神学の構造と、悪魔の創造

 神

自分の世界の責任を取りたがらない人は、「神が世界を創造したのだ、自分は堪える以外にはどうしようもない」と言う。

だが、あなたが生きている世界は、あなたが創造したのだ。

その世界をもう望まないなら、世界は変えられる。

この真実を、大抵の人は受け入れない。
受け入れれば、この世界を創造した「共犯者」になるからだ。

あなた方は、この世界の創造に手を貸したと思うよりも、「不本意な犠牲者の役割の方がいい」と思う。

そう思うのも、理解できる。

この世界が『自分の創造の産物』で、『自分の意図と欲望の結果』だと思ったのでは、自分が赦せないからだ。

なぜ、自分を赦せないのか?

それは、「神が赦しはしない」と思うからだ。

あなた方は、「神は赦さないことがある(罰を与えることがある)」と教えられてきた。

だからあなた方は、次善の策を選択した。
「自分は関係ない」と言い訳をしたのだ。

「世界の出来事と、自分は関係ない」という理屈は、歪んでいる。

もし誰かが、「この世界の混乱・惨劇は、すべて神が創造したのだ」と言えば、あなた方は慌てて否定する。

「そうじゃない。神は人間に自由意志を与えただけだ。この惨劇を作り出したのは、人間だ。」と言って、私を弁護する。

ところが、「その通りだ。あなたの人生・現実は、あなたが創造したのだ。」と私が言うと、あなた方はそれも否定する。

こうしてあなた方は、「この世界は、神が創造したものではなく、人間が創造したものでもない。神も人間も、現実を悲しげに見つめているだけだ。」と言う。

だが、人生がひどい状態になると、結局は私を非難する。

「どうして、こんな事をなさるのですか」と、私に叫ぶ。
そして、「残酷な神が、こういう世界を創造したのだ」と言う。

あなた方は、「自分がこんな残酷な世界を創造するはずはない」と思う。

そして「自分はしないが、神ならするだろう」と想像し、「自分は神の気まぐれにもて遊ばれている」と思う。

こうした考えの積み重ねが、『宗教』と呼ばれるものだ。

あなた方は、「神がこんな世界を創るはずはない」と考え、『悪魔』を創った。

無情な事をする神という矛盾を解決し、自分の責任を免れるために、悪魔という第三者を創り上げた。

完全なスケープゴートだ。

あなた方は、「こんな世界を創ったのは、悪魔がそうさせたのだ」と言う。

コメディアンの台詞が、あなた方の神学になった。
それとも、神学がコメディアンの台詞になったのかな?

(『神とひとつになること』から)


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