神を知ること④
エゴは真の自分ではない エゴとは道具である

ニール

自己との友情はあると思っていました。私は自分が大好きですから!

私には、大きなエゴがあります。

 神

大きなエゴは、自分が好きな印ではない。逆だよ。

人が「自慢」したり「見せびらかしたり」したら、自分の何がそんなに嫌いで、どう人に好意を持ってもらいたがっているのだろう、という疑問が湧くね。

ニール  うわぁ、傷つくな。

 神

つらい観察は、大抵が真実なんだよ。

真の自己愛は、エゴを肥大させるのではなく、消滅させる。

自分を知れば知るほど、エゴは小さくなる。
真の自分を知れば、エゴは完全に消えて無くなる。

ニール  エゴとは、自己の意識ではないのですか?

 神

エゴとは、「自分が考えている自分」だ。
『真の自分』とは何の関係も無い。

ニール

あなたは以前に、「エゴを持つのは構わない」と言いました。

エゴを持つのは良いのですか? 良くないのですか?

 神

これを説明するには、宇宙(相対性の領域)の説明が必要だ。

あなた方が『相対性の領域・宇宙』に入ったのは、「真の自分」を経験するためだ。

『絶対の領域・死後の世界』では、「自分ではない面」が無いため、真の自分を経験できない。

『絶対の領域』には、段階が無い。
段階があるのは、相対性の中だけだ。

『相対性の領域』は、「すばらしい自己を体験的に知るため」に創り出された。

「全てと一体である」というすばらしさは(自分がすべてと一体になるという素晴らしい体験は)、『全てが一体である絶対の領域』では経験できない。

「全てと一体ではない・ばらばらだ」という感覚や体験は、幻想だ。

その幻想のために、『相対性の領域・宇宙』が創り出されたのだ。

『相対性の領域・宇宙』では、見かけは真実ではない。

エゴは、この「幻想」を創り出すための、大きな道具なのだ。

ばらばらな自己を想像する事ができるための、「仕掛け」なのだ。

「全てと一体である」という体験をするための道具としてエゴを持つ事は、良い事だ。

だが大きすぎるエゴは、ばらばらな自己(幻想)しか見えなくなる。

そうすると、「全てと一体である」という体験をするチャンスは失われ、幻想の世界で迷子になり、迷ったままで沢山の生涯を重ねなければならなくなる。

『救済』とは、その迷いから連れ戻す事だ。

エゴは、道具として使うなら良いことだ。

あなた方は、ばらばらだという幻想に飽きたら、私の元へ(全ては一体であるという認識へ)戻りたくなる。

(『神との友情・上巻』から抜粋)


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