神
神聖なる二分法とは、『一見したところ矛盾する二つの真実が、同じ場で同時に存在し得る』ということだ。
あなた方の多くは、矛盾しているように見えると、片方は「間違っている、インチキだ」と決め付ける。
だが、『存在するすべて(神)』は、時には矛盾する効果を生み出す。
神聖なる二分法は、人間の経験の中ではよくある。
これを受け入れなければ、悠々と生きていく事は不可能だ。
受け入れない者は、怒り、のたうち、「正反対の力を融和させよう」とムダな努力をしなくてはならなくなる。
融和するはずはない。
『元々、両者が緊張しているから、好ましい効果が生まれている』のだ。
実を言えば、相対性の領域(物質世界)は、この緊張によってたばねられている。
例えば、善と悪の緊張だ。
善悪のうち、片方を使うことで、もう片方を経験できる。
これが、神聖なる二分法だ。
人生そのものが、二分法なのだよ。
「一見した限りでは矛盾する二つの真実が、同じ場所・同じ時に共存するという経験」、それが人生だ。
「一見、矛盾に見える真実」の一つの例が、『あなたと神は別々であり、同時に一つだ』ということだ。
(『神との対話3』から)