ニール
あなたは、「新しい福音を広めて、世界を変えなさい」と言います。
しかし、「霊性と政治を一緒にすべきではない」と言う人もいます。
神
霊性の政治化を避ける事は出来ない。
政治的見解とは、霊性の表現だ。
ニール
しかし、宗教と政治が結婚をすると、問題が起こります。
神
そうだね。
だが、宗教と霊性は別のものだよ。
宗教に参加しているのは一部の人だが、霊性にはすべての人が参加している。
ニール
そうなのですか?
神
「霊性」とは、生命のことだ。
霊性は、「全ての生命は繋がっている、関連し合っている」と語る。
これには誰も、異論を唱えられない。
唯一の論点は、「生命と神は同じものか」という事だ。
いいかね、二つは同じものだ。
あなた方は、かたちをとった神だ。
ニール
すると、どうなるのですか?
神
霊性が生命を意味するなら、「霊的である」とは『生命を肯定すること』だ。
従って、政治に霊性を注入するというのは、すべての政治的決定が生命の肯定になるようにする事だ。
あなた方が政治で試みてきたのは、生命の肯定だ。
政治の目的は、「生命が調和的に平和に生きられるシステム」を創ることだ。
ニール
そういう風に政治を考えた事は、無かったな。
神
アメリカの独立宣言は、「万人は平等に創られ、生命と自由と幸福を追求する権利を持っている」と謳っている。
アメリカ政府は、この権利を保証するシステムを築くために創られた。
どこの政府でも同じだ。
文化や社会の違いが、表現の違いとして現れるが、欲求は同じだ。
政府や政治は、生命を保証するために創られたのだよ。
ニール
しかし、大抵の人は、神が政治を語るのを嫌がります。
私がどうやって平和を実現するかを語り始めると、人々は怒り始めるんです。
神
そうだね。
人々は、あなたが平和のために祈る事は認めても、行動する事は望まない。
人々は神に解決策を求めるが、「神の解決策とは、あなた方が新しい行動をする事だ」という可能性は排除する。
ニール
人々は、神に何かをせよと言われるのは、嫌なのですよ。
神
私は命令した事などない。
あなた方が行きたい方向を聞いて、そこへ行く方法を示唆しているだけだ。
あなた方は、「平和で喜び溢れる人生を送りたい」と言う。
だから私は、「喜びと自由は同じだ。自由を損なうと、喜びを損なう。喜びを損なえば、調和を損なう。調和を損なえば、平和を損なう。」と言うのだ。
あなた方は、「争いの無い世界で暮らしたい」と言う。
だから私は、「そういう世界を創るには、新しい福音を伝えることだ。その福音とは、『私たちはすべて一体だ』と『私たちの道が優れているのではなく、これも一つの道に過ぎない』だ。」と言うのだ。
あなた方の歴史は、失敗の繰り返しだ。
狂気とは、何度も何度も同じ行動を繰り返しながら、別の結果を期待する事だよ。
政治に霊性を求める人は、「他の方法があるよ」と言っているのだ。
その努力は、祝福される事であって、批判されるべきではない。
ニール
ですが、『神との対話②』で社会問題を取り上げたら、政治的すぎると非難されました。
マリアン・ウィリアムソンは『アメリカを癒す』というすばらしい本を書きましたが、政治的すぎると叩かれました。
神
イエスも、「政治的すぎる」と言われたのだよ。
イエスを非難した者達は、「霊性についてだけ教えていれば、安全だった。だが、霊的真実を現実にどう応用するかを語り始めた。彼は危険になった。」と言った。
(『神との友情 下巻』から)