ニール
もし私が第三者で、他の二人が愛だと決めても、「それは愛じゃない」と考えたら、どうなりますか?
神
その時は、あなたの真実を言わなければいけない。
そして相手の対応によって、相手との関係を決めればいい。
ニール
私がその二人を愛していて、必要としていたら?
神
必要としなければしないほど、その人たちを愛せるよ。
ニール
「愛する者の何も必要としない」なんて事が、できますか?
神
相手が与えてくれるものではなく、相手そのものを愛すればいい。
ニール
そんな事をしたら、踏みつけにされます!
相手に何の制約も課さないで、踏みつけにされずにすみますか?
神
相手に全面的な自由を認める事は、自分を牢獄に閉じ込める事ではない。
相手に制約を課すのではなく、「自分自身に」制約を課しなさい。
その制約は自発的なもので、『自分とは何者であるか』を宣言することだ。これは、自己の創造だ。
あなたは、現在のすべての瞬間に、自由に自分を宣言できる。
実際にそうしているのに、気づいていないだけだ。
だが、他者が何者であるかを宣言する自由は、あなたには無い。
愛も神も、そんな事はしない。
嫉妬する自分を宣言するなら、その嫉妬はあなたの愛を終わらせるだろう。
あなたは常に、すべての人と関係を持っている。
問題は、「関係を持つか」ではなく、「どんな関係にするか」だ。
この問いへの答えは、あなたの人生にも、世界にも影響を及ぼす。
(『神との友情・上巻』から抜粋)