「おかしな二人」を観劇してきました
(2020.10.24.~11.14.)

去る10月22日に、花總まりさんの出演するお芝居『おかしな二人』を観てきました。

その顛末を書いていきます。

『おかしな二人』は、かなり有名なコメディ作品らしく、ニール・サイモンという劇作家の代表作の1つだそうです。
映画化もされてます。

本来は男二人で演じるものですが、今回は女性バージョンにして、大地真央と花總まりの主演で上演するという。

正直な話、良い脚本というのは少ないです。
今まで見た芝居の中で、素晴らしい話だなと感じた事は、実のところ数回くらいしかありません。

だが今回は海外の有名作品をアレンジしてやるのだから、良い脚本に違いない。

私はこう思ったのです。

で、コロナウイルスの流行中にも関わらず、観劇に行こうかと考え始めました。

コロナウイルスがあるので、皆さんと同様に外出を控えています。
芝居に限らず、どんな外出も極力減らしています。

そんな中ですが、私が高く評価し愛している女優の花總まりが出演する、それも彼女には珍しいコメディ作品となれば、検討せざるを得ません。

かなり迷ったのです、ええ、ええ、行くか行かないかで真剣に迷いました。

「私の敬愛する花總まりの出る芝居、それも今回は面白い可能性の高いものだ。
 ならばリスクを冒してでも、行くしかないだろ。」

「いや、待つんだ。冷静になれ。
 今はコロナ下だぞ。
 花總まりの芝居は、これからだって観られるんだ。今は我慢しろ。」

「しかし、いつまで我慢するんだ。
 コロナの流行は、もしかしたら数年も続くかもしれない。」

「確かにそうだ。それは誰にも予想は難しいだろう。
 だが、その間は皆で協力して流行を防ぐ必要があるんだ。」

「流行を防ぐだと?ばかな、日本政府が主導で旅行を大推奨しているじゃないか。
 愚策そのもので、笑うしかないが、それでも日本では流行を抑えられている。
 だから大丈夫なんじゃないか。」

「甘くみるんじゃない!そういう考え、油断が、一番危ないんだぞ。
 周りがどうしているか、そんな事は関係ないんだよ。
 いいか、尚立。お前が一緒に暮らしている家族、一人は90歳を過ぎている、
 もう一人は難病を抱えている。そんな中で万一でもお前が感染したらどうなる。」

「それを言われてしまうと、反論できん…。」

こんな感じで、心の中の葛藤は、観劇の自粛に傾いてました。

しかし最近、改めて色々と考える事が多いのです。
コロナのせいで今までと総ての勝手が違うので、考え込む機会が多くなる。

それで思うのは、『人間いつ死ぬか分からないな』と。

コロナウイルスで生活状況や生活態度が変わり、もう半年以上が経ちます。

それまでの日常と大きく異なる日々になる体験は、福島原発の事故が起きた2011年、以来です。

あの原発事故の時もそうだったのですが、自分の死を身近に感じる状況が続くと、
『人間というのはいつ死ぬか分からないものなのだ。やりたい事を先送りするのは良くないのではないか』との気持ちが、湧き上がってきました。

人間は何となく、特に若いうちだと、「まだまだ生きる」と考えがちですが、それに寄りかかってしまい過ぎるのも問題です。
死を身近に感じるのは、決して悪い事だけとは思いません。

こんな事を書くと不謹慎だし、花總まりさんに怒られるかもしれないのだが、こっちが「そのうちまた、まりさんのステージ姿を見られるさ」と思っていても、いきなりまりさんが急病で亡くなる可能性もあるわけです。

私だけでなく、誰もがいつ死ぬか分からない。

こんな風に思ったら、「リスクはあるけど観劇しに行こう、次は無いのかもしれないのだから」という気持ちが強くなった。

それで、『おかしな二人』のチケットが発売になる日に、チケットぴあのページを覗いてみました。

朝の10時に発売で、12時すぎに覗きに行ったのですが、何と!!

かなり公演日数があるし、コロナ下で行かない人が多いと思えるのに、発売開始から2時間で、全公演が売り切れになってました!

ショックでしたね、すごく。

せっかく勇気を出して行く気になったのに、チケット完売だと?

「日本政府が、まだ流行が続いているのに、GOTOキャンペーンとか言って外出して
 金を使う様に煽るから、こんな事になるんだよ!

 テレビメディアも、人々が経済活性化のために観光するように煽るもんだから、
 安易に乗っかる奴が出てきて、こんな事になっちまうじゃないか。

 本当は危ないんだぞ、世界レベルでは流行が進んでるじゃないか。
 それなのに海外から来る人の制限を緩和する方向に、日本政府が動き出してるし…。

 くそっ、『おかしな二人』の座席は、まだまだ売れ残ると思っていたのに。

 全席指定席で、1万2千円のチケット。それがわずか2時間で完売だと?

 この経済困窮のご時世に、SとかAとかBとかの席種の別もなく、
 全部が1万2千円なのに、そんなに簡単に売り切れるのかよ?

 一体どうなっているんだ、完全に想定外だぞ!」

あまりに予想を裏切られたので、全公演が売り切れなのを見た時、我が目を疑ったし、上の愚痴が頭に浮かんでしまった。

10時の発売開始の時点で、ぴあにアクセスすべきだったんでしょうけど、性格的に私は、競争の中に飛び込んで、他人に奪われないように努力するのが苦手なんです。

他人と戦う気が起きないのです。なぜって勝っても惨めな気分になるからです。

だから混雑を避けて、騒ぎが収まったであろう、2時間後にアクセスしたのですが、まさかの売り切れとなっていた。

この時点で、1回は観劇を諦めました。

個人としては残念でしたが、花總まりの出演する芝居が、人気のある状態でチケット入手困難なのは、むしろ歓迎すべき事です。

まりさんを応援している者として、喜ぶべきだと思い直しました。

このままだと今回の記事が成立しないので、当然ながらこの後にチケットの入手に到ります。

どうやって入手したと思いますか?

『おかしな二人』の開幕日が過ぎ、ネットで観劇した人の感想を見たりしつつ、もう完全に諦めモードの私でした。

そんなある日、「もしかしたらキャンセルのチケットがあるかも」と思って、ぴあのページに行ってみました。

それまでに1回、ぴあのページに足を運んでましたが、その時は全席完売のままでした。

だから期待はしてませんでした。

だが! 自分の目を一瞬疑ったが、公演の後半部分のかなりの日について、席が残っているのです!

それで、とりあえず私の行きやすい日の席を調べたところ、前から3列目の席が1枚あり、他にも前から11列目くらいが横並びに6枚ほど空いている。

1つ2つの席があるどころの話ではなく、空いた席たちが「どうぞ、どうぞ、いらっしゃい。余ってま~す」と私を誘うかの様でした。

動揺した私は、何かの罠じゃないかと疑い、いったんぴあのページを離れて心を落ち着けました。

なぜこんなに席があるのか。
こんな奇跡があるか? かえって気味が悪い…。

数時間して、ようやく冷静に事態を把握でき、諦めムードだった私の心が盛り上がってきたので、再びぴあに行きました。
そうしたら「座席数をコロナ防止のため半分にしてましたが、政府がその要請を解除したので、席を一部増やしました」との文が目に入った。

「なるほど、そういう事か」と納得した。

しかし見方を変えると、客数が増えて密度も増し、感染のリスクは高まることになる。

それでまた少し迷ったのですが、結局チケットを購入する事にしました。

で、先ほど見て気になっていた、「前から3列目」の席がまだ残っているか確認したところ、残っている!

前から3列目なんて、今まで一度もないのではないか。
過去の観劇時の最高値でも前から5列目くらいだったではないか。

「これぞ、コロナ下のサプライズ。
 これなんだよ、俺の待っていたのは。
 いいか、残り物にこそ福はあるのだ!」、と鼻高々の気持ちになりましたね。

一気に上機嫌になり、モチベーションは最高潮に到達しました。

すっかり気を良くした私は、観劇に向けて周到な準備を始めました。

まず着ていく服を検討し、タンスからお洒落な服を出し、ほこりを払ってみた。

久しぶりに着るので、試しに一度試着して、鏡の前に立ってみたりもした。

しかし観劇日の数日前に、弱めながらも風邪を引いてしまい、結局はお洒落よりも暖かさ重視で服を選択する事になりました。

他に準備・検討したのは、劇場までの道順をどうするかです。

私の住んでいるのは神奈川県小田原市で、今公演があるのは東京都千代田区有楽町にあるシアター・クリエ。
(ちなみにシアター・クリエは東京宝塚劇場の向かいにあります)

普通だと、小田原駅から東海道線で長時間乗り、品川駅で降りて乗り換え、有楽町駅に着いたら駅から出て、後は歩いて劇場にインします。

これだと時間が早いんです。

しかし今回は、出来るだけ人の少ない、人込みに接しないルートが求められる。
感染を避けるための工夫が、優先となる。

上に書いたルートだと、品川駅で乗り換えた時に、人込みに揉まれる感じがいつもあるんですよ。

だから、いつもなら使わない、小田急線の特急ロマンスカーに乗るルートが、代案として浮かんでくる。

小田原駅からロマンスカーで終点の新宿駅まで行って、それから小田急線で少し戻って代々木上原駅へ。
そこで地下鉄の千代田線に乗り換え、日比谷駅で下車し、地下道でシアター・クリエの近くまで行って、地上に出現する。

このルートならば、人とあまり接する事なく、隠れるようにして現場まで行けるのではないか。

ロマンスカーも、千代田線も、昼間はいつも乗客が少ない。
今回は13時に開演なので、それに合わせて行くのだから、乗客が少ない事は予想できる。

さらに有楽町や日比谷の辺りは、地上だと混み合って人が沢山だが、地下鉄・千代田線で日比谷駅に行き、そのまま地下道にて潜伏しながら進めば、人が少ないのではないか。

地下道という穴場を使って出来るだけ現場近くまで移動し、地上に見られる混雑との接近を最小限に留める。

「時間と金はかかるが、これが最善のルートである」、こう結論しました。

もちろん、マスクはずっと着用で、さらに手袋もしていく事にしました。

それで、いよいよ観劇日の10月22日になりました。

13時に開演ですが、9時20分に家を出ました。

普段とルートを変えたので、いつも以上に時間に余裕を持たせて出発した。

ロマンスカーに乗ったところ、コロナ前と同じくらいの客数で、車内は2席づつがセットなんですが、私の隣りに座る人は新宿まで居ませんでした。
つまり、総乗客数の半数以下がキープされていた。

「よしっ! 完全に想定通りだ。やはり客が少ないぞ。」と嬉しくなった。

新宿駅から代々木上原駅へは、急行に乗りましたが、昼なのでガラガラでした。

これはコロナ前より空いてましたね。

そして代々木上原駅から千代田線で、日比谷駅へ。

こちらもガラガラで、平常時より空いてました。

この時点で、「やはりコロナ流行で、乗客が減っているな」と実感しました。

乗車中や、駅で電車を待つ間に、アナウンス放送で「コロナウイルスに対処するため、テレワークの導入をお願いします」と何回か流れるのを聞いた。

普通で考えると、そんな企業の方針について鉄道会社が乗客に求めるなんて、余計なお世話なだし違和感一杯なのだが、それを変に感じさせないのがコロナ下の凄いところ。
ある意味では危険な状態なのかもしれない。

乗客を見ていると、サラリーマンの数が少なくて、企業たちが要望に応えて努力しているのが見て取れました。

コロナウイルスが本格的に日本で流行した4月以降、東京都へは1回も足を踏み入れなかったのですが、「これならば大丈夫かもしれない」と思いましたね。

もちろん私以外も、乗客の全員がマスクを着用しています。

ただし、手袋をしているのは私だけでしたね。

もしかして、手袋はあまり意味がないのだろうか?

東京都は一時期、かなり感染者数が多かったので、未だに危険な所との認識があります。

都民だと実感が分からないかもしれませんが、隣りの神奈川県民の私から見ても「避けたい場所」で、魔窟のイメージすら若干ありますね。

GOTOキャンペーンでもしばらく東京都だけ除外されていたし、「死の臭いの漂う街」という印象が外から見るとある。

まあ冷静に考えると、東京都は圧倒的に人口が多いので、感染者数が多いのは当然だし、人口比でみると他と変わらないのかもしれませんが。

日比谷駅で下車し、改札を出ると、地下道は予想通りに人が少なく、ポツポツと居る程度です。
「しめしめ、やはりこちらはノー・マークだな。完全に狙い通りだ、私は天才なんじゃないか。」と思いましたね。

近くにあった地下道の地図を見て、シアター・クリエに一番近い出口を探し、その番号の出口から地上へ。
出てみると、さすがに人がそこそこ居たが、しっかりと距離をとれるレベルで、危険度は低い。
「完璧じゃないか、私の計算は。小田原から日比谷という都心部への長距離を、ノー・リスクで移動しきってしまうなんて、なんて凄い奴なんだ。」と、自分に惚れ直しました。

移動が順調に行った結果(しっかりと下準備をしていたのが大きい)、開演の1時間前の正午に、シアター・クリエの前に到着しました。

もちろんこれも、想定内です。
この事態になるのも予想しており、その場合は「近くの日比谷公園に行き、時間を潰しつつ早めの昼食をとる」と決めてました。

で、テクテクと歩いて日比谷公園に入った。
天気が良いのに、人はそれほど居ない。閑散としてました。

普通ならば、すぐに座れるベンチを探して、昼食に入るところです。

しかし今はやはり、食べる前にうがいをしたり手を洗う用心がいる。

というわけで、まず公園全体の地図を見て、水道を使える所を探しました。
すぐ近くにありました。

そこへ行き、家から持ってきた水入りペットボトルを鞄から取り出し、うがいをしました。
公園の水道は不特定多数が使うので、万一を考えて触れず、その水は使いません。
手袋をしているので、手は洗いませんでした。

いよいよ食べる場所探しで、人の少ない所、ベンチがありそこに誰も座ってない所、を探索しました。

これもすぐに見つかりました。
コロナ流行と時間が昼時のため、ほぼ人がおらず、空いてましたね。

そこは日比谷公園の中でも花壇(花見)のエリアなのでしょう。
花が大量に咲いていて、いかにも手をかけて育てている感が出てました。

それで花を荒らされないために、柵があって、人が入れないようにしてある。

公園のくせに、人が入れるのは細い歩道の所だけで、広大な芝生などのスペースが柵に守られて植物専用になっているのです。

「いや、公園というのは自由に移動して遊べる所だろ。だから解放感や癒しがあるんじゃ
 ないのか。
 広い芝生があるのに、そこに人が入って座ったり出来ないんじゃ、意味ないだろ。」
と思いましたねえ。

そんな不満を抱きながら、家から持ってきたパンを鞄から取り出し食べ始めましたが、ふと遠くを眺めると、公園を囲んでいる高層ビルが目に入りました。

よく見ると、四方が高層ビルばかりのコンクリート・ジャングルです。

コンクリート・ジャングルを眺めながら、「こんな所で働いたり暮らしたりして、楽しいのだろうか」と思いました。
私から見たら、牢獄や地獄に等しい場所なんですよ、高層ビル街って。

日比谷公園は、砂漠の真ん中にある小さなオアシスみたいな所で、そこには安らぎがあるが、外を見ると怖ろしさに襲われるという、安らぎと虚しさの同居する場所でした。

昼食を終え、時間を確認したら12時40分になってました。

いよいよシアター・クリエにインする時間です。

向かう途中で、本来は店内で食事をさせるお店が、持ち帰り用の昼飯を店頭に並べて売るのを目撃しました。

今流行っている事(テイクアウト・スタイル)を導入したらしく、店長らしき人が「もうすぐ売り切れで~す」とか道行く人に声を掛けている。

コロナ下ゆえの光景ですが、私は好きな画ですね。

有楽町のビル街らしからぬ画なのでしょうけど、人間の生活感が出ていて下町っぽさを醸し、気取りきった都心の閉塞感の中では生き返る心地すらしました。

さあ、ここから本題の『おかしな二人』の観劇に入っていきます。

シアター・クリエの入り口で、チケットを劇場スタッフに見せた際、手袋を外すよう言われて、素手に消毒液をかけられました。

観劇の際には、お客全員が検温器で体温をチェックされるとの話も耳にしてましたが、クリエでは行われてなかったです。

「トイレは感染するリスクが高い」と家族から忠告されてたが、さすがに開演前に行っておいたほうがいいので、劇場内のトイレに行き、用を済ました。

宝塚歌劇団の公演や、元タカラジェンヌの公演だと日常風景なのですが、男性トイレはガラガラだけど、女性トイレの行列ぶりが凄いんですよね。5mくらい並んでいたりする。
女性客が圧倒的に多いからです。

あれ、待っている間に堪えられなくなる時は無いのだろうか。
いつも心配してしまうのです。

そういえば、クリエは珍しい構造の劇場で、入り口から入場すると、いきなり地下への階段に案内され、階段を降りる事になります。

地下2階に観劇するホールがあるという、滅多にない造りをしてました。

内装を見ると新しい感じでしたが、今ネットで調べたら2007年11月にスタートした劇場で、そこそこ経ってるんですねえ。

ちなみにウィキペディアのシアター・クリエのページでは、「ターゲットは女性で、支配人・プロディーサーに女性が起用されている」と個性を紹介している。
「へえー」と思った。

客席数は600ほどで、2階席は無いし(少数のBOX席はある)、ちょうど良い大きさの劇場と感じました。
これ位が観やすいんですよ。

前から3列目の自分の席に着いたところ、舞台からとっても近かったです。

「こんなに舞台の近くで観るのは久しぶりだ、知り合いのセミプロの公演に行った時以来かもなあ」と思いました。

前述したとおり、今公演は客数を当初は制限するはずが、制限を緩和したので、「どれほどの客席をまだ制限しているのか、空席はどれ位あるのか」が気になってました。

だから幕が開く直前に客席を眺めて、埋まり具合をチェックしたのですが、1列目(最前列)以外は空けてない様でした。

どうも1列目以外は、全て売りさばいたらしいです。

「利益率から考えればそうしたいだろうが、もうちょっと空けたほうがいいんじゃないの?」と思いましたねえ。

だが、席数をもっと制限していたら、私は3列目を得られず、観劇そのものも出来なかったかもしれません。

1列目には客を入れてないので、私の座った3列目は、実質的は2列目でした。

この劇場は、私の座っている位置だと、すごく音響が良かったです。

開演前および休憩時間中には、スピーカーから小音量でバック・ミュージックが流されますが、その音質が良いし、選曲のセンスにも感心しました。

英語歌詞のソウル系とかモータウン系の音楽が流れてきて、音質が良いので聴き入っちゃうし、好きなタイプの音楽なので身体が自然にリズムに乗って揺れてしまう。

ところが幕が開いて、録音されたオーケストラのイントロが流れたら、大音量なのにちっとも乗れないし、音にも魅力がない。

音の雰囲気や、乗りの悪さ、素っ気ない四角四面な面白味のない音は、宝塚歌劇団のオーケストラに似ていた。

『おかしな二人』は、主演2人が元タカラジェンヌだし、演出も宝塚歌劇団に所属する原田諒という人。
だから録音に起用されたオケが宝塚オケの可能性はある。

とにかく、残念なサウンドで「宝塚歌劇団のオケの音に似ているな」とすぐに感じた事は、書いておきます。

それまで小音量で流れていた音楽がステキだっただけに、落差がきつかったです。

ここからは、ストーリーの感想に入ります。

初めに主役の2人の人柄について、簡単に説明します。

(※1回観劇しただけでその記憶を元に書くので、一部に間違いがあるかもしれません。
 そして激しくネタバレの内容になります。)

まず大地真央さんが演じる「オリーブ」という女性。

彼女は、仕事のできる女で、1人でマンションに暮らしており、社交的でしょっちゅう女友達が遊びに来ている。

オリーブは、生活態度はだらしなくて、自宅の中は散らかり放題で、酒やファストフードを好む乱れた食事をしている。

しかし外見はぜい肉が無く整っており、仕事も順調にいっているみたいなので、ある一線は守れる自制心があるのを感じられる。

それで元夫からたまに電話があり、金を無心されている。
すでに離婚しているのだが、元夫への愛情が残っており、相手が口の巧みなタイプなのもあって、断れずに金を与え続けている。

電話での話しぶりを見ると、オリーブの方にこそ、まだ未練があると思われる。

そんなオリーブだが、表面的には元夫とは縁が切れているので、男遊びもしているようである。

そして、花總まりさんが演じる「フローレンス」という女性。

上記のオリーブの1人暮らしの家に、夫から別れ話をもちかけられて心の乱れた状態で、友人のフローレンスが押しかけてくる。

フローレンスは、貞淑な主婦で、料理や掃除といった家事の大好きな人。
地に足のついた暮らしを好むタイプである。

一見すると妻にしたい魅力的な女性なのだが、彼女は「潔癖症」と周囲の人から言われるほどに融通の利かない性格をしている。

自分は良質な女と思っているので、相手を下に見る所が濃厚にあり、相手を束縛したくなり、自分の作った枠に相手をはめてしまう。

それで息苦しさに堪えられなくなった夫が、子供もいるのに、離婚を決断してしまった。

大きく異なる性格のオリーブとフローレンスが、どうやって親しい友人になったかは、興味深いところなのだが、残念ながら触れられない。

ここが芝居中に説明されると(台詞で言うだけでなく、過去のシーンとして演じられるとなお良い)、2人の関係を観客は理解できるので、もったいないと思った。

フローレンスとしては、「自分は全力で家族のために頑張ってきたのに、無情にも捨てられた。夫はブサイクな男で、それに我慢してきたのに、そんな男に見限られた」と怒っている。

これに対し夫は、共通の友人であるオリーブを通じて、フローレンスに本心を伝えるのだが、「妻としても母としても素晴らしいが、女としては最低だ」と言う。

何となくだが、性生活が上手く行ってないのも匂わせる言葉である。

で、フローレンスは離婚したくないのだが、夫の決意は固く、オリーブは「もう諦めなさい」的な感じでフローレンスに説き、「とりあえず私の家で暮らしなさいよ」と誘うわけです。

こうしてフローレンスが、オリーブ宅に同居する事になる。

ここまでの話で、第一部が終わり、いったん休憩時間に入ります。

私が非常に残念に思ったのは、第二部が始まった時点で、乱雑に物が散らかり極めて汚かったオリーブの家の中が、すっかり綺麗になっていた事です。

本当は、綺麗好きのフローレンスが同居を始めて、汚い部屋を片付けようとし、それに抵抗するオリーブを描く事で、両者の対立や葛藤を表現したほうがいいと思うのです。

そこが、面白さを凄く出せる重要ポイントだと思うのですが、完全にカットされてました。

第二部がスタートした時点で、オリーブの家は完全に整理整頓されてます。

だから観客は、オリーブがフローレンスに完敗した印象を受けるし、オリーブがとても淡泊な性格で優しいこだわりの無い女性に感じます。

後述しますが、最終的なオリーブの印象は、「優しい人」で終わるんですよ。

でもそれだと、「おかしな二人」にならない…。

こういう場面を入れてほしかったなあ。

汚く散らかり、ゴキブリが出たり、賞味期限切れの食べ物がそこらに落ちている、オリーブの家のリビング。

掃除を始めたフローレンスが叫ぶ。
「きゃあ! ゴキブリーー!」

ソファーにだらしなく座っているオリーブは、それを見ておかしそうに笑い、たしなめる様に言う。
「なにあなた、ゴキブリくらいいるわよ。あいつらどこでも暮らせるんだから。
 この家で暮らす以上、彼らと友達にならないと、生きていけないわよ。」

ショックのあまり顔面が蒼白になるフローレンス。
辺りを見回し、急いで殺虫スプレーを見つけようあたふたする。
それを見て、オリーブがのんびりした口調で言う。
「あら、ゴキブリ倒したいの? 確か台所にあったかなあ?」

全速力で奥にある台所に駆け込むフローレンス。
台所からスプレーを探す、もの凄い音が「バシン!」とか「ドカン!」と聞こえる。

それを聞いてソファーのオリーブは笑顔で肩をすくめる。

怒りの表情でフローレンスが台所から戻ってきて叫ぶ。
「ないーーー!、ないじゃないの!」

さすがに少し悪びれた表情を見せつつ、オリーブは腕を組み考え込ながらつぶやく。
「あれ? もしかしたら…」
そうしてリビングの一角の、雑誌が山積みになった所を指さす。

そこに走り寄り、雑誌の山をかきわけ崩すフローレンス。
そして歓喜の声を上げはしゃぐ、「あったわ! あったのよ、オリーブ!ねえ見て。」

それをソファーから見つめていたオリーブ。拍手をして褒めたたえる。
「フローレンス、おめでとう。あなた今、とっても素敵ね、輝いているわ。
 ……でも、もうゴキブリはどこかに行ったわね、残念。」

ものすごい目付きで睨みつけるフローレンス。
怒りを全身から発散させつつ、リビングの掃除を再開する。
その際、殺虫スプレーを常に近くに置き、ゴキブリの居そうな所はスプレーを構えて確認する。

それを大げさねえ、といった気持ちで眺めつつ、オリーブはソファーにて近くにあった雑誌を手に取り、鼻歌を歌いながら読み出す。
ここまでずっとオリーブは、ソファーに座りっぱなしでである。

掃除中のフローレンスは、部屋に落ちているお菓子の袋を拾う。
開封されているが、明らかに古いもので、彼女は思わず臭いを嗅ぐ。
臭いは変ではないが、潔癖症のフローレンスは眉をしかめて、ゴミ箱に捨てようとする。

「あらあら、捨てたら勿体ないわよ。まだ食べられるわよ。
 それ、私の大好物なの。無いと駄目なの。」
そういってオリーブは初めてソファから立ち上がり、フローレンスに近づいてお菓子の袋を奪う。
そしてフローレンスに優しい声で、「これ、美味しいわよ~。あなたも後で食べてごらんなさいな」と言う。

フローレンスは誠意のある表情で、「お菓子なら私が作ってあげるわよ。これ、身体に悪そう…」と心配そうに言う。

「なに言ってるの、あなた。私はこれ、2歳の時から食べてるの。
 いい、我がマディスン家が祖父の代から食べてきた、伝統あるお菓子なの!
 心配するのは分かるけど、ほら見て」
こう言ってオリーブはお菓子の袋をフローレンスに渡し、少し離れてから、スタイルの良い体型を見せるようにポージングする。
その姿はセクシーで悩まし気で、思わずフローレンスは笑顔になり「すてき」と褒める。

「分かるでしょ、フローレンス。この美しい身体。
 そのお菓子を食べてきたからなのよ。だから、とっても身体に良いんだから。」
と、オリーブは自慢げに言う。

思わず説得され、お菓子の袋を眺めるフローレンス。
すると賞味期限が昨日で切れているのに気付き、「ちょっと!、賞味期限が切れてるわ!」と驚く。

自慢してたのに水を差されたオリーブは、不満そうに袋をひったくる。
そして賞味期限を確認し、大きなため息をついて言う。
「ねえー、切れたの昨日じゃないの」
そう言って袋から1つを出して口に入れる。

びっくりしたフローレンスがむせる様にしながら、突っ込む。
「駄目よ、切れてたら。危ないわよ、それにもう美味しくないわよ。」

心底から呆れた様子のオリーブが、口をもぐもぐさせながら反論する。
「あのねえ、賞味期限というのは、あくまで目安よ。
 そんなの気にしてたら、キリがない。
 ほら、いつも通り美味しいじゃないの。平気よ、こんなの。
 ホント、美味しい。やっぱり美味しい~」
こう言ってオリーブは、天を仰いで両手を広げ、くるくると身体を回転させて喜びを表現する。

頭を抱えるフローレンス。
それを見たオリーブは改まった顔をして言う。
「ねえフローレンス、あなた、いま世界でどれだけの人が飢えに苦しんでいるか知ってる?」

突然の質問にきょとんとするフローレンス。
そしてブンブンと顔を横に振って、知らないと答える。

それを見たオリーブは勝ち誇った様子で、上から目線で言う。
「あなたはやっぱり世間知らずのお嬢様ね~。
 教えてあげる、世界で8億人!もの人々が飢えに苦しんでるのよ。
 だから、食べ物は大切にしないと駄目。
 賞味期限なんて気にしたらいけないわ。」

腹が立ったフローレンスが反論する。
「大切な食べ物を、床に投げておいたら駄目なんじゃないのかしら。
 それならきちんと戸棚にでもしまっておかないと。」

適切な指摘にやや動揺するオリーブ。
「投げてるんじゃないの、置いているのよ。
 ちゃんと把握してる。きちんと管理してる。ホントよ。」

こんな風な展開を入れれば、オリーブのおかしさが表現され、フローレンスの家庭的な美質も表現できます。

これが無かったので、オリーブの駄目な点や我儘な点を十分に観客に伝えきれなかった。
結果として、部屋が綺麗になった後に展開される、フローレンスの病的な潔癖ぶりばかりが強調される芝居になってました。

それで、第二部になると、オリーブの住むマンションの別階に引っ越してきた、2人組のスペイン人男性が新たに登場します。

この2人は兄弟で、実は2人共に離婚しており、元妻をスペインに置いてきている。

離婚の境遇がオリーブおよびフローレンスと似ているし、オリーブが遊び人気質なのもあって、彼らをオリーブは自宅に招いて親しくなります。

この女2人と男2人の絡みは、けっこう面白いのです。

しかし、スペイン男性を定型的な枠にはめて、陽気で口数の多い、ノリの良い滑稽な人物に描く事に、違和感を持ってしまいました。

私はサッカーが好きで、一時期はスペイン・リーグのサッカーを熱心に観てました。
それで気付いたのですが、スペイン人にも非常に幅広い性格の人がいるのです。

Jリーグに来たイニエスタを思い浮かべると分かりやすいと思いますが、寡黙なタイプや、めったに笑わないタイプや、女遊びを全くしない真面目なタイプも居ます。

物語や芝居を書くにあたり、ある程度は登場人物を世間のイメージに合わせて、単純化した性格で描かなければならないのは理解できます。

しかし、頭では理解できるのですが、『おかしな二人』に出てくる2人組のスペイン兄弟を見ていて、「スペイン人をバカにしてるんじゃないか?」と感じてしまいました。

私の知っているスペイン人って、もっと賢く、真剣なものを持つ、誇り高い人々ですけどねー。

このお芝居では、スペイン兄弟に「私たち兄弟は、性格が大きく違います」と語らせ、別の個性があるのだと台詞上では訴えてます。

しかし芝居全体を通してみると、兄弟は大して変わらない動き(表現)を見せてます。

本当に性格を変えて、一人を寡黙なタイプにしたら、もっと話に深みが出たかもしれません。

第二部では、主にフローレンスの引っ込み思案さや、潔癖な性格が描かれています。

率直に言って、このお芝居は、フローレンスの方がオリーブよりも性格や境遇が細かく描かれていて、主役になってます。

原作だとどうなのか分からないが、この演出家・原田諒さんがアレンジしたバージョンでは、フローレンスに力点が置かれてます。

これは演じている花總まりの好演も影響してます。

上記した通り、第二部では開始の時点で、オリーブの家は清潔感に溢れた室内に変貌しています。

そうしてフローレンスは、夫と暮らしてきた時と同様のペースで、家事に働くわけです。

フローレンスが管理する、清潔で整頓され、きちんと計画通りに進行する生活に、オリーブは息苦しさを感じ始める。
やがてフローレンスと口論が絶えなくなる。

この時に観客は、フローレンスの夫が体験した辛さを、夫をオリーブに替えて追体験している様に感じます。

花總まりという美人でスタイル抜群の女が、フローレンスを演じているので、彼女が第一部で夫に捨てられる場面では、「こんな良い女が、本当に捨てられるのかな?」との疑問が浮かびました。

それが第二部で、一緒に生活する者を激しく束縛する姿を見て、「これは厳しいかな、一緒に居るのは難しいか…」と思えてきます。

見た目は可愛くて美人なのに、内面にモンスターが控えているので、そのギャップがかえって恐ろしく、ホラーの芝居に見える瞬間もありました。

とはいえ、フローレンスには悪意はないし、彼女の言う「夕食の時間に遅れるなら、きちんと連絡してほしい。夕食を作って待っているのだから」といった理屈は、間違ってません。

見た目が、私の超好みの花總まりの姿なので、「色々と口やかましいが、料理も洗濯も掃除もばっちりで、外見が素晴らしいのだから、俺なら我慢して一緒にやっていけるかな」と思いました。

私ならばギリギリで我慢できそうなのですが、ズボラで自由気ままな暮らしを好むオリーブは我慢できません。

それで最終的に、「出て行って、フローレンス」になってしまう。

ここで意外な事に、フローレンスは知り合ったばかりでようやく少し打ち解けてきた程度の例のスペイン兄弟の家に、やっかいになる事を選択するのです。

これは驚きでしたね。
フローレンスが行き場を失っている事や、これまでの自分の殻を破る決意があるにせよ、男の家に、それも言葉の通じづらい(※スペイン兄弟は、英語が得意でない)者の家に、いきなり移住するのを選ぶだろうか。

その一方でオリーブには、いつも金をせびってくる元夫から、再び電話があります。

その電話では、なんと元夫は宝くじが当たったと告げて、「これまでの借金は全て返す。それで、もう君とは縁を切るよ」と話すのです。

突然に縁を切られ、どん底に突き落とされて茫然となりながらも、怒りもせず愚痴も言わずに、それを受け入れるオリーブ。
その姿には、どこかで「いつかこうなる」と予感していたものが垣間見えました。

そして観客は、「オリーブって優しい女だなあ」と思うわけです。

このオリーブが元夫から一方的に縁を切られる場面を、同じ室内のすぐ近くで、フローレンスは見ているのです。

それなのに、茫然自失の態のオリーブを尻目に、あっさりとフローレンスはスペイン兄弟の所に去ってしまいます。

「友達じゃないんかい。喧嘩したにせよ、今はオリーブの側に居てあげなよ」と思うしかありませんでした。
凄くショックでした、あのフローレンスの行動は。

それでフローレンスの去った後、オリーブは遊び仲間から慰めの言葉をかけられ、「そうね、引きずっても仕方ないし」みたいな事を言って、そこで幕が下りました。

私は、後日談があると思ったんですよ。
ここで終わったら、悲しすぎるじゃないですか。

主役であるオリーブとフローレンスの友情に亀裂が入り、友情が崩壊した状態で終わる、そんな悲しい終わり方ではコメディ作品になりません。

でも無かったのです、その後のお話が。
「マジか、おい…」と、こっちが茫然自失でしたよ。

オリーブはあっさり立ち直れたけど、私はそこまですぐには立ち直れません。

なので芝居が終わり、その後に行われた出演者たちのミニ・ショー(踊ったり、歌ったりする)が始まって楽しいムードになっても、なかなかその空気に染まれませんでした。

この『おかしな二人』は、最後の展開を変えたほうがいいと思います。

おかしさのある二人が、価値観や生き方の違いからぶつかり、大喧嘩もするが、それを通してお互いに成長し、友情も深まる。

この展開が観たいじゃないですか。
じゃないと笑えない…、今の終わり方だと笑えない…。

今の話の筋書きだとオリーブは、友人のフローレンスが最終的にあっさり喧嘩別れするのを許し、元夫が散々金をせびってきたのに大金を入手したら突如として縁を切ってくるのも許します。

だから凄い「優しい人」です。
それで同時に、哀れさも感じてしまうのです。

フローレンスには冷たさを感じ、オリーブには哀れさを感じる、そういう話の終わり方になっているので、後味が悪かったです。

全体の筋書きについては感想を述べたので、次に出演者たちの演技について感想を述べます。

まずオリーブ役の大地真央さんですが、安定感のある芝居でしたが、傑出したものが無いという印象でした。

なんとなくですが、役に入り切れてない感じがあり、脚本のせいかもしれません。

オリーブは、仕事ぶりが明らかでないし、元夫もどういう人かが詳しく語られないしで、背景が見えにくいです。

女友達がしじゅう家に遊びに来てますが、その友達たちは職業がばらばらだし、単に一緒になってクイズを解いたりするだけで、どういう繋がりで仲良くしているかが見えません。

前述しましたが、フローレンスと友達になった経緯も描かれてなく、実のところフローレンスとどの程度の仲の良さなのかも明確ではありません。

これに対しフローレンスは、結婚生活に関して多少の言及があり、子供がいる事や、専業主婦をしていた事が説明されてます。

周りから「潔癖症」とか「思いつめると何をするか分からない」と言われるので、それだけで性格をある程度理解できます。

それで、説明された通りの行動を見せていくので、違和感がないし、花總まりさんの演技にも迷いや無理がありません。

結果的に、一番理解しやすい登場人物に仕上がっており、笑いも一番取れてました。

花總まりというと、エリザベートやらマリーアントワネットやらと、一般人から隔絶した女王様系の役を振られる事が多く、その手の役のイメージが付いてます。

しかし私は、今回の芝居みたいな、普通の一般人を演じているほうが、見ていて楽しいし共感できるしで、好きですね。

とはいえ、女王様系を演じられる役者は限られているので、どうしてもそっちを振られてしまうのも理解できます。

これは演技とは関係ないのですが、幕が開いてしばらくし、花總まりが舞台に最初に登場した時、私はもの凄いワクワク、ドキドキしました。

あの胸の高なる感覚は、20年以上前に宝塚歌劇団に居た頃の彼女を初めて劇場にて生で見た時と、変わりませんでした。

「ああ、この女は美しい。今世で見た女の中でも最も美しい、俺はこの女が大好きだ。」と、再確認した瞬間でした。

今回は3列目で観たこともあって、花總まりの姿をじっくり鑑賞できましたが、本当に美しかったです。華と気品があるんですよね。

大地真央にも華と気品があるけど、役に入り切れてないのもあって、比べるとやや霞みがちでした。

本当は、主役の二人が同じ位に輝いた方が、作品の完成度は上がるでしょうね。

大地真央というと、宝塚時代の男役のイメージや、テレビ番組で見たイメージから、お洒落な恰好でズバズバと言いたい事をいう勝気な女だと思ってました。

ところが実際に見た彼女は、細やかさや優しさが強くありました。
「こんな女だったのか」と認識を改めるほどに、役を超えてにじみ出るものがありましたね。

オリーブがフローレンスを脅かしてイタズラする場面がありましたが、そのイタズラする時でさえ、相手を必要以上に驚かさない様に気を配る気持ちが見て取れました。

「優しい女だな、大地真央って」と、妙に感心しちゃいましたよ。

次にスペイン兄弟を演じた芋洗坂係長さんと渡辺大輔さんですが、基本的に好演してました。

ただし前述しましたが、スペイン男性を偏見まっしぐらの状態で、固定観念に基づいて描く脚本のため、好演しているにも関わらず役に魅力が無かったです。

台詞の掛け合いは面白いし、けっこう笑いも取ってましたが、最終的に全体を通して見ると感動に繋がるものが無かったです。

10分のコントだったら笑えるだけでいいけど、2時間のお芝居で笑えるだけなのは「違うな、間違っているな」と思うんですよね。

あと、芋洗坂係長さんは太りすぎで、演技よりもお腹に目が行っちゃいました。
そういう役ならばいいんですけど、たぶんあの役はもっと外見が格好良いはずです。

健康のためにも、痩せた方がいいな。演技力があるのに、腹のでっぱりが強烈なので目に焼き付くらしく、今ではそればかり思い出してしまいます。

他には、オリーブの遊び友達が4人出てきますが、あまり描き込まれておらず、印象は弱いですね。

オリーブとクイズとかの遊びをするだけで、4人共に知的な部分が描かれてないため、非常に精神的に未熟な感じを受けてしまいます。

もっと4人の内面を描くか、徹底的にドタバタさせるか、どっちかにした方がいいのではないかと思いました。

4人のうちの1人は、南海キャンディーズのしずちゃんが演じているのですが、彼女は他の出演者と台詞の言い方が違い、浮いてました。

他の出演者たちは舞台役者の定番的な発声やしゃべり方をしてますが、しずちゃんだけは一般人が話す感じでそのまま舞台にあがってました。

私としては、あれはあれで個性があり、アリだと思います。

他の出演者と違う流儀なので、完全に浮いているのですが、現状だと中途半端で、ハマってないばかりか笑いも取れてません。

どうせ浮くなら、徹底的に浮くおかしなキャラに仕上げて、それで笑いを取ってほしいですね。

全ての登場人物について、もっとどんな人かの説明や心理描写があった方が良いと感じました。

①オリーブとフローレンスが、過去でどの様に友情を育んだかを、過去の回想シーンにするか台詞で言うかして、きちんと説明する。

②フローレンスが同居した後に、部屋を片付けたいフローレンスとそれに抵抗するオリーブのドタバタを入れる。

③ラストの物語の締め方を、今の悲劇的な終わり方ではなく、希望のある楽しい形にする。

以上の3つの修正をするだけで、だいぶ話が分かりやすく面白くなると思います。

現状だと、芝居後にミニ・ショーがあり、役者が踊ったり歌ったりするのですが、あれは要らないので、その時間を芝居に充てて、登場人物の掘り下げをして欲しいです。

最後に明るいミニ・ショーを置くという構成は、それまでの話がハッピーエンドにならないので、違和感があったし、正直なところ感心しませんでした。

しかしショーで花總まりさんは、歌では音を全く外さず、踊りも良かったです。
そこには大いに感心しました。

「おっ、今回は音が全然外れてないぞ」と、プレミアム・シンフォニック・コンサート後の努力の跡が見えましたね。

まりさんは音を外してなかったのですが、他の人に外している方がいて、合唱になると綺麗な和声になってなかったです。

日本の芝居だと、だいたい外している人がいて、美しい和声にならないんですよね。

これが改善されると良いのですが…。

まりさんの踊りについては、私は彼女の身体の動かし方がとても好きです。
粋で、上品で、崩れた感じを一切出さない綺麗なスタイル。

今風のくだけた感じとか素人っぽい感じが全くない、生真面目なスタイルで、オールド・ファッションと評する人もいるかもしれないが、単純に見ていて気持ちが良いし、美しいと思います。

以上で『おかしな二人』の感想・論評を終えます。

そういえば今公演は、コロナ・ウイルスの流行の影響で、役者の入り待ちと出待ち、役者への差し入れが禁じられてました。

その旨の放送が、開演前と休憩時間中にありました。

今の状況ならば仕方ないと思いますが、演劇とか舞台の文化の1つなので、無いのは寂しい感じがありますね。

まあ私の場合、入り待ちも出待ちも1度もした事はないのですが。

終演後には、お客が出口に殺到するのを防ぐために、前の席の人から順番に退場する形を採り、劇場内のアナウンスに従って混まない速度での退場となりました。

私は前から3列目だったからすぐに順番が回ってきたのですが、正直なところ、最後尾の方は待つのが大変ですね。

これもコロナ下ならではの事でした。

そして、後ろが詰まるとマズイので、退場するとそのまま全員が劇場から出て帰路につく事になりました。

普通だと、終演後にはロビーにて公演や出演者に絡んだグッズを販売し、それを物色するお客がいるものです。
これが、お客がすぐに劇場から出されるので、行われませんでした。

グッズの売り上げはかなり低調にならざるを得ないでしょう。

さて。
私は帰路につきましたが、来た道を戻り、代々木上原駅からは小田急線の各駅停車に乗りました。

安全性からいえば特急ロマンスカーに乗るべきなのですが、さすがに行き帰りの両方で特別料金をとられる特急に乗るのは厳しく、もう時間を気にする必要はないし、乗客の少ない各駅停車でチンタラと帰る事にしたのです。

しかし時刻は夕方にさしかかり、帰宅する人が増えていて、各駅停車でも立ち客がそこそこ居ました。

各駅だと小田原までえらい時間がかかるので、急行に乗り換えるのも考えたのですが、途中で連絡した急行の乗車率を見たところ、立ち客まで一杯で、客同士の身体が触れている状況でした。

コロナ前より少しだけ混雑が緩和されているかな、という位で、私の感覚では安全だと思えず、乗り換えるのは諦めました。

あの急行の混みぶりでも感染者が爆発しないのだから、現状ではそれほど感染力は強くないのでしょう。

これから冬になると感染力が上がると言われているので、どうなるかですね。

大事をとって各駅停車に乗り続けましたが、小田急線の小田原行きを利用している方だと分かると思いますが、本厚木駅が1つの境界になっていて、そこを過ぎると一気に乗客が減ります。

私は本厚木駅までは、他人と距離をとろうとして、ずっと人の少ないエリアに立ち続けてましたが、そろそろ座席も空いてきたし、座ることにしました。

座ると隣りの人と肩が触れる状態になり、立っているよりも距離が近くなります。
お互いにマスクをして、正面を向いているので大丈夫なんでしょうけど、ちょっと緊張しますねえ。

それにしても、電車内で会話する者が全くおらず、シーンと静まりかえっているのは、やはり異常な事ですね。

乗客全員がマスクをしていて、なおかつ一切しゃべらないというのは、今なら当然なんですけど、もし今年の1月とかコロナ前からタイムスリップして来た人がいたら、「日本にとても似ているが、別の世界に来てしまったのか」と思うかもしれません。

こんな光景は、私の今世でも初めての事です。

しかし、静かに読書をする人や、寝る時間にしている人だと、むしろ快適なのかもしれません。

私が学生だった頃は、友達と一緒に電車に乗ったら、目的の駅までずうっと会話を楽しむのが当たり前でした。

当時はスマホも携帯電話も無かったので、話して時間を潰すのが一般的で、友達と一緒なのに話さないと「不機嫌なのか?」とか「具合が悪いのか?」と疑われるほどでした。

それがスマホの登場で、友達同士でも車内で会話する事が減ってきて、コロナ後は全く会話がない状態となりました。

昔を思い出すと、もはや別世界と言っていいです。

携帯やスマホが普及した事について、「直接の会話が減り人間関係が希薄になった」とか「昔の方が濃密で良質な人間の繋がりがあった」とか「スマホ等のせいでコミュニケーション能力が落ちた」と説く人がいます。

私はそんな風には思わないですね。

私が学生の時分に電車内で友達と話した事は、振り返ると90%以上がどうでもいい事だったと思います。

「あのテレビ番組は見たか?」「見たよ」「面白かったよな」「ああ、面白かった」。

「もうすぐ期末テストだろ、俺まだ勉強始めてないよ」「おい、そろそろやらないとマズイだろ」「分かっているんだけど、やる気が出ない」「実は俺もだよ」「あんなのやる意味ないだろ」「そうなんだけど、進学に響くからな」「しゃあねえからやるか」。

こんな感じで、無かったとしても全く問題ない会話ばかりでした。

電車内での会話に限らず、友達と多くの時間を共有し、色々な事を話したのですが、今となってはそのうち5%も思い出せません。

もう思い出せないが非常に有益だった会話や、今思い出しても役に立ったなと感じる会話もあるのですが、全体の3%くらいなのではないかと思います。

要するに97%くらいはダラダラと時間潰しに話す感じで、あれの積み重ねで人間関係が濃密になったとか、コミュニケーション能力が上がった気がしないのです。

だから今の若い人が、横に友達がいるのにスマホを操作する事が、悪い事だとは思いません。

とはいえ、どうでもいい話を大量に積み上げる事で、友達との親近感や信頼感が醸成され、イザという時に深い話が出来る事もありました。
だから全くの無駄でもなかった。

しかし冷静に振り返ると、深い話をしたのは、普段はほぼ話さない知り合い程度のクラスメイトなどと、ある時に何かの機会があって二人でゆっくり話す事になり、意外な接点があって話が盛り上がった末というパターンが結構ありました。

深い話をしたのは、必ずしも普段の交流の多さとは関係なかったです。

結論としては、今の学生と昔の学生に差はない、上下はない、と感じてます。

ライフ・スタイルや使う道具が変わっただけで、人間力に上下はないと思います。

「昔の方が不便だったが、それゆえに他人と協力する必要が生じて、人間力や協調性が生まれた」と説く人がいるのですが、説得力を感じないんですよね。

昔の人のほうが人間力や協調性があったなら、戦争という愚かな行為が今よりも少なかったはずです。
でも昔のほうが戦争は多かった。

ぶっちゃけた話、スマホばかり見ていても、そこで良質の情報や人をきちんと選んで接していけば、人間力も協調性も養われると思います。

だから今の世相が昔より劣化しているとか危険とは考えてません。

今回のコロナウイルス流行も、人生を見つめ直す機会にしたり、それまでの生活を改善するきっかけにだって出来るわけで、その人の捉え方しだいです。

こんな感じに、今の世相を観察して、昔と比較しつつ、思索しながら、小田急線に乗ってました。

そのうち、油断してはならないと思っていたのですが、観劇と長距離移動の疲労から、ついつい寝入ってしまいました。

それで、気付いたらもう新松田駅でした。
ここまで来ると、終点の小田原駅まで20分もかかりません。

すると、ちょうど向かいの席に、中学校と思われる制服を着た13歳ほどの女の子が座ってました。

その子は、私が首をガクンと大きく前に倒して爆睡していたのを気にしていたらしく、こっちを心配するような、不思議な生物を見るような目で見ていました。
その目と、私の目が一瞬合いました。

それで私は、「いかん、いかん。よほどだらしない格好で寝ていたらしいな。もう小田原が近いし、起きなくては」と思い、崩れていた身体を立て直して、車内を見回してみました。

新松田駅まで来ると、そこから先の大きな駅は終点の小田原のみとなり、乗客も激減しています。
私が眠りから覚めてみると、ほとんどの乗客は消えており、同じ車両内に3~4人しか居ませんでした。

徐々に寝ぼけていた頭がすっきりしてきましたが、その時に向かいの女の子がマスクをしてない事に気付きました。

この日、それまで電車内でマスクをしていない人は居なかったので、「おっ、マスクをしてない!」とやや驚きました。

いくら車内に人が少なくなっているとはいえ、この時世にマスクを電車内でしないのは、かなりのチャレンジャーです。

だから一気にこの女の子への興味が出て来て、さりげなく観察してみました。

細身の身体で、身長は普通くらい。
顔は割と整っており、マスクをしてない事を何とも思ってないらしく、自宅で寛いでる時みたいなボーッと油断した表情で、周りの目を気にしてなくて、全体として浮世離れした雰囲気を持っている。

「どうも妖精みたいな子だな。細身で華奢だし、別世界に住んでいるような雰囲気がある」と、その個性に感心しました。

あまりジロジロ見るのも悪いので、視線を彷徨わせながら少しづつ観察したのですが、そのとき彼女が大きな動きを見せて、気になった私が彼女の顔に焦点を結ぶと、再び目が合いました。

この瞬間に、驚愕の事実を知りました。

今まで気付かなかったが、彼女は右手に箸を持っていて、何かを口に運んだのです。

よく見たら、閉じた両太ももの上に、小さな弁当箱が載ってます。

「食ってるよ、この子! 電車内で、のんびりと弁当を食っているよ!」と、思わず叫びそうになるほどの衝撃を受けました。

以前ならば、何でもない光景です。
電車内で軽い食事をとるなんて、当たり前の出来事でした。

だが今はコロナウイルスがあります。
全員がマスクをしている中、当然ながら食事をする者はいません。

「マスクをせず、さらに空いているとはいえ車内で食事をするなんて、どれだけ挑戦的なんだよ。凄い子だな。」と再び感心しました。

現在では非常にとんがった行為なのだが、彼女はその自覚が一切なくて、相変わらずボーッとしながら、たまに右手を動かして口にものを入れている。

実にゆっくりした食事で、焦りは全くありません。

奇跡を見た気分になり、「本当に妖精なのかもしれない」と思わず彼女をまじまじと見てしまいました。

すると又彼女と目が合ったのですが、こっちを「この人、不思議な人だなあ」という視線で見てくるのです。

「いや、違う、違う。不思議キャラは君なんだよ!」と、心の中で激しいツッコミを入れました。

観察を続けたところ、どうも彼女は食べ残した分を、いま弁当箱を開いて片付けている様子でした。

「もう少しで家に着くんだろうに、あえて今食べるか?」と、再びツッコミを入れました。

何となくですが、もう家が近い感じが伝わってきたのです。

実際に彼女は、小田原駅の少し前の、蛍田駅で下車しました。

彼女が消えた後、「もしかして弁当を残した状態で帰宅すると、怒られる家庭なのだろうか」と考えてみました。

それならば無理をしてでも食べるのが理解できます。

しかし彼女の雰囲気と動作は、家に着く前に焦って食べている感じは無かったです。

余裕たっぷりで、緊張感の一切ない食事ぶりで、「家は近いが、腹が減ったのでつい残り物を食べてしまった」としか見えない態度でした。

『きっと彼女は、コロナウイルスを何とも思っていないのだ。もしかするとコロナウイルス自体を知らないのだ』と思うしかありませんでした。

この世界には、実に多様な人がいます。

私はかつて、サッカーのW杯や冬季五輪の開催中に、それを全く知らず、こっちが話題として振った時に「えっ! 今やっているんですか!」と驚きながら返事をする者に会った事があります。

世間が大盛り上がりし、メディアが大きく取り上げている状況でも、それを知らない人が存在するのです。

この経験があったので、コロナウイルスを知らない、もしくは忘れている人が居るのは、あり得ると考えました。

人間というのは面白いもので、自分が関心のない、もしくは理解が出来ない事柄だと、どれほど他人から言われても頭にも身にも入りません。

きっと彼女は、周りの人や学校の先生から、コロナの危険性を何度も聞かされたはずです。

しかし彼女は、全く関心がないか、理解が出来ないかで、綺麗さっぱりと忘れるのでしょう。

他者から聞かされて頭に入ってくるコロナの情報を、常に消去しているか、遮断していると思われます。

これは、その人にとっては自然に行われるし、それが個性や主張にも繋がるので、非難する事は出来ないと、私は考えてます。

実のところコロナへの見方や態度は、年齢によってかなり変わるはずです。

すでに子供や10代の若者たちの場合だと、感染してもほとんど重症化しない事が判明しています。
もちろん彼らは、親や周りの人達に感染させないために気をつけるでしょうが、ついつい油断する時も出てくるでしょう。

正直に言うと、私自身が「もし自分が10代の年齢で、親以外に同居する者がいなかったら、あまりリスクを感じなかったろう」と思ってます。

私の場合、両親が20歳の時に生まれたので、自分が10代ならば親は30代で、まだまだ若い年齢です。
だから、周りにいる高齢の人に対しては感染させるのはマズイし気を使っても、自分が感染する事と家庭内感染にはそれほど気を使わなかったでしょう。

上に書いた女の子も、自分には危険がないと考えている可能性は高いと思います。

それで気が緩み、電車内の人が減ってきたため、マスクを外して弁当まで食べてしまったのでしょう。

しかし彼女の場合、思わずやってしまったというよりも、そもそもコロナウイルスを知らないのではないかと感じるほどの能天気さでした。

そうして、その姿がとっても可愛らしかったです。

私には、あの可愛い態度を、批判したり叱ったりは出来ません。

自宅に戻ると、すぐに手洗いやうがいを行い、着ていた服も洗ったり隔離しました。

万が一にも自分が感染していて家族に移したらマズイので、それから2週間ほど自宅内でもマスクを着け続けました。

90歳をとうに過ぎている祖母が同居しているので、細心の注意を払わざるを得ません。

この記事は10月24日に書き始めて、ここは11月14日に書いてます。

現時点でも発病しておらず、潜伏期間を考えても感染しなかったのは明らかです。

無事に愛する花總まりの出る公演を観ることができました。
ありがとうございました。

最後におまけで言いますが、東京オリンピックはやれないと思うなあ。

そろそろオリンピック利権に浸かっている人々も、開催を諦めてくれないかな。


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