神
今の子供たちは、「社会が積み上げたフィクション」を記憶させられている。
今の教育は、世界を無知へと追い立てている。
ニール
フィクションを教えたりはしていません。
神
ほら、自分にも嘘をついている。
歴史の本を見てごらん。
子供たちに特定の世界観を植え付けたがる人たちによって、書かれている。
もっと大きな視点から事実を見ようとする試みは、「修正主義者」だと軽蔑される。
あなた方の歴史のほとんどは、WASPの視点から書かれている。
女性や黒人などが、「そうじゃなかったよ、大事な部分が抜け落ちている」と声を上げると、あわてて「やめろ」と叫ぶ。
例をあげようか?
ニール
お願いします。
神
アメリカでは、日本に原爆を落とした事について、子供達にすべてを教えてはいない。
アメリカ人が見たがっている事実を教えている。
日本が別の観点から事実を指摘すると、あなた方は怒り狂い、わめき立てる。
政治は(政府の公式発表は)、実際に起こった事とは全く関係がない。
政治は、「起こった事についての誰かの視点」なのだ。
歴史は明らかにし、政治は正当化する。
歴史はあばき、政治は隠す。
結局は、子供達はいつかは真実を見抜く。
そして、「親や大人達は、自分自身をごまかしていたんだ」と言う。
大人達はそれが耐えられない。
だから、批判的な考え方を教育から取り除き、子供達に事実を知らせたがらない。
子供達にまず事実を教えて、後は子供達に決めさせたら、どうかね?
ニール
子供達が自分で決めるなんて無理です。指導をしなければ。
神
最近、世の中をよく見た事があるかね?
あなた方のやり方が、今の世の中なのだよ。
ニール
いや、それは指導方法が間違っていたからです。
子供達に古い価値観を教えたからではなく、やたらに「新規なこと」を考えさせたからですよ!
「批判的な考え」なんか教えないで、読み書き・計算だけを教えていたら、世の中はずっと良くなっていたでしょう。
それに、原爆を落とした事で、私たちアメリカ人は戦争を終わらせたんですよ。
何千人もの命を救ったんです。
歴史を見直せとおっしゃるが、そんな事をしたらリベラル派に支配されます。
富の再配分が行われ、人民の権利だのといった、たわごとが始まるでしょう。
私達に必要なのは、父祖の価値観に戻ることですよ!
神
なるほど、大したものだ。
ニール
ラジオのトークショーを聞いていると、こういう主張が上手くなるんです。
アメリカだけでなく、どの国も、「自分は正しく、相手は間違っている」と思っているでしょう。
また、ほとんどの人が「古い価値観の方が良かった」と思っています。
そういう主張を極端に言ってみたんです。
神
本当に昔の方が良かったと、思っているのか?
記憶はあてにならないものだ。
良い事は覚えているが、悪い事は忘れる。それが自然なのだよ。
実は、日本は原爆投下の以前に、「戦争を終わらせたい」と、ひそかにアメリカに打診していたのだよ。
もちろん、アメリカの見方の方が、事実の的を射ていたかもしれない。
だが、議論の核心はそこにはない。
『あなた方の教育システムが、こうした問題に批判的な考え方を許さないこと』
そこが問題なのだ!
歴史の先生が生徒達に、「原爆問題について、自分達で結論を出してみよう」と呼びかけたら、どうなると思う?
そこが問題なのだ。
あなた方は、子供達に自分と同じ結論を出させたがる。
だから、子供達はあなた方と同じ過ちを、繰り返すのだよ。
あなた方の社会は以前より物騒になったが、それは学校で教えた事のためではない。
あなた方は学校で、愛について教えてこなかったし、語らせなかった。
ニール
そうなんです。
宗教についても、話す事もできないんですよ。
神
それに、人間が霊的な存在である事や、性的な事柄も教えようとしない。
権力者の見方で歴史が歪められない社会では、過去の過ちは堂々と認め、決して過ちを繰り返さない。
過去の正当化し得る行為でさえ、徹底した吟味の対象になる。
ニール
具体的には、どうすればいいんですか。
神
起こった事を正確に、あます所なく語ればいい。
そうすれば、『複数の見方があること』に気づく。
先生たちは、
「入手しうる限りの事実を、君たちは知った。
この知識からどんな知恵が生まれるだろう?
君たちがこの問題を解決する立場だったらどうするかな?
もっと良い方法を考えつくかな?」
と、問題を投げかければいい。
ニール
ああ、それなら誰にだって答えられます。
後知恵っていうやつですよ。
誰だって「他のやり方があったのに」と思います。
神
それでは、どうして実行しない?
ニール
はあ? 何とおっしゃいました?
神
「どうして実行しないのか」、と言ったのだよ。
どうしてだか教えようか?
そういう教育をすると、子供達はあなた方の行動に賛成しなくなるからだ。
だからあなた方は、「受け入れろ、私たちは正しかった、おとなしくそう思え」という教育をする。
それを教育と呼んでいる。
(『神との対話2』から)