(『なぜアメリカはこんなに戦争をするのか』C・ダグラス・ラミス著から抜粋)
『日米の安全保障の条約(日米安保)』は、2つの強制行為によって設定されたものである。
1つ目は、1951年にアメリカが、安保条約を講和条約(日本の独立)の条件にした事である。
2つ目は、1960年に(安保闘争のときに)、安保条約は国民の意思に反して延長された。
日本政府は、大規模な警察力(暴力)を使って、人を殺すことまでして新安保条約を成立させた。
日米安保条約は、軍事条約であり、不平等条約でもある。
この条約では、「米軍の基地を日本の領土に置くこと」が規定されており、その基地は日本の外交を規制している。
アメリカが、ある国を敵と見なせば、在日米軍基地のある日本もその国を敵とする事になるからだ。
日米安保の下では、日本の外交の決定が、ワシントンDCで行われる事がある。
つまり、日本の主権の一部が、アメリカ政府に移管されている。
「日本の主権の一部は、まだ日本に返還されていない」と言ったほうが正確かもしれない。
1960年に安保条約が延長された時、沖縄は米軍の統治下にあったため、安保論争から排除されていた。
1972年の日本復帰の後も、安保条約の下で沖縄には多くの基地が残っている。
安保体制が半世紀以上も続いた現在では、その不平等さを感じなくなった人が多くいる。
これを、「意識の植民地化」という。
もちろん米軍基地の近くに住む人々は、このような無感覚になる傾向は少ない。
植民地化された意識に気付かない人(安保を支持している人)が最も集中しているのは、東京・永田町である。
安保体制は、「国家は軍事力で守られるものだ」という、『戦争ばかりの20世紀』を生み出した古い考え方に基づいている。
日本の反戦・平和運動は、「護憲と安保の廃止」の立場を貫いてきた。
その人々の言葉と活動には、平和憲法が今でも生きている。
私が役人を相手に講演をした時、外務省の役人が次のような質問をした。
「あなたは軍事力の使用に反対だとおっしゃるが、ヒトラーを抑える方法として、その他に何があったのか」
これは、きわめて奇妙な質問である。
もしあの時代に、日本の外務省がヒトラーを抑える気持ちを持っていたならば、日独伊の同盟から抜けていれば、とても効果があっただろう。
外務省の彼は、日本に使用された原爆や、沖縄戦についても、「日本の侵略を抑えるための方法だった」と言って支持するのだろうか。
(2014年6月11日に作成)