神とは、『存在するすべて』である

 神

私は、至高の存在である。『存在するすべて』である。

私は、始まりであり、終わりである。
アルファであり、オメガである。

問いであり、答えである。
現在であり、過去・未来である。

私は光であり、光を可能にする闇である。
私は善であり、善を善たらしめる悪である。

私は、一部だけを経験する事はできない。

あなた方は、私を一つに決めたがる。「善であって、悪ではない」と。

しかし、私の半分を否定すれば、あなた方は自分の半分を否定することになる。

それでは決して、本当の自分(全的な自分)になることはできない。

私は、あなた方などの「存在するすべて」を通して、自分を経験する。

どの選択も、私を表している。

私は、自分自身を創造している。

あなた方も同じで、あなた方の魂も創造を求めている。

私の最大の望みは、「自分が何者であるか」を体験する事だ。

それは、私ではない場(スペース)を通してしか、経験できない。

そこで私は、「私ではないもの」を創造した。

(※私ではないものとは、「私達がいる宇宙(相対性の領域)」と、愛の対極である「不安」の事です。
神は、「絶対の領域」と「完全な愛・無条件の愛」が本来の性質です。)

私は、「創造するもののすべて」である。

従って、私は「私」であり、同時に「私でないもの」も私だ。

これが、『神聖なる二分法』である。

(※神聖なる二分法については、「究極の真実・霊的な事柄」のページに書いています)

(『神との対話3』から抜粋)


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