神
神と友達になるには、第一に、私を知らなければならない。
ニール
どうすれば、あなたを知ることが出来ますか?
神
真の意志を持たなければならない。
私を見つけなければならない。
私は、『存在するすべて・生命・愛・自由』だ。
(この神の概念が分からない人は、神との対話のページを見て下さい)
多くの人々は、私を見ているのに、見つけられない。
「ウォーリーを探せ」の様なものだ。
ニール
どうすれば、あなたに気が付けますか?
神
まずは、「神は存在する」と信じなければならない。
ニール
大抵の人は、神を信じていますよ。
神
そうだね。
だが問題は、「私を信じるかどうか」ではなく、「私について何を信じるか」だ。
あなた方は、「神を間違った名で口にするのは、冒とくだ」と言う。
だが、エホヴァと呼ぼうが、ヤーウェ、ゴッド、アッラーと呼ぼうが、私は気にしない。
私を何と呼ぶかで争うのは、やめた方がいい。
名前で争わないにしても、多くの宗教は「神についての知識を求めるのは、賢明ではない」と教えている。
「神に話しかけられた」と言えば、異端呼わばりされる。
私を知るためには、「本当に知ろう」という意志を持たなければならない。
私についての新しい考え、新しい可能性を受け入れるのだ。
神についての新しい考えを受け入れられれば、「意志」を持てたという印だ。
実に皮肉な事だが、神を知るためには、教会を捨てなければならない。
教会は不可知の神を教えるが、その様な神とは友達にはなれない。
(『神との友情・上巻』から抜粋)