ジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」①

ジョン・コルトレーンは、ジャズ史上で最大のミュージシャンの1人です。

テナー・サックス奏者としてはジャズ史上で5指に入るし、1960年代のジャズ界をリードした人です。

ちなみに、彼はたまにですが、ソプラノ・サックスも吹きます。
一般的には評価が高いのですが、私は彼のソプラノ・サックスにどうも馴染めません。

聴いていると、飽きてしまいます。
テナーと比べるからかもしれませんが、単調な気がします。
名盤とされる『マイ・フェイバリット・シングス』も好きではありません。

彼のテナー・サックスの音は、とにかく緊張感が高いです。

テナー・サックスは、リラックスしたプレイをしてもかっこ良くて、「ムード・テナー」と呼ばれるような甘いスタイルも存在します。

コルトレーンのテナーは、こういう甘いスタイルの対極にあります。

彼の音は、硬質で鋭くて、あいまいにぼかす所が一切なく、常に真面目そのもので、フレーズは分かり易さよりも攻撃的な斬新さを優先しています。

テナー・サックスは、普通だと太くて安定した音のために、「大人の余裕」を感じさせます。

でもコルトレーンのテナーは、そういう要素は無くて、「泣き叫ぶような音」です。

この緊張感の高い、ややもすると聴きづらい音が、彼の特徴です。

彼には、肩の力を抜くという事がありません。
私もそういう所があったから分かるのですが、彼には肩の力を抜く事は「手抜きをした」ように思えるのでしょう。

こうした硬派で一途なコルトレーンの音楽性は、普通の耳の人だと、「うるさいなあ」とか「疲れる」と感じるようです。

熱心なジャズ・ファンはコルトレーンを高く評価しますが、ジャズをたまに聴く位の人は、あまりコルトレーンを聴いていないです。

私にも、その心情は分かります。

実は、ジャズに理解や愛情を持っている私でさえ、彼の作品には聴きづらいと感じるものが数多くあります。

彼はとても沢山の作品を発表していますが、そのうち私が愛聴しているのは4枚だけです。

彼は、キャリアの初期の頃はギスギスしてフレーズに引っかかる所があり、未熟な感じがありました。

この引っかかりは、彼が「定番的な、当たり障りのない、よくあるフレーズ」を吹くのを嫌い、新しいフレーズを模索・探究していたからです。

つまり、演奏中に良いフレーズをひねり出そうとする結果、アイディアが出てこない場合には詰まってしまう事があるのです。

冷静に考えると、「その探究は、自宅での練習でしなさい」とも思えるのですが、レコーディングでも探究してしまうのが、コルトレーンの真面目さです。

私は、初期に見られる未熟で荒削りな所が、コルトレーンの必死さを感じさせて愛おしくなり、大好きです。

でも同時に、「一般の人には理解しづらいのかな」とも思います。

実際に、彼がマイルス・デイビスのバンドに加わりメジャー・デビューした時には、「マイルスは、何であんな下手なプレイヤーを起用するんだ」と、多くの人が批判したそうです。

コルトレーンは、演奏をきれいにまとめ上げる事をしないで、「常に斬新なフレーズを吹こう」とチャレンジをします。

耳心地の良いフレーズ(沢山のプレイヤーが使うため、聴き手が自然に聴き慣れている、お決まりのフレーズ)は、コルトレーンがキャリアを通じて一貫して避けたものです。

私も同じタイプだから分かるのですが、彼のような新しい世界を切り開くタイプは、他人と同じ事をするのは、生きた心地がしないのでしょう。

自分の存在を示すために(生きている実感を得るために)、他とは違う事を追求してしまうのです。

その真摯な姿勢(チャレンジ精神)は、『自分との孤独な戦いをしているストイックさ』を聴き手に感じさせて、否応なしに衝撃を与えます。

数多いジャズメンの中でも、コルトレーンのストイックさは際立っています。

ジャズ・ミュージシャンは、どちらかというといい加減な人が多いので、ある意味では彼は異端ですね。

彼の演奏を初めて聴いた時には、「そこまでやるか! 内容はともかく、その姿勢や熱意は評価するぞ」と、ほとんどの人は思うでしょう。

しかし、その溢れるチャレンジ精神ゆえに、演奏が破綻しかかったり、フレーズがぶつ切れになったりと、演奏が混乱してしまう事があるのです。(特に初期に)

この特徴は、ジャズ的には(ジャズ・ファンの感性では)「お前のチャレンジ精神は、素晴らしいぞ」となります。

でも、普通の感性の人だと(ジャズと相性の悪い人だと)「訳の分からない事をするな。もっと常識的なプレイをして、聴き手に優しい態度をとれ」と、不満が出てしまう。

コルトレーンは、キャリアの後半になると、フリー・ジャズに近づきすぎてメロディーが無くなります。

これはかなり致命的な選択で、非常に理解しづらい内容になってしまいました。

私も、この時期の彼の演奏は好きではないし、「そうじゃないだろ。チャレンジ精神は大切だが、音楽性を壊すのはチャレンジではないぞ」と思います。

フリー・ジャズとは、「音楽のルール(メロディやコード進行やリズム)は、人間の可能性や自由を奪っている。本当の人間性を表現するには、ルールを無くした方がいい」との思想に基づいた、ルールのないジャズ・スタイルです。

フリー・ジャズは、1950年代の終わりに登場して、60年代にはジャズの主流の1つになりました。
しかし、70年代以後は衰退して、今ではほとんど聴き手がいません。

私がフリー・ジャズに共感できないのは、『リズムが無いため』です。

しっかりしたリズムが無いために、単調でギスギスした、水気のない(カサカサした)演奏になっているのです。

私が思うに、フリー・ジャズは、黒人の持っている「素晴らしいリズム感覚」を発揮できないため、黒人には向かないスタイルです。

むしろ、リズム感では劣る、白人に向いています。
実際に、フリー・ジャズが現在でも盛んなのは、ヨーロッパです。

フリー・ジャズをしていた黒人達は、黒人らしさを目指して(西洋音楽から脱却しようとして)どこまでも自由な演奏を追求し、リズムまで無くしてしまった。

だがこの行為は結果的には逆効果で、黒人らしさも音楽性も失い、ジャズファンを減らす虚しい道となりました。

歴史的に見ると、コルトレーンがフリー・ジャズに傾倒した1960年代は、アメリカでは公民権運動(黒人が差別撤廃を求めた運動)が盛り上がった時期です。

この時期は、アメリカの黒人達は「自由」を深く追い求めていたため、「フリー・ジャズ」という何のルールもない音楽スタイルに、大きな共感と魅力を感じたようです。

つまり、社会的な状況の影響が、ジャズにも現れていた。

でも、現代に生きる私達は、そんな事は関係ありません。

そうして、冷静な耳でフリー・ジャズを聴くと、魅力的なものが少ないのです。

実際に、今ではフリー・ジャズはキワモノ扱いをうけています。
一部のマニアしか聴いていません。

私は、たくさんあるフリー・ジャズの演奏の中では、コルトレーンの演奏は優れていると思います。
しかし、そのコルトレーンの演奏ですら、聴いていてすぐに厭きてしまいます。

今までの話をまとめると、『コルトレーンは素晴らしいジャズ・ミュージシャンだが、意外なほど良いアルバムが無い』という事です。

彼は、あまりに真面目かつ不器用なので、実力は凄いのに、その力量を活かしきれない事が多いのです。

「これはいいぜ! おすすめだよ」と紹介できるアルバムは、私の場合、4枚しかありません。

ここで紹介する『ジャイアント・ステップス』は、その4枚のうちの1枚です。

『ジャイアント・ステップス』は、コルトレーンが1959年に発表した作品です。

当時の彼は、マイルス・デイビスのバンドで名を上げて、「これからのジャズ界を担う存在」と評価され始めた時期でした。

そうして、今まで契約していたプレスティッジ・レーベルを離れて、新たに「アトランティック・レーベル」と契約しました。

この作品は、アトランティックに移籍した第1作目で、コルトレーンが非常に力を入れて作ったアルバムです。

演奏のパワーが凄まじく、モチベーションの高さがひしひしと伝わってきます。

ちなみに、アトランティック・レーベルは、伝説的なロック・バンドであるレッド・ツェッペリンなどの作品も手がけており、むしろそっちで有名です。

社長をしていた人は、ネスヒ・アーティガンという人物で、ミュージシャンのやりたい事を理解してサポートをできる、有能なプロデューサーとして有名でした。

コルトレーンというと、コード進行の無いフリー・ジャズや、モード(旋法)を使った演奏が代表的ですが、このアルバムの曲にはちゃんとコード進行があります。

他のアルバムを紹介する時にも書きましたが、私はコード進行に基づいたジャズが好きなので、このアルバムと相性が良いです。

「ジャイアント・ステップス」の素晴らしい点の1つは、『共演者のプレイが最高だ』という事です。

特に、ベースを弾くポール・チェンバースは、彼のキャリアでも最高の演奏の1つだと思います。
とにかく凄まじい演奏で、「そこまで気迫を込めるか、ポール。俺は、お前を愛しているぞ」思います。

さあ、
ここからはいよいよ、それぞれの曲を解説していきます。

ちなみに、このアルバムは、CDで発売されるにあたって、6つの演奏が追加収録されました。

(オリジナルのレコード盤は全7曲ですが、CD化の時に全13曲になりました)

そして、そのうちの1つ「Naimaの別テイク」が、素晴らしい出来となっています。

オリジナルのテイクよりもかっこいいので、ぜひこれが入っているアルバムを買って下さい。
この件については、また後で書きます。

まず、参加メンバーを書きます。

ジョン・コルトレーン(ts) トミー・フラナガン(p)

ポール・チェンバース(b) アート・テイラー(ds)

これが基本メンバーで、曲によってはピアノとドラムは違う人が参加しています。
細かく書くとかえってややこしくなるので、そこは省略します。

上の4人は、マイルスのバンドで共演したり、レコーディングで一緒になったりと、しょっちゅう一緒にプレイしているので、抜群の一体感があります。

そのために、コルトレーンのレギュラー・バンドなのではないかと思うほどに、緊密な安定感のある演奏に仕上がっています。

では、まず1曲目の「Giant Steps」から解説します。

この曲は、コルトレーンの作曲の中でも代表曲の1つで、目まぐるしいコード・チェンジで伝説となっています。

コルトレーンは、このややこしいシステマチックなコード進行を使って、アドリブの限界に挑もうとしたのでしょう。
実際に、凄まじい演奏になっています。

コード・チェンジの難しい曲は、普通はゆっくりめのテンポで演奏しますが、ここでは超アップ・テンポです。

はっきり言って、これだけのアップ・テンポで、ここまでスムーズにアドリブを取れるのは、コルトレーンだけでしょう。

この曲は有名曲なので、ジャム・セッションでやろうとする人が、たまに居ます。

でも、それは無謀であり、裸でヒマラヤ山脈に挑戦するようなものです。
本人は良い気持ちかもしれませんが、共演者が迷惑するし、全体の出来は酷いものになります。

私もかつて二回ほど、ジャム・セッションで「やろう」と言われてやりましたが、練習をしていないのでさんざんな出来でした。

この曲は、コルトレーンほどの人でも、もの凄く練習をした後に、レコーディングをしています。

この曲は、専門的にこの曲を長時間にわたって練習しないと、形にならないのです。
ジャム・セッションでは、取り上げてはいけません。

とにかく、激ムズの曲です。

この譜面を渡された共演者たちは、「これをやるの? いかにも真面目なコルトレーンの考えそうな曲だなあ」と、苦笑いをしたと思います。

で、共演者たちも相当の練習をつんでから、レコーディングに挑んでいます。

コルトレーンは当事者だからいいのですが、彼の後にソロを任されるピアノのフラナガンは、「きち~、このテンポで行くのー」と思ったのではないでしょうか。

頑張ってソロを弾いていくフラナガンを聴いていると、「良い人だなあ、あなたは」と思いますね。

ここまで読むと分かると思いますが、この曲は特殊なものであり、『すさまじいコード・チェンジをこなしていく、コルトレーンのテクニックと気迫を聴く曲』です。

ぶっちゃけた話、我儘でひとりよがりな曲です。
でも、圧倒的なアドリブをしているし、とてもスウィングしているので、楽しく聴けてしまう。

スウィングしているのは、ベースのポール・チェンバースの貢献が大です。
とてつもない気迫で音を出していて、鬼神が乗り移ったかのようです。

テンポが速いし、コード・チェンジが連続するので、ベースも弾くのが大変な曲です。

並みのベーシストならば、弾くだけで精一杯で、ここまでエネルギーを込めたり1音1音をはっきり出したりは出来ません。

ベースの尋常でないテンションの高さは、聴いていて「途中で死なないだろうか。このテンションは、身体に悪いぞ」と心配になる位です。

コルトレーンの熱心さに触発されて、彼も熱く燃え上がっていたのでしょう。

(※だいぶ長文になったので、記事を2つに分けます。)

(続きはこちらです)

(2013年10月19日に作成)


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