「NO WORDS NO TIME」を観た感想
(2013.1.30.)

二日前の1月28日に、花總まりさんの出演している「NO WORDS NO TIME」を観劇してきました。

この公演は、『セリフが一切無い、役者の表情・身体の動きと音楽だけで芝居をする』という特殊なスタイルの公演です。

まりさんを応援している私としては、どのような内容でもあまり気にしないのですが、今公演はかなり異色でしたね。

公演場所はグローブ座で、ここはジャニーズ事務所が持っている劇場みたいです。
初めて入ったのですが、席数が700と適度な数で、舞台と客席が近くとても見やすい劇場でした。

席数が1000を超えると、見づらいし音響も悪くなるので、私は好きではないです。

今公演は、主役はジャニーズの東山紀之さんと田口淳之介さんです。

まりさんと黒田育世さんが準主役で、それ以外に10人ほどの方が出演しています。

舞台が小ぶりだった事もあり、シンプルな雰囲気が漂っていました。

この公演は、セリフ無しでただでさえ分かりづらいのに、『踊りには前衛的な(今ではもう前衛ではないかな…)現代舞踊が採用されています』。

回りくどい、装飾を多用した踊りが展開されていて、ストーリー理解をさらに難しくしていました。

おそらくストーリーよりも、『一つ一つの場面の衝撃度』を重視しているのではないかと思います。

この手の作品は、極端に走りストーリーが破綻する場合が多いのですが、この作品はバランス感覚があり、ストーリーが一応最初から最後まで繋がっていました。

セリフが全くないので、ストーリーを追うのはとても大変でした。

それを制作側も自覚しているらしく、この公演では珍しいことに、『希望するお客さんには開演前に、ストーリーの概要を説明する紙を渡して』いました。

私はその紙を見ないで公演を観劇し、終演後も見ていません。
別に深い意図は無く、ただその紙を配っている人に出会わなかったのです。

一緒に観劇した母は、紙をもらっていました。
母によると、紙には色々と説明が書いてあるみたいですが、私は自分がまっさらの状態で見た感想を重視します。

紙の解説はあえて読まずに、この感想文を書きます。

ですので、おそらく制作者が意図したものと違うストーリー解釈をしていると思います。

でも、セリフ無しの作品を作っている時点で、様々な解釈が生まれるのを覚悟しているし、制作側はむしろそれを狙っているくらいでしょう。

今作品は、誰にでも明確に分かるようなストーリーではありません。

でも、ストーリーの無い、踊りだけを見せる作品でもないのです。

どうですか、困ってしまうでしょう?

これを読まれている方はストーリーが分からないと、この記事を読んでもちんぷんかんぷんだと思うし、私自身もあらすじを書いて整理してみたいです。

(整理しないといけないくらいに難解な、軟体動物みたいに掴みどころのないストーリーなのです)

なので、とりあえずストーリーを書き出してみます。

ここから書いていくストーリーは、あくまでも私が解釈したものです。
あらかじめご了承下さい。

普通だと登場人物の名前で記していきますが、セリフが無いので登場人物の名前が分かりませんでした。
なので、役者の名前で記していきます。

○ 私が解釈したストーリー

まず最初に、主役の東山さんは30歳くらいのサラリーマンで、人生に疲れきっています。

彼は、毎日を嫌々ながらに生きており、人生の目標を見失っています。
上司の女性には黒田さんがいて、心にかけてくれているのですが、全く気付いていません。

彼には妻と子供がいたのですが、何らかの事情があったために、今は一緒には暮らしていません。
そして、その事に傷ついています。

こういったストーリーの冒頭部分を、東山さんはセリフ無しのため表情&動きで表現していくのですが、表情が全然なく動きもダラダラしているために、ほとんど伝わってきません。

東山さんは、疲れている人間の表現を間違えていますね。
「疲れている」というのを相手に伝えるためには、けっこう表現しないといけないんですよ。
それは普段の人々の生活を見れば分かります。

「俺は人生に疲れた」というのを態度で表している人は、それを表現するのに「自分のかなりのエネルギー」を割いています。
それを表現する事を自己表現のメインにしているのだから、当然なことです。

東山さんは、「人生に疲れている」という事を、もっと明確に大胆に表現した方がいいです。
『表現しない事が疲れているのを表すこと』ではありません。

ストーリーの説明に戻りますが、東山さんは過去の思い出に生きているため、だんだんと現在と過去の記憶が混じってきて、精神に異常をきたしてきます。

そしてある日、ついに別の世界(パラレルワールド)に入り込んでしまうのです。

そしてその世界で、妻だった花總まりさんと、もう一人の自分(もしくは自分とよく似た外見のライバル)の田口さんに出会います。

田口さんは、制作者の意図では「東山さんとまりさんの子供」らしいのですが、そうは見えなかったです。

ストーリーのこのあたりで明らかになるのですが、まりさんはすでに死んでおり、東山さんとまりさんの間に生まれた子供もすでに死んでいます。

つまり東山さんは、パラレルワールドで死んだはずの妻に再会したのです。

東山さんと田口さんは、最初は対立するのですが、すぐに仲良くなります。

そしてまりさんを含めた三人は、「私達は仲間だよねー」と抱きしめ合います。

東山さんとまりさんの抱擁は、本来は「感動の場面」になるはずです。
もう二度と会えないと思っていた二人が、パラレルワールドではあっても再会を果たすのですから。

しかし私は、感動できませんでした。
展開があまりに唐突(非現実的)なので、私は感情移入できず、クールに眺めるしかありませんでした。

実は東山さんとまりさんは、幸せな結婚生活を送っていたのではありませんでした。
それは、次の回想シーンがあることから判明します。

まりさんが生きていた頃、東山さんはまりさんにプレゼントを買ってきて、渡そうとします。

しかし、まりさんはなぜかとても心が折れており、プレゼントを受け取らずに床に叩きつけてしまうのです。
そして二人は別々の場所で、泣き崩れます。

この回想シーンから、「東山さんとまりさんは結婚していたが、幸せな家庭ではなかったこと」が分かるのです。

私はこの場面は、『二人の間に生まれた子供が何らかの事情で若死にしてしまい、それ以来まりさんの心が閉ざされたのだ』と感じました。

とにかく、この夫婦はあまり上手くいっていなかったのです。
だから、パラレルワールドで再会しても、本当は関係を修復することから始めなければいけないはずです。

なのに、いきなり最初から仲良くなるので、「???」と感じてしまいました。
私は二人の抱擁に、感動できませんでした。

さて、パラレルワールドは、なぜか悪の支配者によって統制されています。
そして東山さんは目を付けられて、捕らえられてしまいます。

東山さんは、まりさんと田口さんによって救出されて、なぜかパラレルワールドにいる上司の黒田さんのサポートもあり、現実世界(元の世界)に戻ることに成功します。

普通なら、東山さんが現実世界に戻る際には、まりさんや田口さんと感動の別れをしますが、そういう泣かせる場面はありませんでした。
あっさりと、「スーッ」と現実世界に戻ってきます。

(もしかしたら、別れの場面があったのに印象に残っていないのかもしれません。別れの場面がないのは、あまりにも不自然ですからね。)

元の世界に戻った東山さんは、再びいつもの生活に戻るのですが、出勤すると何故か『上司の黒田さんが、まりさんに変身して』います。

これを見た東山さんは、求愛のダンス(仕草)をし、まりさんも求愛ダンスを返して、『めでたしめでたし、二人は結ばれたのでした』となり、幕が下ります。

難解なストーリーをここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございます。
お疲れ様です。

あらすじを書いてきて思いましたが、めちゃくちゃな話ですね。

自分が夢の中で体験したことについて、目が覚めた後に「なんだこの展開、訳が分からねー」と思うことがありますが、それに近い気がします。

私は、東山さんがパラレルワールドに行ったあたりから、「???」と思う場面が増えました。

特に最後の「上司の黒田さんがまりさんに変身している場面」は、どうやっても解釈不能で、「だめだ、分からん」とお手上げ状態でした。

最初の20分くらいは、割とストーリーを把握できたのですが…。

要所要所で、赤ちゃんが出てくるのですが、「その子は二人の子で、まりさんはかわいがっていた。そして若死にした」としか分かりませんでした。

あと、まりさんの死因は交通事故だったらしいです。

私は残念ながら、このストーリーにほとんど心を動かされませんでした。
その原因のほとんどは、東山さん演じる主人公に、成長の足跡が見られなかったからです。

基本的にこの作品は、主人公の内面世界を多く描いており、実はパラレルワールドすら彼の内面世界なのかもしれません。

そうやって彼の内面を数多く描いていきながら、最終的に彼の心に変化や成長があったことを、私は感じ取れませんでした。
これは、東山さんの演技に力量不足があるのだと思います。

まあ、ほとんどがダンスで表現されるため、ダンスがすてきならそれでオッケーだったと思います。
しかし、それが前衛舞踊なので「うーん」となってしまいました。

普通のスタイルの優雅な踊りだったら、まりさんはすばらしいダンサーだし、楽しめたと思います。

○ 各役者の演技についての感想

ここからは、各役者の演技について感想を述べます。

まず主役の東山さん。

演技力がありませんでした。
なにしろ、心情が伝わってきません。能面みたいに、表情に変化がないのです。

踊りにも、躍動感や覇気がなかったですね。

どうもやる気がないような感じでした。
この公演は休憩時間がなくて、休みなく2時間弱も動き続けるので、疲れてしまっているのでしょうか?

終演後の挨拶でも、能面でした。
私は東山さんをテレビ以外では見た事がなかったのですが、こんな人なのでしょうか。

次は、田口さん。

東山さんよりは、良かったです。
まず、表情がありました。

そして、表現している事が基本的には伝わってきました。

ただし、どういう人物なのかが、最後までよく分かりませんでした。

踊りは若さもあり、けっこう良かったです。

次に、我が最愛の人、花總まりさん。

頑張っていましたが、特に後半部分では「なにを表現したらいいの? どう表現したらいいの? 私は困っています」というのが、伝わってきました。

彼女は今回のような『セリフ無し、前衛的な踊り中心』というスタイルは、初めてです。
さらにストーリーもあいまいな点が多いので、演じていて方向性を見失う時があるのだと思います。

「全力を出したいのだが、どういう風にエネルギーを投じたらいいのか分からない」と思っているのだと想像できました。

私が思うに、このような前衛舞踊(あえて回りくどくして、装飾を多くし、抽象度を高める踊り)は深く考えすぎずに、「パコーン」とやりきった方がいいと思います。

踊りを観ていて思ったのですが、前衛舞踊は『別の星の表現方法』みたいです。
地球以外の別の星では、感情をこのように表すのかもしれません。

「なぜ、この表現手段をするの?」と考えるよりも、「私の世界では、このように表現するのです」と、相手に教えるくらいの気持ちでやりきった方がいいと思います。

苦戦しているとはいえ、まりさんの踊りは優雅で、他の人達とは同じ振りでも全然違うものに仕上がっていました。

彼女は、円を描くような体の動きをしますね。

振付家はまりさんにも、他の人達のような直線的な振りを付けていると思うのですが。

まりさんがこだわって違う動きにしているのか、それとも直線的な動きはしたくてもできないのか。
どちらなのかが、とても気になります。

おそらくこだわってしているのだと思うのですが、それならば『妥協をしない、我が道をいく』スタイルを貫いています。
「えらいぞ、まり。そういう所がとっても好きだ。」と称賛・応援します。

彼女の役は、赤ちゃんを抱いて登場する場面が何度もあるのですが、その抱きっぷりは少しぎこちなかったです。

こういうのは、私生活で赤ちゃんを抱いた経験が大きいですね。
彼女は子供を産んだことがないですから、仕方ないです。

彼女の登場場面は、予想していたよりも少なかったです。

ファンとして物足りない気もしますが、私の場合まりさんの踊る場面が多いと「まりさんの体力は大丈夫だろうか。ケガなどしたらやだなあ。」と心配になるので、ちょうどいいレベルでした。

観劇し終わった後に、「これなら、まりさんは疲労を溜めずに公演できるだろう。安心したー。」と思いました。

細かい話になりますが、まりさんが本格的に最初に登場する場面では、男二人に担がれて出てきます。
その時は、担がれる側もけっこう体力が必要な姿勢です。

笑ってしまったのですが、その場面は、何と3回も繰り返されるのです!

前衛芸術と呼ばれるスタイルは、『一つの事を何度も執拗に繰り返す』という手法をよく使うのですが、私はなぜか笑えてしまうんですよね。

どんな表現であれ、一回しっかりと表現すればそれで伝わると思うのですが…。

東山さんがまりさんに口づけをしようとして、それを田口さんが止める場面もありました。
ドキドキハラハラでしたよ。

東山さんがもし口づけを成功させていたら、ずっと不愉快な気持ちで観劇したかもしれません。
田口さんは、グッドジョブをしました。

私は、まりさんを1人の女性としても深く愛しているようで、彼女が男性といちゃつく場面があると嫉妬心が湧いてくるのです。

彼女が宝塚にいた頃も、男役が女性だと分かっていても、男役といちゃつくとイライラしていました。

「女優は芝居の中で男とキスしたり抱きあったりする」と、頭では理解していても、不愉快になるのを抑えきれません。

まりさんは、とても華があり舞台上で輝く役者です。
この公演でもその特質は、しっかりと見て取れました。

彼女は常に姿勢が美しく、どの場面でも気品をたたえていました。

もったいないなと感じたのは、その華やかさを活かせる場面がなかった事です。

全体的に暗い話だし、基本的にまりさんの役は「死者、あるいは悪の支配者が君臨するパラレル・ワールドの住人」なので、華や活力を表現できないんですよ。

次は、黒田育世さん。

彼女は、なによりもすごい筋肉が印象的でした。
特にふくらはぎが凄かったです。

逆に言うと、演技の印象は薄いです。
彼女は踊ることに一生懸命で、踊りで何を表現しているかに、あまり気を使っていないです。
そこが残念でした。

他の出演者の中では、女性の一人の方が良かったです。
名前が分からないのですが、おそらく一番年配の方です。

彼女は単に踊るのではなく、場面ごとに何を伝えればいいのかを考えていました。
それが表情に出ていました。

○ 他に感じたこと

まず幕が開いてすぐに思ったのは、『音響がいい』という事です。
先日に観た「エリザベート・ガラ・コンサート」の音とは、雲泥の差がありました。

音が締まっていて、各楽器の音に深みがあり、低音の音程もきちんと出ていました。

「エリザベート・ガラ・コンサート」は生演奏だったのですがね…。
音質では「NO WORDS」の方が、はるかに上でした。

会場の音響は、本当に大きな要素です。
やはりグローブ座くらいの大きさの方が、音響的にはメリットがあります。

音響がいいので、音楽をじっくりと聴けたのですが、ジャズが基調になっていました。
それもリズムが一定ではないフリージャズ的なものが多かったです。

どなたが演奏された(録音に参加した)のか知りませんが、演奏のレベルはかなり高かったですね。

まとめの感想になりますが、この公演は『セリフ無し』というそれだけで充分にハイレベルなチャレンジをした上に、さらに『前衛舞踊を採用する』というチャレンジをしています。

そのため、お客さんにしっかりと伝えるのは、とても難しいと言わざるを得ません。

この作品は、全体の完成度を高めるよりも、場面ごとに気迫を表現するほうがいいかもしれません。
まだ役者たちは、常識に縛られていますね。

「私は宇宙人です。地球に新しい表現手段を伝えに来ました」みたいな気持ちで演じると、案外うまくいく気がします。

後は、コメディに転化していくとクオリティが上がると思います。
少し表現を変えただけで笑いを取れる場面が、たくさんありますよ。

役者みんなが、真面目にやりすぎている気がしますね。
「電車内ですれ違って会えない場面」や、「通り抜けられないガラスを抜けようとする場面」は、元々から笑いを取る場面だと思います。


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