ニール
あなたは、「自分にも他者にも全面的な自由を与える事が神の愛であり、私は全ての人に好きな様にさせる」と言います。
あなたは、結果を問わないのですか? 罰を与えないのですか?
神
神の王国には、罰などない。
だが、結果はある。
この二つは、別のものだ。
結果とは、自然な成り行きだ。
罰とは、人工的に創られた結果だ。
罰とは、自然な結果を待つ辛抱強さがない事の、現われだ。
ニール
それでは、何をやっても罰するべきではないのですか?
神
罰しても、平和や愛の社会は創れない。
罰からは、ほとんど学べない。結果の方が、良い教師だ。
罰とは、他者がする決定だ。
結果とは、それでは上手く行かないという、自分自身の体験だ。
ニール
でも、罰も結果ではないのですか?
神
罰は「人工的に創られた結果」で、自然な結果ではない。
罰を結果だと言い換えても、騙されるのは未熟な者だけだ。
とはいえ、あなた方の多くは、子供を育てる時にこの手を使う。
いいかね。真の愛は、決して出し惜しみをしたりはしない。
それこそが、全面的な愛だ。
愛には、間違った行動さえも包み込む力がある。
真の愛は、どんな行動でも「間違っている」とは言わない。
(『神との友情 下巻』から)