ジャズの雑学(メモ的なもの)③

(以下は『ジャズ・ウェスト・コースト 50年代LAのジャズ・・シーン』
ロバート・ゴードン著からの抜粋
ノートにとって勉強した、たぶん2006年のこと)

🔵パーカーとガレスピー

チャーリー・パーカーの録音で有名なダイアル・レーベル。
その最初のレコーディング曲である「ディギン・フォー・ディズ」は、スタンダード曲の「ラバー」のコード進行を借りている。

ガレスピーが録音した「コンファーメイション」のイントロは、後にオー・バップ・シュ・バムという曲になった。

パーカーがダイアル・レーベルにて発表した作品(ヤードバード組曲など)の多くは、何テイクも録り直している。

これはアンサンブルの完成度をパーカーが気にしたため。

『セレブレイティング・バード』という、ゲイリー・ギディンスの書いたパーカーの伝記がある。

🔵LAのジャズ・シーン

LAのセントラル・アベニューにあった人気クラブ「アラバム」は、1940年代前半にリー・ヤング(レスター・ヤングの弟)がリーダーで出演していた。

このバンドに若きアート・ペッパーも参加した。

LAでつくられた最初のビバップ・バンドは、ハワード・マギーがリーダーのセクステットだった。
(※ビバップは主にニューヨークで誕生したが、それを真似してLAでも演奏された)

メンバーは、テディ・エドワーズ(ts)、ドド・マーマローサ(p)、スタンリー・モーガン(G)、ボブ・ケスターソン(b)、ロイ・ポーター(ds)。

テディは、この時から楽器をアルトサックスからテナーに替えた。
これはマギーに頼まれたため。

ハワード・マギーは、元々はデトロイトのカース・テクニカル・スクールで学んだ人で、この学校ではワーデル・グレイ、ミルト・ジャクソンと同級生だった。

マギーはデトロイト時代にスタック・ウォルトンのバンドに参加したが、そこにはテディ・エドワーズ、マシュー・ジー、アル・マッキボンもいた。

1945年1月に、コールマン・ホーキンスは自分のバンドでLAのクラブ「ビリーバーグズ」に出演したが、メンバーはマギー、サー・チャールズ・トンプソン、オスカー・ペティフォード、デンジル・ベストで、4曲の録音もした。

このあとマギーはLAに残ったのである。

🔵デクスター・ゴードン

LAにおいて1923年に生まれる。
父は医者で、貧しい家の出ではない。

通ったジェファーソン高校に、チコ・ハミルトン、メルバ・リストン、アーニー・ロイヤル、バイ・レッドがいた。

又となりの高校には、チャールズ・ミンガス、ブリット・ウッドマン、ハディ・コレットがいた。

これらの学生たちは、ほとんどがロイド・リースに師事した。
リースはレス・ハイト楽団のトランペット奏者だった。

デクスター・ゴードンは、ライオネル・ハンプトンの楽団に3年在籍し、その後にビリー・エクスタインのバンドに加入した。
1946年夏にLAに戻った。

一時期デクスターと共演(テナー・サックスでのバトルを)したワーデル・グレイは、オクラホマ生まれでデトロイト育ちの人。

1943年にアール・ハインズ楽団に入った。

(以上は2026年1月23日に作成)


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