神
あなた方は、私の愛を独り占めにしようとしてきた。
私を、自分のものだと主張し、「神は、自分たちだけを愛している」と宣言した。
「自分たちは選ばれた民だ。私たちの宗教が、唯一の真の宗教だ」と言ってきた!
そして、自分たち以外の者も神が愛する事に、激しく嫉妬している。
誰かが「神はすべての人・信仰・国家を、同じように愛する」と主張すると、冒とくだと言う。
あなた方は、「神は嫉妬する」と思っているが、それはそういう風に私を愛してきたからだ。
あなた方は、愛する相手が他の者を愛したら、嫉妬をする。
それだけではなく、愛する相手の関心を自分からそらす全てに、嫉妬をする。
仕事や犬やゴルフに嫉妬をする。
ニール
しかし、嫉妬を克服するのは難しいです。
やっと退治したと思うと、次が現れる。
どうすれば退治できますか?
神
「幸せを左右するのは、自分の外にある何かだ」と考えるのをやめなさい。
「愛とは、何かを与える代わりに得られるものだ」と考えるのをやめなさい。
「他人の時間・エネルギー・資源・愛を、要求すること」をやめなさい。
これをすれば、嫉妬は退治できる。
ニール
どうすれば、その様に生きられますか。
神
『人生の目的は、得られるものとは無関係で、そこに注ぎ込むものこそが大事だ』と理解する事だ。
人生の目的は、『自分について抱く、最も偉大なヴィジョンの中の最も壮大なヴァージョンで、自分を新たに創造すること』だ。
そのためには、特定の誰かは必要ではない。
いや、誰も必要ではない。
嫉妬をするのは、「相手が幸福な分だけ、自分の幸福が損なわれる」と想像するからだ。
ニール
愛する相手が他人の腕の中に居ても、嫉妬をしてはいけないのですか?
神
価値観の変化は、社会の成熟の印だ。
あなた方は、新しい情報・経験・思考を検討して価値観を変えながら、『自分とは何者か』を新しく決めていく。
それは、成長の印だよ。
ニール
愛する者が他人の腕の中に抱かれていても構わない、というのは成長なのですか?
神
自分の平安を失わずに、自分の人生を破壊しなければ、成長の印だ。
人間は嫉妬のために、相手を殺したり、自殺をしたりしてきた。
多くの人は、嫉妬のために、自分の愛を殺している。
ニール
ですが、自分を愛していると言ってくれた相手が、他の誰かを愛しても、愛が無くならないなんて事があり得ますか?
神
真実の愛であるためには、あなただけを愛さなければならないのか?
ニール
当たり前じゃないですか!
神
みんなを平等に愛する神を受け入れにくいのも、無理はないな。
ニール
相手が自分だけに愛を与えてくれないと、愛は死んでしまいますよ。
神
いや違う。
死んでしまうのは愛ではなく、『必要性』だ。
「もう相手を必要としない」と決意をする。
必要性を殺すのであって、愛を殺すのではない。
必要性を殺しても、愛を抱き続ける者もいる。
その愛は、傍から見ても分かるほど、明るく輝いている。
すべての愛は、そうであるはずなのだ。
ニール
誰かに片想いをし続ければ、もう他を愛する事はできなくなります。
神
どうして誰かへの愛を捨てなければ、別の人を愛せないのだね?
一時に1人しか愛せないのか?
ニール
多くの人は、そうです。
神
ほとんどの人は、「愛」と「必要性」を混同している。
だが、愛と必要性は、何の関係も無い。
必要だから愛しているなら、それは相手を愛しているのではなくて、相手が与えてくれるものを愛しているのだ。
何も必要としないのが、本当の愛だ。
(『神との友情・上巻』から抜粋)