神
モーセやイエスに出来た事が、あなたには出来ないと思うのかね?
ニール
モーセやイエスは「した」のではないですよ!
彼らは、あなたに「頼んだ」のです。
神
よろしい。では、あなたの言い方に従おう。
あなたは、同じ奇跡を私に頼む事は、出来ないと思うのかな?
ニール
それは、出来るでしょうけど。
神
で、私はその願いを叶えるだろうか?
ニール
分かりません。
神
そこが、あなたとモーセやイエスとの違いなのだ。
イエスは「どうして驚くのか? こうした事を、いやもっと多くを、あなた方もするだろう」と言ったではないか。
願えば与えられるし、求めれば見つかるし、叩けば開かれるのだよ。
ニール
では、空も飛べるというのですね。
神
空中浮遊をした人間はいるよ。
それに壁を通り抜けた人や、身体から抜け出した人さえいるんだよ。
ニール
「自分は空を飛べる」と信じて、ビルから飛び降りて死んだ人がいます。
神
その男は、飛ぶ力が無かったのではない。
『神性を示すことが出来なかった』のだ。
その男は、「自分は他の人とは違う」と想像した。
人より力がある自分を望んだ。
それは、利己的な行動だった。
自分は人とは違うというエゴは、決して一体感を生み出さない。
その男は、「すべてのものとの一体性」ではなく、「分裂」を示してしまった。
神性を示そうとして、非神性を示してしまったから、失敗したのだ。
イエスは、一体感を示す事で、神性を示した。
彼は、すべてのものとの一体性、統一性を見ていた。
イエスは、神の意識と一つになっていた。
そうなれば、彼が「現れよ!」と呼びかけるものなら何でも、その瞬間に実現する。
ニール
では、奇跡を実現するのに必要なのは、『キリストの意識』だけなんですね!
神
その通りだよ。
だが、『キリストの意識』を毎日、毎分、選択し続けなければならない。
それを、人生の目的にしなければいけない。
本当はそれが人生の目的なのに、あなた方が知らない(忘れている)だけだ。
(『神との対話2』から)