(以下は『マイルス・デイビス 自叙伝』から抜粋
2026年9月24日に作成)
🔵目次
🔵バードとディズのバンドからディズが抜ける
1945年になると、白人の音楽批評家の連中が、やっとビバップの重要性に気付き始めた。
それでバード(チャーリー・パーカー)やディズ(ディジー・ガレスピー)のことが記事になり始めた。
だがビバップをちゃんと理解していた批評家は、レナード・フェザー、バリー・ウラノフなどごく少数だった。
ニューヨークのジャズ・クラブ『スリー・デューセス』に出演する、バードとディズのグループは、本当に最高だった。
バードはジャズ界ではもう神様で、どこに行くにも取り巻きがいて、女やクスリの売人がくっついて色んなプレゼントを贈っていた。
バードはそれが当たり前だと思っていたから、なんでも受け取っていた。
その結果、バードは仕事に遅れたり来ない日が多くなった。
ディズはきちんとした男だったから、バードと二人きりになってきちんと出演するよう求めた。
だがバードはどこ吹く風で、ディズはとうとうバンドから抜けてしまった。
これがビバップの最初の偉大なグループの幕切れだ。
ディズの脱退はジャズ界にとって大ショックで、オレも2人のすばらしい音楽がレコードでしか聴けなくなって悲しかった。
ディズの後釜に座ったオレだって、また2人が一緒にやるのを望んでいたくらいだ。
🔵マイルスはバードのバンドに入る
ディズが抜けた後、バードは代わりにオレを雇った。
オレは1945年10月から、『スリー・デューセス』に出演するバードのバンドで演奏した。
他のメンバーは、アル・ヘイグがピアノ、カーリー・ラッセルがベース、ドラムはマックス・ローチかスタン・リービーだった。
オレ以外はディズがいた時と同じ面子だ。
バードのバンドに入ったばかりは、緊張しっぱなしで、毎日「もう辞めていいか?」と聞いていた。
バードは一人でもすごい演奏ができるし、「なんでオレなんか必要なんだい?」と聞いたりもした。
バードが曲のメロディーを吹く時は、オレはそっとバックで吹いた。
オレがリードを(曲のテーマを)取るなんて冗談じゃない。本当にビクついていたんだ。
クビになるのが恥ずかしくて、辞めたいと言ったんだが、バードは「お前が必要なんだ。オレは気に入っている」と言って、オレを奮い立たせるんだ。
それで何とか持ちこたえて勉強することができた。
バードがオレを雇ったのは、ディズみたいに吹いてなかったからだ。
彼はディズとは違うサウンドを欲しがっていたんだ。
バードとの演奏は成長する上でものすごく役立ったが、バードから教えてもらったことは多くはなかった。
なぜってバードはあまりにオリジナルで、コピーできなかったからだ。
あの頃ジャズについて学んだことのほとんどは、ディズとモンクからだった。
バードには自分の世界があったが、それゆえに孤立していたし、サックス奏者じゃないとコピーは難しかった。
いや、サックス奏者ですらコピーできなかった。
彼のフィーリングを真似するのは不可能で、皆がやったのはコンセプトを真似る程度だった。
ソニー・スティット、ルー・ドナルドソン、ジャッキー・マクリーンは、バードに一番近いサックス奏者だったが、それはサウンドの話で、内容じゃない。
昔も今もバードみたいに吹ける奴はいない。絶対にな。
🔵マイルスの目指したトランぺット・スタイル
オレにとって音符を吹くことは、まず良いサウンドでなけりゃダメだ。
ビバップの時代は皆がとにかく速く演奏していたが、オレはやたらとスケール(音階)を吹くのは嫌いだった。
オレはコードの中から一番重要な音を拾おうとしていた。
あの頃は多くのミュージシャンがあまりにたくさんのスケールや音符を演奏して、何も頭に残らないことばかりしていた。
音楽はスタイルが全てだ。
オレは猛烈なスピードで吹いたりはしない。
オレは他のトランペッターとは違う何かを吹くんだと心がけていた。
ディズみたいに高音で速く吹きたかったのを我慢してだ。
当時の多くの連中は、そんなオレを軽く見ていた。
ディズこそトランペッターだと思っていたからだ。
オレみたいに新しいことをやろうとする人間は、無視されるリスクをいつも背負っている。
バードはトランペットの新しいコンセプトやサウンドを欲していたし、自分のサックスを補って目立たせるトランペッターを求めていた。
だからオレを選んだんだ。
バードとディズは音数の多い似通ったスタイルだったが、バートとオレがやると自由なスペースが生まれた。
オレはバードにスペースを与えたが、それこそバードが求めていたものだった。
🔵バードのバンドはミントンズに移る
少し経つとバードのバンドは、ピアノをサー・チャールズ・トンプソンに、ベースをレナード・ガスキンに代えて、ニューヨークの同じ52丁目にあった『スポットライト』に演奏場所を移した。
だが52丁目のジャズクラブは、警察が介入して一時的に閉鎖されてしまった。
黒人がたくさんたむろしているのに、白人警官が反感を持ったんだ。
『スポットライト』が閉鎖したから、バードのバンドはハーレムの『ミントンズ』に移った。
あの頃、オレが演奏している時、バンドの連中はよく笑っていた。
「チェロキー」や「チュニジアの夜」など速いテンポの曲で、オレが苦労していたからだ。
だがあの曲はそもそもディズのスタイルやテクニックに合わせて書かれていたし、ディズが徹底的に演奏しつくしていたからな。
🔵マイルスはジュリアード音楽院を辞める、父の名言
1945年の秋に、オレはジュリアード音楽院を辞める(退学する)決心をした。
そのことを親友のフレディ・ウェブスターに相談したら、「実家に帰っておやじさんに話せ」と言う。
それでオレはセントルイスの実家に帰った。
実家に着いておやじの診療室に入ると(※マイルスの父は医者である)、おやじはオレを見て驚いたが、相変わらず冷静で、「マイルス、いったいそこで何してるんだ?」と言った。
「父さん、ニューヨークでは音楽が変化していて、バードやディズと一緒にオレもそのムーブメントに加わりたいんだ。
だから白人一辺倒で、興味のあることを教えてくれないジュリアードは辞めることにした。
それを伝えに来たんだ。」
「分かった。自分のやっている事が分かっているから構わないさ。しっかりやれよ。」
おやじは続けて、オレが一生忘れられない事を言った。
「マイルス、外の鳥の鳴き声が聞こえるか?
自分の鳴き声がないモッキンバードさ。
モッキンバードは他の鳥の声は何でも直似るが、自分の声がないんだ。
あんな風になるなよ。自分だけのサウンドを身に付けることが一番大事なんだぞ。自分自身に正直にな。
お前の決心を信じるよ。カネは独り立ちするまで送ってやるから心配するな。」
おやじはそれだけ言うと患者の所へ戻っていった。最高に恰好良かった。
この帰省の時、おふくろがなかなかのブルースをピアノで弾いたんだが、オレはおふくろに音楽ができるなんてこれっぽっちも知らなかったから驚いた。
だがおふくろは、オレがどれだけ音楽に一所懸命になっても、オレを聴きにジャズクラブに来たことは一度もない。
おふくろはオレが大学に行って、普通の職につくことを望んでいた。