セックスは、大いなる愛の表現である

 神

セックスは、肉体的な経験では最も面白い遊びだ。

だが、自己満足や支配のために使ってはいけない。

喜びを分け合う目的以外には、使ってはいけない。

愛のないセックスを経験したいか? したいなら、そうしなさい!

もう嫌だと思うまで、実行すればいい。

どんな行動でも止めるのは、「新しい自分、今までと違う自分になりたい」と思った時である。

本質的にセックスは喜びだ。そして、聖なるものでもある。

だが、あなた方の多くは、そうは思っていない。

あなた方はセックスを抑圧している。
セックスを恥じ、邪悪なものだと言う。

セックスに対する態度は、人生に対する態度の小宇宙である。

セックスを支えるエネルギー(一つになりたいという激しい欲求)は、生命の本質的なダイナミズムだ。

私は、生命にそれを組み込んだ。

あなた方は、セックスの周りに築いた倫理やタブーや習慣のせいで、自分の在り方を祝福できなくなっている。

時の始めから、人は「愛し愛されたい」と望んできた。

セックスは、大いなる愛の表現である。

だから、あなた方はセックスを愛すべきだ!

私はあなた方に、恥ずべき事は何も与えていない。
身体の機能を、恥ずかしがることはない。

テレビ番組は、裸の暴力を見せる事は何とも思わないのに、裸の愛を見せる事は恐れている。

これは、あなた方の社会を反映している。

(『神との対話1』から)


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