神
『期待』とは、相手に対して、あなたが「こうあるべきだ」と思う行動をすると、考える事だ。
必要性と同じく、期待も致命的なもので、自由を損なう。
『相手に完全な自由を認めること』、それこそが相手への最も偉大な贈り物である。
私は、その贈り物をあなた方に与えているが、あなた方はそうは思っていない。
あなた方は、「神は、神のやり方(ルール)に従う事を期待するはずだ」と考え、人間同士でも同じ期待をし(様々なルールを作り)、それを愛と呼ぶ。
だが、愛は何も期待をしないし、自由は期待とは無縁なものだ。
期待を捨てた時、あなたは「ありのままの相手」を愛する。
だがそのためには、あなたはまず、「ありのままの自分」を愛さなければならない。
さらにそのためには、「ありのままの神」を愛していなければならない。
ありのままの神を愛するには、ありのままの神を知らなければならない。
だから、『神との友情』の第一ステップは「神を知ること」で、第二ステップは「神を信じること」なのだ。
神を愛するには、「知って信じること」が出来なければならないのだ。
あなたは、無条件に神を愛せるだろうか? それが大きな問題だ。
なぜなら、あなたは『自分の愛を神に与えるやり方でしか、神の愛を受け取れない』からだ。
ニール
途方もないお言葉ですね。
人間同士の関係でも、そうなのですか?
神
もちろんだ。
あなたは、自分の愛を与えるやり方でしか、他人の愛を受け取れない。
相手は好きな様にあなたを愛せるが、あなたは自分のやり方でしか、その愛を受け取れない。
他者にさせてやらない体験を、自分がする事はできない。
(『神との友情・上巻』から抜粋)