ニール
一つ一つの生涯は、短くはかないです。
それなのに、どうして充分に誰かを愛せますか。
神
愛の経験は一時的だが、愛そのものは永遠だ。
あなたの今のパートナーであるナンシーとのセックスは、恒常的で終わりの無いものかな?
ニール
いいえ。断続的で、一時的です。
神
だからと言って、意味がなくなるのかな?
ニール
いいえ。
神
すると、ナンシーへの愛は永遠だが、愛の表現の一つは、一時的で短いのだね。
ニール
なるほど。どこへ向かっているかが、読めてきましたよ。
神
愛の経験・表現は一時的だと知りながら、愛する時には「全力を挙げて」愛するのが、マスターだ。
全力を挙げて人生を愛すること。
すべての瞬間に人生が差し出すものを愛すること。
これが、神の第二の姿勢、『全面的な愛』だ。
ニール
この姿勢は、よく知っています。
「すべての人を、無条件に限りなく愛すること」です。
でも、無条件に限りなく愛するなんて、人間に出来ますか?
神
マスターは、実行している。
ニール
私は、マスターではないです。
神
あなたはマスターだよ! 誰もがマスターなのだ!
ただ、それを経験していないだけだ。
全面的な愛は、まったく自然な事だ。愛は自然なんだよ。
通常ではないが、自然なものだ。
すべての人を、すべてのものを愛する事は、あなた方の基本的な性質だ。
(『神との友情 下巻』から)