ソニー・ロリンズは、史上最高のテナー・サックス奏者の1人で、実にたくさんのアルバムを発表しています。
ベスト盤を含めると、正規のアルバムだけで50枚を超えているでしょう。
とにかく作品が沢山あるのですが、その中でも私が愛聴しているものの1つが『ソニー・ロリンズ・プレイズ』なのです。
この作品は、ロリンズが絶好調のプレイを繰り広げている傑作なのですが、全くと言っていいほどに無名です。
その理由は、おそらくアルバムの半分が、別のミュージシャンの演奏だからでしょう。
この作品は、『ソニー・ロリンズ・プレイズ』というタイトルですが、驚くことに、ロリンズは前半にしか参加していないのです。
後半の半分は、サド・ジョーンズがリーダーとなった別の録音であり、ロリンズは全く関わっていません。
ぶっちゃけて言うと、
「これはロリンズとサド・ジョーンズのカップリング作品だが、
ロリンズの方が圧倒的に有名なので、ジャケットではロリンズ
を目立たせよう。
上手く行けば、ロリンズの普通の作品だと買い手を騙せるぞ。」
との意図が、レコード会社にあったのだと思います。
こうしたアルバム構成ゆえに、前半のロリンズのセッション(録音)は素晴らしい出来なのに、評価の対象にすらなっていないのです。
実にもったいない話です。
ちなみに、後半のサド・ジョーンズの演奏は、私はちっともいいと思いません。
はっきり言って、ロリンズの演奏とは雲泥の差があります。
今はネットで1曲づつ買う事もできるので、アルバムで買わずに、ロリンズの方だけを買うという手もありですね。
さて、このソニー・ロリンズという人物ですが、彼は非常に演奏に波のある男で、アルバムによって出来にむらがあります。
彼は、チャーリー・パーカーやマイルス・デイビスのような「どの作品も一定以上の水準に仕上げてくるタイプ」とは、気質が違います。
パーカーやマイルスには、強烈なヴィジョンがあり、「この作品は、こういう内容に仕上げる」とのイメージや信念が常にあります。
そこが彼らの凄い所なのですが、ロリンズにはそういった凄み(強烈なヴィジョン)は無いようで、「ダラダラッ」と音を出して終わってしまう作品が結構あるのです。
また、このアルバムは1957年に録音されていますが、ロリンズは1950年代の後半には実にたくさんの作品を作っています。
本で知ったのですが、この時期のロリンズは妻と離婚し、その慰謝料を払うために見境なくレコード会社と契約し、次々と作品を発表していたのでした。
当時はジャズの黄金時代で、ロリンズの人気が高かった事もあり、レコード会社も彼の要請に応えて、作品をためらう事なく発売していました。
今からすると奇跡か狂気かとも思えるのですが、この時期のロリンズは1年に5枚以上もアルバムを出していたのです。
とにかく大量にアルバムを作っていた時期のため、出来にはもの凄く良し悪しがあります。
中には「こんなの出しちゃった?」というものも、あります。
要するに、元々ロリンズはむらのあるミュージシャンで、さらにこの頃のロリンズは闇雲に作品を連発していたので、強烈な当たり外れがあるのです。
そうした中で、この作品は『当たり』です。
いわゆる「ホームラン」とか「1等賞」とか言うやつです。
もっとも、他にも当たりの作品はいくつかあります。
有名なのは『サキソフォン・コロッサス』であり、私がすでに紹介している『ソニー・ロリンズ Vol2』もその1つです。
なぜこの録音をした日のロリンズが絶好調だったのか、それは分かりません。
たぶん、気分が良かったのでしょう。
「気分かよ!?」と思うでしょうが、芸術というものは、その日の気分が出来に大きく影響するものなのです。
芸術家によっては、気分が乗らないと、その日は何もしない人もいるほどです。
逆に言うと、このアルバムのように、『気分が乗ると凄いものを創造する』というのが、芸術家として認められるための条件なのでしょう。
一流と認められる芸術家は、乗っている時には、観客が「参りました」と頭を下げるしかないものを創造・提示してきます。
他の芸術だと分かりませんが、少なくともジャズの場合、ライブでもかなり当たり外れがあるものです。
私の場合だと、ジャズのライブを聴きにいく時は、「今日のジャズ・ミュージシャンたちは、当たりの日かな? それとも外れの日かな?」とドキドキします。
おみくじを買うような要素が、ジャズのライブにはありますねー。
だいぶ話が脱線しましたが、ここまでの結論を言うと、こうです。
『このアルバムは、半分が他のミュージシャンの演奏になっているというマイナス面があるが、ロリンズは絶好調であり、ロリンズのプレイだけで買いである』
まあとにかく、ロリンズのプレイが圧倒的にかっこいいんですよ。
「効くね~(^-^) これぞカリスマ! 参りました、ロリンズさん。」という感じです。
ここからは、各曲を解説していきます。
このアルバムでは、ロリンズがリーダーになって録音している曲は、3曲あります。
残りの3曲は、サド・ジョーンズがリーダーの曲です。
前述したとおり、私はサド・ジョーンズの方は良いと思わないので、完全に無視する事にします。
まず、参加メンバーを書きます。
ソニー・ロリンズ(ts) ジミー・クリーブランド(tb)
ギル・コギンズ(p) ウェンデル・マーシャル(b)
ケニー・デニス(ds)
ジャズに詳しい人だと分かると思いますが、ロリンズ以外はあまり知名度のないミュージシャンです。
これも、このアルバムが無名である原因の1つでしょうねえ。
でも、各人の演奏内容は素晴らしいですよ。
では、まず1曲目の「Sonnymoon For Two」です。
シンプルなブルースの曲ですが、ロリンズのソロがとても決まっています。
私は、ロリンズの数あるブルース演奏の中でも、最も好きなソロの1つですね。
ここでの彼のソロは、とてもスウィングしているし、どのフレーズも洒落ていて美しいメロディの連続です。
ブルース・フィーリングにも溢れていて、こぶしが効いています。
テーマの後にはすぐにロリンズのソロに入りますが、基本的に彼の独奏で進んでいきます。
この演出がすてきなのです。
独奏はリズムが崩れやすいのですが、この日の彼は調子が良いので全くリズムが乱れず、実に安定感があります。
ロリンズの独奏時には、リズム隊は一定のタイミングで「ダッ、ダッ、ダッ」と合いの手を入れます。
これがまた、ブルースっぽさを増幅する、いい感じのサポートなのです。
ぜひリズム隊に合わせて、「ダッ、ダッ、ダッ」と皆さんも一緒に声を出してみて下さい。
演奏に加わっているような、楽しい気分になれますよ(^-^)
ロリンズに続いて、次にクリーブランドのソロが始まると、そこからはリズム隊は通常のサポートになります。
このクリーブランドのソロが、退屈なんですよねー。
彼は、このアルバムで唯一いまいちの演奏家で、弱点になっています。
その後のギル・コギンズのソロは、なかなかです。
彼は、間を活かすのが上手いです。
コギンズの後は、ウェンデル・マーシャルのベース・ソロになります。
頑張って弾いてますね。
マーシャルは、なかなかの音色をしてますよ。
その後は、再びロリンズのソロになります。
ここも、かっこ良いんですよ。しびれますねー。
ロリンズは何コーラスもソロを取りますが、色々なアイディアを使い、全くだれないのです。
アイディアの豊富さに驚かされます。
躍動感が素晴らしく、アイディアを駆使しているため、ブルースなのに知的な雰囲気があります。
憧れちゃうなあ。
次に、2曲目の「Like Someone In Love」です。
これが良いんですよー。
私は、この演奏を紹介したくて、このアルバムを取り上げました。
この曲は、スタンダード曲(時代を超えて演奏される定番曲)の1つですが、
元のメロディは切ない感じのやや内省的な世界です。
それをロリンズは、大胆なアレンジをする事で、元気のいい爽やかなメロディに変えています。
このアレンジが、まず素晴らしいです。
最初に聴いた時から、「おおっ! かっこいいアレンジだなあ」と感心しています。
アレンジを具体的に説明すると、『倍テンポと通常テンポを交互に行き来する』ものになってます。
倍テンポの時は、メロディ自体もかなり変えています。
これにより、ダイナミックで動きに緩急のある、スリリングなテーマに昇華されています。
そして、テーマ後のロリンズのソロが、信じられないほどに素晴らしいです!
神々しいくらいに活力と華やかさがあり、何度聴いても唸らされます。
正に「絶好調!」という状態です。
この日のロリンズは、いつもにも増して華がありますねー。
キラキラしてますよ。 聴いていて、うっとりするほどです。
ロリンズに続くギル・コギンズのソロが、またいいんですよ!
少ない音数で、淡々と弾いていくのですが、聴くほどに味わいが出てくるソロです。
コギンズは、地味なスタイルをしており、他の職業に就いてジャズ界から引退してしまったので知名度もありません。
でも、独自の個性を持った、良いピアニストですよ。
マイルス・デイビスは自伝の中で、
「ギル・コギンズは、最初に聴いた時はちっとも良いとは思わなかった。
でも共演して、バラードでのバッキングを聴いた時に、素晴らしさにまいってしまった。
あいつが演奏を続けていたら、最高のピアニストの1人になっただろう。」
と回想しています。
私の印象も、マイルスと同じであり、『地味で目立たないけど、よく聴くと紡ぎ出す美しいメロディの数々に感動してしまう、玄人好みのプレイヤー』だと思います。
コギンズのソロは、リズムがしばしば、ずれます。
でも嫌な感じにならないのです。
これは、フレーズの1つ1つに配慮が行き届いていて、無駄なフレーズがないからです。
アドリブは、惰性で音を出してしまう局面が生じがちです。
いわゆる「手癖で弾く」状態になりがちなんです。
でもコギンズやセロニアス・モンクは、常にきちんと考えながら音を出します。
だから、無駄がないし、強い説得力があるんですよ。
そうして説得力があるから、リズムがずれても聴き手から集中力を失わせないのです。
コギンズは、音色も繊細で美しいですね。
良いピアニストなので、録音があまり残っていないのは、とても残念です。
この後はクリーブランドのソロになり、それが終わると再びロリンズのソロになります。
この2度目のロリンズのソロも、最高です。
この日のロリンズは、雄大さや闊達さがあり、伸びやかに自在に歌うのです。
本当に最高ですよ。
この曲は、エンディングのかっこ良さも特徴です。
ドラムのフレーズを活かすアレンジにされているのですが、ケニー・デニスのフレーズが小気味よく決まります。
ジャズらしくて、大好きなエンディングです。とってもおしゃれですねー。
ケニー・デニスは、重厚さとかカリスマ性はありませんが、ツボを押さえるのに長けていて、良いポイントでフレーズを入れてくれるんですよ。
「うおっ! すげえ!」と驚嘆する世界ではないですが、「気持ちいいなあ。よしよし。」と頷かせるだけのセンスの良さがありますねえ。
最後に、3曲目の「Theme From Pathetique Symphony」です。
この曲は、邦訳は「悲愴のテーマ」で、チャイコフスキーの作曲となっています。
おそらくチャイコフスキーの交響曲「悲愴」から取り出したメロディだと思うのですが、よく分かりません。
ここで演奏されるテーマ・メロディは、優しく温かく美しい、すてきなものです。
ロリンズが素晴らしいフィーリングで吹いているので、よけいに良いメロディに思えます。
交響曲「悲愴」は、5回ほどLPで聴いた事がありますが、とにかく暗いイメージがあり、こんなロマンティックなメロディは出てこなかったと思うのです。
なので、本当にチャイコフスキーの作曲なのかは不明です。
とりあえず、この曲はとても爽やかであり、どちらかと言えば陽性に属するものです。
まったく悲愴さはありません。
テーマ・メロディも最高なのですが、ロリンズのアドリブ・ソロも名演ですねー。
1コーラスのソロをゆったりと取るのですが、美しいフレーズの連続で、まったく厭きさせません。
ギル・コギンズのソロも、地味ですが良い味を出しています。
この人は、間(休符)の使い方に特徴がありますね。
休符を多用し、一歩間違うと退屈になるような、すき間の多いソロを取ります。
普通だと、もっと音数を増やすんですけどねえ。
控えめでシンプルさを好む性格が、思いっきり出ていますよ。
ここまで音数を少なくするのは、根性が必要です。
『大人しいけど、絶対に自分のスタイルを曲げない』、そういう人だと思います。
まとめに入りますが、このアルバムのロリンズは、とにかく明るいです。
ここまで伸び伸びとプレイしているのは、珍しいと思います。
ロリンズというと、一般的に陽性で屈託の無いイメージがあると思います。
でも作品を聴くと、シリアスで真面目一辺倒のものも、沢山あります。
私は、彼はすごく真面目で不器用な人だと思います。
真面目だけど、マイルスみたいな「作品の構想をじっくりと練って、その構想が実現するように録音中も努力する」といったタイプではないです。
このアルバムでもそうですが、録音に入ったら勢いを大事にし、あまり考えていない感じがします。
彼は、その瞬間のインスピレーションを重視するタイプであり、マイルスなどとは真面目さの方向性が異なるんですよ。
インスピレーション重視派なので、楽想が湧かないとダラダラッとした演奏になってしまいます。
ここでのロリンズは、肩の力が抜けているし、楽しんでいる感じがあります。
乗っている日だったので、自然にフレーズが湧き、好循環が起きたからでしょう。
このアルバムは、沢山あるロリンズの作品の中でも、『聴きやすさ』と『アドリブ・フレーズの美しさ』では屈指のクオリティです。
おすすめですよ!
(2014年2月5日~6日に作成)