神
正直になり、自分が生み出す結果を認められるようになったら、次はその結果の責任を負いなさい。
『責任を負うこと』、それが第三の生き方だ。
社会が「責任」と「懲罰」を同等に扱っている限り、責任を負うのは嫌だと思うかもしれない。
だが、責任とは罰を受けることではない。
『責任を負う』とは、「生み出す結果を最善のものにするためなら何でもするし、他者が結果によって害を受けたら、救済できるなら何でもしよう」という意志を持つ事だ。
ニール
人によっては、「人は、自分の結果の責任を負うべきだ。あなたに起こる事には、私は責任がない。たとえ、私が原因だとしても。」という道を選択しています。
神
いいかな。あなた方は皆、お互いに責任がある。
あなた方は皆、兄弟なのだ。
それが理解できれば、すべての悲惨さや苦痛は消えるだろう。
(『神との友情 下巻』から)