本当は、あなたは常に神の源に居る
神へ帰るとは、それを知り体験し感じる事だ

 神

人類は、天国に到達するために、苦難を経る必要はない。

ニール

混乱の森に入っていく必要はないのですね。森は迂回すればいい。

 神

その通りだ。

ニール

私は、本当の自分とも自分が向かっている場所とも関係のない「人生のドラマ」に巻き込まれて、気がつけば森に迷い込んでいるんです。

 神

そう。そして、あなたはまだ森から出てはいない。

私と一緒に来なさい。一緒に空き地に向かって旅をしよう。

ニール

分かりました。明晰さへの旅に、ご一緒します。

でも、我が家(空き地)への一番短い近道は、どれなのでしょう?

 神

それを知るには、「我が家」とは何なのかを、はっきりさせなければいけない。

大抵の人は、「我が家に戻る」とは、「神の許(神の源)へ戻ること」だと考えている。

だが、それはあり得ない。
なぜなら、あなたは一度も神の許から離れてはいないのだから。

あなたは、最初から「我が家(神の源)」に居た。

意識レベルでは気付いていないかもしれないが、あなたの魂はそれを知っている。

ニール

私の魂は、何をしようとしているのですか?

 神

あなたの魂は、知っている事を体験しようとしている。

人生/生命とは、魂がすでに知っている事を「体験に変えるプロセス」だ。

あなたが知って体験する事を、現実だと感じられるようになれば、プロセスは完了する。

言ってみれば、我が家とは『完了の場』なのだよ。

真の自分について、『知ること・体験すること・感じること』の3つが完了すると、真の自分についての「気づき」が完了する。

それが、「我が家」だ。

このプロセスを経て、あなたと神性との分離が終了する。

完了とは、神性との分離が終了し、あなたが神性と再び一つになる瞬間のことだ。

ニール

本当は、再び一つになるわけではないでしょう。
一つでなかった事など、ないのだから。

ただ、その事を忘れていると、再び一つになったように思うのですね。

 神

その通りだ。

再び神性と一つになると、あなたは『真の自分』を思い出し、それを体験する。

ニール

「自分と神とは、いつも一つである」という真実への気づきに立ち戻る、のですね。

 神

そうだ!

そして、その認識に立ち戻るプロセスは、2つある。

1つは、「知ること」と「体験すること」だ。

もう1つは、「感じること」だ。

「知ること」と「体験すること」が、「感じること」につながる。

知る事と体験する事は全く違うし、それを感じる事も全く別のものだ。

『気づき』とは、自分が知って体験したことを、感じる事なのだよ。

感じる事だけが、十全の気づきを生む。

その感情を生きる事を通じて、初めて気づきが「完了」する。

あなたは、自分が神性である事を知っているかもしれないが、その自分を体験し、その感情を生きる事で、初めて気づきが完了する。

ニール

私はしょっちゅう、「今日の自分は、自分でない気がする」と言ってきましたが、ようやくその意味が分かりました。

 神

「自分が自分でない気がする」のは、本当の自分を知らないからではなく、本当の自分を体験していないからだ。

感じるためには、知識だけではなく、体験も必要なのだよ。

自分自身についての気づきは、本当の自分を十全に感じる事で達成される。

気づきのプロセスには2つの要素があり、気づきへの道も2つある。

魂は、霊的な世界を通って『完全な知』に到達し、物理的な世界を通って『完全な体験』に到達する。

どちらの道も必要だ。

この2つの気づきが合わさって、『十全な感情』が創造される。

その感情が、『十全な認識』を生み出すための完璧な環境を創造する。

「我が家」とは、『完了という名の場』なのだよ。

(『神へ帰る』から抜粋)


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