ニール
(マルクスの著書である)『共産党宣言』は悪魔的だ、と言う人がいます。
神
「能力に応じて取り、必要に応じて与える」という考え方は、美しい考え方だ。
だが、実行の方法によっては、醜くなるんだよ。
分かち合いは、政府が強制する事ではなく、自発的に行うものだ。
ニール
しかし、放っておいたら「持てる者」は、「持たざる者」と分かち合おうとしないでしょう。
人民の政府の大半は、怒った大衆によって創られたのではありませんか?
政府が最低賃金制度を作るまでは、産業界は奴隷なみの賃金しか払おうとしなかった。
民間が解決策を講じないから、政府が解決するんです。
神
善や公正さは政治問題ではなく、『倫理上の問題』だ。
そこが難しいところだね。
政府というのは、善を義務づけて公正さを確保しようという試みなのだが、善が生まれる場所は唯一つ、人間の魂だけだ。
(魂は愛と叡智の存在だから、善の源になります)
モラルを法にする事は出来ない。
ニール
でも、何が善で何が悪かについての、皆の合意が、法律なのでしょう?
神
その通りだ。
あなた方の社会は、まだ非常に初歩的な問題に取り組んでいる。
本当は、殺人や詐欺を禁じる事から交通法規まで、必要であってはいけないのだよ。
それらは、誰もが『愛の法律』に従えば、必要のないものなのだ。
それが神の法だよ。
必要なのは、意識の面の成長であって、政府を増長させる事ではない。
ニール
では、無政府状態がベストだと?
神
無政府状態で上手くいくとは言っていない。
それが可能なのは、進んだ存在(意識の進化した人々)だけだ。
本当の問題は、「なぜ政府が、多くの規則を国民に押し付けなければならないのか」だ。
答えは、あなた方の『分裂した意識』にある。
ニール
私たちが、「お互いをばらばらだと考えている」という事実のことですね?
神
そうだ。
ニール
でも、ばらばらでなければ、一体だということになります。
そうすると、「お互いに責任がある」ことになり、共産党宣言が正しい事になりますよ。
神
前にも言った通り、それは高貴な考え方だ。
だが冷酷に強制されると、高貴さが失われる。実行が難しいのだ。
変える必要があるのは、『人間性』だ。
誰もが人間らしい暮らしをし、生きるための闘いをせずにすめば、人類にはもっと高貴な目標を追求する道が開ける。
個人の栄光のために他者が犠牲になるなら、それはどんな栄光だろうか?
私は、全ての人を養って余りある資源を、あなた方に与えた。
それなのに、なぜ餓死者やホームレスがたくさん出るのか。
誰かが死にかけている時に、本当に恵まれている者など、誰もいない。
社会の進歩の度合いは、最も貧しい人達をどう扱っているかで測られる。
ニール
何でもかんでも与えたら、人は働く気をなくすと言われています。
神
だが、人間らしく暮らすために、どうして働かなくてはならないのか。
どうして、働く事と人間の尊厳とが、関係するのか?
人間の尊厳とは、生まれた時から持っている権利ではないか。
最低水準以上の生活を望むなら、自分で努力すればいい。
だが、「生きるだけのために」苦労しなければならないのだろうか?
あなた方がやるべき事は、万人を平等にする事ではなくて、『全ての人に人間らしい暮らしを保障する事』と、『その上で、それぞれが何を望むかを選ぶチャンスを与える事』だ。
ニール
チャンスを与えられても活かさない者がいるんだ、という人もいますね。
神
その見方も正しい。
さて、チャンスを活かそうとしない人に、「別のチャンスを、さらに別のチャンスを」と差し出してやる義務はあるかな?
ニール
ないでしょう。
神
私がそういう態度を取ったら、あなた方は永遠に地獄をさまよっているだろうな。
いいかね。神の愛(真の愛)に限度はないのだ。
人間の世界でだけ、愛に限りがあるのだよ。
ニール
私たちが神の愛に値しなくても、ですね。
神
あなた方は、常に値しているのだよ!
(『神との対話2』から)