マイルスの語るチャーリー・パーカー④
パーカーの演奏スタイル、ロスへの移住

(以下は『マイルス・デイビス 自叙伝』から抜粋
2026年9月25日に作成)

🔵目次

バード(チャーリー・パーカー)の破滅的な私生活

バードとマイルスの共通点

バードの演奏スタイル

ディズとバードはロスアンゼルスに演奏に行く、マイルスも行く

ロスのフィナーレというジャズクラブ

バードとマイルスはロスに残る

🔵バード(チャーリー・パーカー)の破滅的な私生活

1945年の後半に、短い間だがオレはバードとまた一緒に住んだ。

オレと妻子が住むアパートに、バードのために一部屋取ってやったんだ。

だが奴は、いつもオレ達の所に来て、カネをせがんだり、アイリーン(※マイルスの妻)の料理を食ったり、床やソファに酔いつぶれたりだった。

おまけに女やクスリの売人、ハスラーやヤク中のミュージシャンまでを部屋に引き入れた。

バードはなぜあんなに破滅的なことばかりしていたんだろう。

奴はインテリで、何もかも分かっていたはずだ。

小説や詩や歴史書を読んでいたし、誰とでもどんな話だってこなせた。
バカでも文盲でもなかった。

感受性がものすごく豊かだったからかな、破滅的な所があった。

バードは政治の話もよくしていたが、政情に無知を装って相手にさんざん喋らせた後、鋭い指摘をして恥をかかせるのが好きだった。

相手をよく笑い者にしていたんだ、白人を相手にな。

バードは、オレが彼に抱く愛情と尊敬を悪用した。
クスリの売人に「借金はマイルスが払うから」と言って借りまくったんだ。

売人たちはオレを殺さんばかりの勢いで押しかけてきた。あの時は危なかったな。

オレはバードと取り巻きに、「もうオレの家に来るな」と言い渡した。

バードのめちゃくちゃな生活を嫌って実家に帰っていたアイリーンと子供は、バードが出ていくとすぐに戻ってきた。

あの頃バードは、ドリス・シドナーという女と付き合い始めて、彼女のアパートに移っていった。

🔵バードとマイルスの共通点

ホーク(コールマン・ホーキンス)はカンサス・シティ近くの町の出身で、バードと同郷だった。

バード、オレ、ホークは音楽的にうまく折り合ったが、3人共にアメリカ中西部の出身だったからだろう。

オレたちは考え方やものの見方がよく似ていた。

ディズ(ディジー・ガレスピー)とルイ・アームストロングは南部の出身で、白人に対する見方がオレ達とはかなり違っていた。

🔵バードの演奏スタイル

即興演奏についてオレは、ホーク、セロニアス・モンク、ドン・バイアス、ラッキー・トンプソン、そしてバードから学んだ。

バードはアイディアが豊富で、彼のソロになり即興を始めると曲を全く作り変えてしまう。

だから聴き手はその曲をよく理解していないと、どこを吹いているのか分からなくなってしまう。

ホーク、ドン・バイアス、ラッキーは、原曲に近いソロで始めて、それから即興演奏に入っていくスタイルだった。

バードだけは、毎日すべてを変えて演奏していた。

ジャズの巨匠はたくさんいるが、バードこそ真の巨匠だ。

オレにとってバードは、大好きな画家ダリみたいなもので、新しいものの見方を学べたんだ。

バードは、全く違う5~6種類のスタイルを持っていた。

レスター・ヤングみたいなスタイル、ベン・ウェブスターみたいなスタイル、ソニー・ロリンズが「ペッキング」と呼んでいた突っつくようなスタイルなどだ。

ちなみにペッキングは今、プリンスがよく使っている。

作曲家、ピアニストのセロニアス・モンクも、バードに似ていくつものスタイルを持っていた。

🔵ディズとバードはロスアンゼルスに演奏に行く、マイルスも行く

1945年の後半に、バードやディスの出演しているニューヨークの52丁目にあるジャズクラブたちが、警察の介入で一時的に閉鎖された。

この時、ディズのマネージャーだったビリー・ショウは、西海岸のロスアンゼルスに演奏しに行くのを考えた。

ショウは、ロスにある『ビリー・バーグ』というクラブのオーナーに、「ビバップはそっちでも大受けするよ」と持ちかけたんだ。

でもこの話はバードと一緒に行くというもので、ディズはまたバードの面倒を見なくちゃならないから尻込みした。

ディズはとうとう決心して、バードを連れて行ったんだが、他のメンバーはミルト・ジャクソン、アル・ヘイグ、レイ・ブラウン、スタン・リービーだった。

彼らは1945年12月に汽車でロスアンゼルスに向かった。

オレは東セントルイスの実家に一時的に帰ることにして、ニューヨークのアパートを引き払い、年末に家族と一緒に帰省した。

それで次の年(1946年)に入った1月に、セントルイスの『リビエラ・クラブ』に出演するベニー・カーターのビッグバントを聴きに行き、楽屋にも顔を出した。

ベニーは大喜びで、 オレにバンドに入らないかと誘ってきた。

ベニーのバンドは本拠地がロスだから、オレはロスに行ってバードとディズに会えると思い、加入することにした。

オレはさっそくバードのマネージャーのロス・ラッセルに電話して、バードの電話番号を教えてもらい、バードに「オレもロスに行くから」と話した。

バードはオレがロスに来ると聞くと、「一緒にバンドをやらないか」と言い、「ダイアル・レコートへの録音の話をロス・ラッセルと進めている。お前にも演奏してほしい」と言ってきた。

オレのことを褒めちぎるバードと話していて、オレは有頂天になってしまった。

世界最高のミュージシャンから誉められ、一緒にやろうと言われて、喜ばない奴がいるか。

🔵ロスのフィナーレというジャズクラブ

オレはベニーのバンドで巡業し、最後にロスに着いた。

当時のベニーの音楽は、アレンジが古くて好きになれなかった。

オレはバードと一緒に『フィナーレ』というクラブで、アフター・アワーに演奏し始めた。

フィナーレは、元芸人のフォスター・ジョンソンが店主で、ラジオの実況放送もやっていた。

フィナーレのバードのバンドは、オレの他は、ピアノがジョー・オーバニー、ベースがアディソン・ファーマー、ドラムスがチャック・トンプソンで、たくさんのミュージシャンが飛び入りで参加した。

ハワード・マギーはしょっちゅう飛び入りしてたが、奴はフォスターの後を継いでフィナーレの店主になった。

チャールズ・ミンガスもフィナーレにやって来た1人だ。

ミンガスのバードへの入れ込み方は誰とも比べようがないほどで、せいぜいマックス・ローチが近かったかな。

ミンガスはほとんど毎晩やって来て、聴き飽きることを知らなかった。

奴のベース演奏はものすごくて、誰もが奴の将来を信じて疑わなかった。

🔵バードとマイルスはロスに残る

オレがベニー・カーターのバンドに飽き飽きして、それをラッキー・トンプソンに愚痴ったら、「だったらオレのバンドに来い」と言うじゃないか。

それでオレは心苦しかったが、ベニーのバンドを辞めた。

ラッキーはロスの出身で、家を持っていたから、ベニーのバンドを辞めて収入がなくなったからラッキーの家に転がり込んだ。

少ししてからオレは、ハワード・マギーの家に住み始めた。

ハワードは美人の白人女と暮らしていて、その白人女ドロシーの稼ぎで金回りが良かったんだ。

バードもハワードの世話になっていた。

『ビリー・バーグ』の仕事が終わると、ディズたちはニューヨークに帰ったのに、バードだけは帰りの飛行機のチケットを売ってヘロインを買い、ロスに残った。

それでオレもロスにいることにした。


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