(以下は『マイルス・デイビス 自叙伝』から抜粋
2026年9月25日に作成)
🔵目次
🔵バードの初リーダー作
1945年の11月に、サボイ・レコードのプロデューサーのテディ・ライグが、バード(チャーリー・パーカー)にレコーディングの話を持ちかけた。
バードは承諾して、トランペットはオレを雇った。
ピアノはセロニアス・モンクとバド・パウエルに声をかけたらしいが、2人共こなかった。
バードとバドは性格的にいつも上手くいってなかった。
だからピアノはディズ(ディジー・ガレスピー)が弾いたり、サディク・ハキムが弾いた。
カーリー・ラッセルがベースで、ドラムスはマックス・ローチだった。
このバードの初リーダー作は、多くの者が重要と認め、参加したオレの名前はビバップの歴史に確実に残ることになった。
この日、バードはオレが「チェロキー」を上手く吹けないと知ってたくせに、チェロキーのコード進行を基に作った曲「コ・コ」をオレにやらせようとした。
オレはキッパリと「できるもんか」と断った。
オレは恥をかきたくなかったし、速いテンポの曲を吹けないのに気にせずやってしまうほど無神経じゃなかった。
だから「コ・コ」、「ウォーミング・アップ・ア・リフ」、「ミアンダリング」ではディズがトランペットを吹いた。
レコーディング・スタジオには、バードの取り巻きのハスラーやクスリの売人が集まり、異様な光景だった。
バードは売人とトイレに入り、1~2時間出てこなかった。
その間はオレたちはぼんやりと待つしかなかった。
バードはハイになって戻ってくると、ものすごい勢いで吹きまくった。
🔵マイルスの演奏を批評家が酷評する
このレコードが発売されると、オレの演奏を酷評する批評家がいて、特にダウンビート誌がひどかった。
「ディズの欠点ばかり真似して、なんだこいつは」という調子だった。
オレはまだ若かったし、少しばかり傷ついた。
でもバードとディズの「あんなの気にするなよ、良かったよ」という言葉を大事にした。
あの一件が、オレの批評家嫌いの始まりだろう。
若くて学ぶ過程にいる者を、激励もしないで徹底的にこきおろすなんて、絶対に間違っている。