私はその時を待った。
ところが!
朗読を終えたまりさんは、さっきと同じに静かな足どりで上手袖に去っていくんですよ。
そうして又もや、まりさん抜きの演奏が始まった。
私の座っていた席は、2階の6列目で、すぐ隣は上下に動ける階段状の通路になっていました。
まりさんが袖に消え、歌わないのが確定した時点で、私はあまりのショックに激しくズッコケた。
大きく前のめりにズッコケてしまって、隣の通路に雪崩込み、そのままダダダダッーと階段を転がり落ちて、勢いのついたまま2階最前部の柵を乗り越えて、1階席にガラガラッガッシャーンと墜落した。
冗談でも何でもなく、私の心は転がり落ちて1階に墜落したんです。
身体だけだったのです、踏み留まって無事だったのは。
「こんな事は思いたくないが、軽い詐欺なんじゃないか」、この台詞が頭に浮かんだ。
苦しかった。今世で最も愛してきた女と言えるほどの花總まりに、私は騙されたのだろうか。そう思って、胸が締め付けられた。
結局、まりさんは第1部が終わるまでに、1曲しか歌わなかった。
私はこのコンサートについて、「まりさんは最低でも7曲は歌うだろう。10曲くらい行くかもな。」と期待してました。
それが前半を終えて、1曲…。後半で盛り返しても7曲には絶対に行かないだろう。
正直なところ、私は第1部が終わるまでに、一度も拍手が出来なかった。
展開が期待外れだったのもあるけど、単純にオケやヴァイオリン奏者の演奏がつまらなかったんですよ。
そこが良ければ、拍手したんですけどね。
私以外のお客さんもそう感じた方が多かったらしく、拍手の数は少なかったです。
休憩時間になっても、疑問は解消されず、私は首をひねりながらトイレに行き用をたしました。
ぶっちゃけた話、もし花總まりのコンサートじゃなかったら、半ギレになり、第2部を観ずに帰宅していたかもしれません。
聴いていて苦しかったんですよね、演奏に締まりのないのが。
まりさんの朗読と歌はきちんと聴けるレベルにあったけど、それ以外のサウンドがサラリーマンの音で、芸術家の音じゃなかった。
別にサラリーマンをバカにしている訳ではないのですが、その人達が醸す雰囲気(お金のためにここに居ます、生活のためにここに居ます)をサウンドで表現されると、聴いていて本当に苦しくなるんです。
辛いんですよ、とにかく。気分がどんどん沈んできて、その場に居るのに堪えられなくなる。
「この状態が続くなら、第2部でも拍手は出来ない。花總まりを本当に愛しているが、でもやっぱり、自分を曲げる事は出来ない。どうなるかなあ。」と思いながら、第2部が始まるのを待った。
「普通ならば到底、我慢ができない状況だが、相手が花總まりなのだから仕方ない。
俺はこの女を愛している。だから途中で席を立つという選択肢はない。
ここからさらに酷い展開になったとしても、どんな事が起きても、耐えるんだ、堪えるんだ。」
そう覚悟を決めた。
第2部が幕を開けた。
どうなる事かとひどく気がかりだったのですが、意外にも、演奏に活力が出ていて、「聴けるサウンド」になってました。
第1部の冷めた客席の空気を感じてヤバイと危機感を覚えたのか、ようやくエンジンが温まってきたのか分からないが、1つスイッチが入った感じだった。
まりさんも、相変わらず朗読がメインでしたが、第1部よりも朗読に身が入っている状態で、語りに説得力がありました。
第1部の時は手探りの状態で、それは彼女にとって初めてのスタイルだったので無理もないのだが、ちょっと物足りなかったんですよね。
楽しめるコンサートになってきたのだが、やはりまりさんの歌は少なく、そこは寂しかった。
第2部に入って少しした時点で、「このコンサートにおけるまりさんは、歌よりもむしろ朗読がメインなのだな」と気付いた。
いや、本当はだいぶ前に気付いていたのだが、ようやくその現実を受け入れられる心境まで来た、と言うのが正解だ。
このコンサートは、まりさんがまず朗読で、女王となった人物(トゥーランドットとかエリザベート)の略歴を語る。
その後に、その人物を描いたミュージカルから1曲を、まりさん抜きの演奏で行う。
こういう構成で進んでいきます。
たまにまりさんも歌で演奏に加わるけど、例外的です。
このコンサートのタイトルには、「花總まり・愛に生きた女王を綴る」とある。
私は「プレミアムシンフォニックコンサート」という言葉がその前にあるので、当然ながらまりさんは「女王を綴る」にあたって、歌で表現すると考えていました。
だが、本当にびっくらこいてしまったのですが、なんと朗読で女王を綴っていくのです。
私の頭の中では、「プレミアムコンサート」+「女王を綴る」=「花總まりの大量の歌」、という数式が完全に出来上がっていました。
まさかその数式の解の部分が、「花總まりの大量の朗読」だったとは。
そんな解答が導き出せるとは、露ほども考えていませんでした。
私は、花總まりという女優を、もう長い事観てきました。
だからよく理解しているのですが、この方は、私の予想を完全に覆す事を、たまにしてくるんですよ。
合戦に例えると、こんな感じです。
私は、「もうすぐ花總まりの軍勢が攻めてくる」という報を受け、それが強大な力を持っているのを熟知しているので、万全の態勢を取れるよう頭をひねった。
そうして配下に指示した。
「まず間違いなく、防御しづらい東側から攻めてくる。それが常道だ。
そこに兵力と資材の多くを投じろ。
だが、相手はあの花總まりだ。想像もつかない手を打ってくるかもしれない。
だから、北側と南側もしっかり防御を固めろ。」
側近の一人が尋ねた。
「西側は手を打たないで良いのでしょうか?」
「そっちからの攻撃はあり得ない。見ろ、西側は険しい崖になっている。あんな所から攻めてくるなんて不可能だ。」
それから2週間後、私はその城塞を枕に討ち死にした。
その日の深夜、まり軍は西側の崖を決死の貫行で突破し、そちら側からの攻撃を全く想定していなかった我が軍は壊乱し、大敗北を喫したのだ。
……。
花總まりって、私にとって源義経みたいなところがあるんです。
それは絶対にないだろうと思っている事を、やられてしまい、「のわーーーーーーっっ」と絶叫する様な事態に、何回かなった事があります。
前述した2階の客席から転げ落ちて1階席に墜落した件は、合戦場ならば討ち死にの場面でしょう。
若い頃だと、そういう場面に遭遇すると怒り心頭になって、時には花總まりを憎む気持ちまで生じた。
だけど年を重ねたのと、まりさんのそういう行動に何度も遭遇して耐性が出来たらしく、今だとだんだん笑えてきて、受け入れられる所まで進化しました。
よく考えてみると、プレミアムシンフォニックコンサートで朗読を中心に据えてくるなんて、他の奴にやれる事ではない。
斬新なんじゃないか。
それが良いものに仕上がっているかは置いておいて、話のタネになるなと。
もしかして貴重な公演にぶち当たったのかもしれない。
そんな風に前向きに思い始めた。
もしかすると花總まりの術中に嵌っているだけなのかもしれないが、それもまたヨシだ。
そんなわけで、第2部の途中からは、けっこう楽しんじゃいました。
まあ、演奏も朗読も徐々によくなってきて、ようやく楽しめるレベルに到達したというのが、実体なんですけどね。
よく分からないのだが、まりさんは今公演で朗読に挑戦したかったみたいです。
それなら朗読劇をやればいいじゃないかとも思えるが、ツッコミだすとキリがないので受け入れる事にした。
で、肝心のその朗読の内容だが、声が美しくて明朗で聴きやすいし、物語の展開に合わせて抑揚を付けていくのもキマッてたね。
さすが花總まりと聴き惚れたが、同時にずっとこう思ってました。
「いや、もう俺、それ全部知ってるんだよ」
まりさんが朗読で取り上げた人物は、全部、彼女が過去に演じた役の人なんです。
私はそのうち額田王以外は生で観劇したし、額田王もビデオで観ています。
だから、取り上げた女王たちの物語において、初耳の事柄が無い。
もちろん、すでに知っている事でも、朗読を聴いて再認識する手はある。
それは分かるんだけど、結局、今回のコンサートでは演奏部分が長くて朗読時間が短いし、何人も取り上げるので、一人一人についての語りが薄くなるわけです。
だからどうしても深堀りにならず、「それ、もう知ってるなー」で終わってしまう。
今コンサートの収穫は、『まりさんは朗読劇をやれる』と確信した事ですね。
彼女が素晴らしい声を持っているのは、ずっと前から知っていたし、「ナレーションでも素晴らしい仕事ができる」と何かの時に書いた事があります。
そう、このコンサートでのまりさんって、ナレーションとか司会役にも見えたよね。
朗読でこれから取り上げる曲の背景について語り、自分は引っ込んでオーケストラの演奏に繋いでいたのだから。
本来だと主役を張らなくてはいけない人が、司会役になっているので、ズッコケたわけだけど、結果的に『朗読劇をやれるくらいに朗読が上手い』と確認できた。
私からすると、その事も「それ、もう知ってるなー」ではあったんですけどね。
結局コンサート全体で、まりさんの歌は、アンコールで歌ったのを含めて3曲だった。
もしかすると4曲だったかもしれないが、3曲しか覚えていないです。
そのうち最も良かったのは、エリザベートからの1曲でした。
何度も何度も歌ってきたからだろうけど、非常に安定感があり、音を外さなかったし、リズムも正確でした。
この曲は男性とのデュオで、男性の声は小さかったので録音だと思ったけど、生演奏だったから今思うと誰かが歌っていたのかな。
コンサートのこの辺りに入ると、私は目を閉じて集中して聴いていたので、舞台で何が起きていたか詳しく知りません。
ちなみにコンサート中、まりさんは朗読する役に合わせて何度も服を着替えていたけど、私は「全く必要ない」と感じました。
「そんな事しないで、同じ服でずっと居ていいから、歌をもっと増やしてくれ」と。
だけど、彼女のファンの多くは、宝塚時代からのファンだろうし、宝塚時代みたいに色んな衣装をとっかえひっかえ見せてくれと思っているのかもしれませんね。
私はそういう趣味、本当に無いので。
そもそも2階席からだとどんな衣装かほぼ分からないし、オペラグラスも使わないスタイルだから。
アンコールで歌ったのは、確かエンジェルというタイトルだったと思います。
この時点では、オケは身体が十分に温まっていて、良いバックを付けてくれてました。
まりさんは頑張っていたけど、緊張していたみたいでリズムが先走る時があったし、音程も何度か外れていて、声の美しさにはしびれたけど、ミスが多くて入り込めない部分があった。
高音に行く時に、音が上がりきらなくて外れてしまう事があった。
ライブだとリズムがずれる時や、音程が不安定になる時はあるもので、気にしないようにしています。
でも、それが複数回になると、やっぱり感動が薄くなってしまう。
「もっと感動できる歌に出来るのに、勿体ないなあ」と感じました。
まりさんの歌を聴いて思ったのは、「声そのものは素晴らしいレベルにあり、何の不満もない。これでもう十分だ。」です。
まりさんの声って、前だと高音部だとキンキンしてしまう時があり、低音部だとかすれてしまう時があった。
それはもう無い。この点は凄い成長だと思います。ものすごく努力したのが見えた。
その一方で、「リズムと音程は、まだまだ上を目指せるな」と。
『もっともっと先に行けるよ、まり。私には分かるんだ、それが。』と、コンサートが終わった時に思いました。
終演後、アナウンスで「CDを販売しております、ぜひ手に取ってみて下さい」みたいな宣伝が流れていたので、売場に行ってみました。
すると、大量のCDが机に置かれていたが、そのほとんどが共演したヴァイオリン奏者の古澤厳とピアノ奏者の塩谷哲のものでした。
まりさんのものは、私がすでに持っているファースト・アルバムの「エスペシャリー・フォー・ユー」だけだったので、買う気をかなり持って足を運んだけど、買うに買えなかった。
古澤厳、塩谷哲のアルバムが何枚も並んでいるのを見た時、「この2人にまりさんは芸術家として負けてない。そう考えると、そろそろセカンド・アルバムを作っても良いのではないか。」と思いました。
売場に1つしか作品がないのって、ちょっと寂しかった。
デビューして間もない人みたいで、花總まりに相応しくないよね。
ほんと、次回作を検討してもいいのかもしれない。
せっかくなので、共演者のうちソロを取った古澤厳さんと塩谷哲さんの感想も書こうかな。
まずヴァイオリンでソロを沢山弾いた厳さんですが、第1部の時は全く良さを見い出せなかった。
音にあざとさがあったんですよね。
「俺って上手いだろ」と音でアピールしてきたのですが、「言うほど上手くないじゃない」と私は思った。
本当に凄い人って、最初の1音を「ピー」と出しただけで、凄さが分かります。
その本物だけが持つ凄みは、無かったからね。
技術的には高いレベルにあるし、音色は美しいと感じたけど、演奏から伝わってくるのが「俺って上手いだろ」では論外。
だから第1部では、厳さんの演奏が退屈で仕方なかった。
ところが、第2部になったらだいぶマシになり、徐々に楽しめる演奏になったんですよ。
第1部では自分に酔っていて、リズムの乱れが酷かったけど、それも改善して、真剣に聴ける音になりました。
だから途中からは、拍手を少ししました。熱い拍手は送れなかったけど。
古澤厳さんを見ていて思ったのは、「演奏の最中の姿勢が悪いなあ」という事。
私は、ヤッシャ・ハイフェッツの演奏する姿が好きなんですよ。
出す音も好きだけど、なにより演奏している姿が美しいなと。
ああいう美しい姿でヴァイオリンを弾く人を生で見たいなあと、ずっと思っているんですけど、居ないですねえ。
日本人だと、諏訪内晶子さんの演奏と弾く姿が好きです。素晴らしいヴァイオリン奏者だと思ってます。
あと、厳さんは他の出演者と違い、カジュアルな服装だったので、そこが目立ってましたね。
遠くからだったので、どんな服かはっきりしなかったけど、異彩を放っていた。
私の場合、こういうのは気になりません。
極端な話、全裸で登場してきても、その人の演奏が素晴らしければ聴き入って、大拍手しちゃいます。
次にピアノを弾いた塩谷哲さんですが、最初の数音を聴いた時に、「おっ、綺麗な音を出すじゃないか」と感心しました。
タッチも音色も良いものを持っているなと。
それで結構注目したのですが、ソロを取ると弱いというか、自分が演奏の中心に立つと物足りなさがあった。
まりさんの朗読のバックで弾くとか、曲のイントロを担当するとかだと、素晴らしいのですが、自分が中心になってやり出すとどこか飽きがくる。
和音の弾き方と響かせ方、出す和声の美しさや的確さは、素晴らしいと思いました。
このコンサートは、全体を通じてオーケストラの出す和声が、ビシッと決まっていました。
メロディへの和声付け(ハーモナイズ)、オーケストレーションが、非常に美しいなと。
誰がアレンジを担当したのか知りませんが、そこは高く評価します。
アレンジが良いので、演奏が爆発すれば凄いものに仕上がるはずなんですよ。
あと2公演あるので、そこを上げればね。
でも、バックの交響楽団が公演ごとに変わってしまうので、厳しいかな。どうだろ。
このコンサートは、本当はあと2曲、まりさんの歌を入れたほうが良いと思います。
公演時間は長くなるけど、第1部に1曲、第2部に1曲を足すだけで、盛り上がりがかなり違ってくると思う。
まりさんの朗読は、良かったのだけれども、やっぱりコンサートを名乗る以上、お客さんは歌を期待すると思うんです。
次の公演まで時間があるので、共演者との兼ね合いもあるけど、2曲増やせたら最高だね。
まりさんの朗読だけど、誰が台本を書いたのだろう。
けっこう文章が良いなと思ったんです。まりさんが自分で書いたのなら、褒めたい。
今思い出したけど、まりさんの朗読を1回聴いた事があったな。
だいぶ前の事なので、すっかり忘れてました。
だんだん思い出してきた。男の人と2人での朗読劇で、たしか手紙のやり取りを描いたのだと思う。
そうだよ、まりさんが椅子に座って朗読する姿が、美しくて可憐だったんだ。
ハイフェッツみたいに、凛として存在していた。
細かい話の内容はもう憶えていない。
でも、あの作品はまりさんの良さをかなり活かしていたと思う。
そんな印象が残っています。
最後に、私が今公演で一番印象に残ったシーンを語ります。
まりさんが歌った場面を当然選びたいのですが、そこも良かったのですが、違う場面が頭にこびりついて離れない。
それは、まりさんがせっかく舞台の中央まで来て、熱を込めて朗読したのに、その後にしずしずと上手の袖に下がっていくシーンでした。
オーケストラの演奏が終わり、上手袖から舞台に現れゆっくりと歩みを進める花總まり。
そして舞台中央まで来て客席を向き、ピンライトを浴びながら、手に持った台本を読み進め、女王の物語をする彼女。
その姿は本当に美しかった。
で、一通りの物語を語り終え、「さあ、まりの歌が来るぞ」と私が全神経を集中させた直後、ピンライトがスッと消えて、まりさんは身体を90度回して、上手の袖に目立たない様にそおっーと歩いて戻っていく。
あの時の「!!??##%&%&@@@><><><*:*」みたいな、言葉にならない衝撃。
オケの演奏が始まる中、暗がりの中を忍び足に近い感じで、空気を演じるかの様に去っていく彼女。
あの時、他のお客はどう思っていたかは分からない。
だが私は「カムバッーーーーク、花總まーーりーーーーっ」と、魂の叫びをしてました。
あの魂の叫びは、彼女に届いただろうか。