神
変化は、万物の基本原理だ。あなた方は変化をする。
変化をするのだから、「私は変化しない」という約束は、決して出来ない。
ニール
だから、約束を守るのが難しいのですか?
神
そうだ。
もう一つの理由は、『誠実さとぶつかる』からだ。
「本当の自分はこうだ」と相手に言っても、その後に変わる。
だから、深い葛藤が生じる。
「どちらに従うべきなのか。本当の自分か? 相手に約束した自分か?」という葛藤だ。
ニール
どうすればいいのですか?
神
他人を裏切らないために自分を裏切ること、それも裏切りだ。
それは、最悪の裏切りだ。
ニール
でも、それでは、そこら中で約束が破られてしまいますよ!
神
ほう、あなたは人が約束を守ると、信用していたのか?
あなたの人生がみじめだったのも、無理はないな。
ニール
確かに、みじめだった時もあります。
神
みじめになったのは、「本当に幸せでいられるのか?」と心配したからだ!
そんな心配をしたのは、あなたの幸せが『人が約束を守ってくれるかどうか』で決まったからだ。
ニール
すると、約束を守ってくれると期待する権利もないと、おっしゃるのですか?
神
どうしてそんな権利が欲しい?
人があなたとの約束を破る理由は、「もう約束を守りたくない」か、「約束を守れないと感じる」からだ。
相手がそう思っているのに、どうして守らせたいと思うのだね?
どうして本人の意思に反する事を、強制したがる?
ニール
ええと、こういう事じゃないですか?
相手が約束を守らなければ、私が傷つく。
神
すると、傷つくのを恐れて、相手を傷つけるわけだ。
ニール
約束を守ってもらうのが、傷つける事になるとは思いませんが。
神
向こうは傷ついたと思うだろう。
そうでなければ、約束を守っていたはずだ。
ニール
すると、相手が傷つくのを避けるために、自分が傷つくのを見ているべきなんですか?
神
相手を『約束というくびき』から解放してやれば、その当座は自分が傷ついたと感じるだろう。
だが、長い目で見れば決して被害を受けてはいない。
相手に自由を与えれば、自分も自由になる。自分も解放される。
相手に無理やり約束を守らせれば、必ず自分の尊厳や自尊心が傷つく。
そのため、当面の被害は無くなるが、はるかに大きい長期的な被害が起こる。
(『神との対話3』から)