全面的な愛③
全面的な愛とは、自分にも他人にも自由を与える事だ

 神

自由は、神や人の魂の本質である。

自由度が減少するにつれて、全面的な愛の可能性も低下していく。

『全面的な愛』とは、自分にも他人にも全面的な自由を与える事だ。

ニール

すると、誰でも好きな事をしていいのですか?

 神

そうだ。それが、神の愛し方だ。

全面的に愛するとは、全面的な自由を与える事だ。

ニール

自分の子供に対しても、全面的な自由を与えるのですか?

 神

子供を一番早く成熟に導く方法は、自分で選択する自由を与える事だ。
愛は手放す。

あなた方はよく、愛と必要性を混同する。

必要性は、愛の対極だ。

愛は手放すが、必要だという思いはしがみ付く。

ニール

すると、全面的に愛するなら、手放せと?

 神

そうだ。規則や規制は、愛ではない。

だが、選択は制約ではない事を忘れないように。

子供たちが良い選択をできるように、持っている情報のすべてを与えてやりなさい。

「良い選択」とは、子供たちが最も望んでいる結果に繋がる選択のことだ。

あなたの知っている事を、分かち合いなさい。

だが、自分の考えや選択を、相手に押し付けてはいけない。

人が自分と違う選択をしたからといって、愛を出し惜しみしてはいけない。

それどころか、人が貧しい選択をした時こそ、愛を示してやりなさい。

それが優しさであり、これより高い表現はない。

(『神との友情 下巻』から)


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