公文書の管理法が施行されたが、守られていない

(毎日新聞2012年8月16日から抜粋)

『公文書の管理法』が、2011年4月に施行された。

この法では、公文書の作成と保存を定めている。

しかし、東日本大震災と原発事故に関する政府会議では、議事録が作られなかった。

『沖縄についての日米の密約』では、当事者の署名入りの文書がアメリカに残っているのに、日本側には存在していないものがある。

「こうした状態では、外国に都合のいい歴史が作られかねない」と懸念する人は多い。

政府は現在、秘密保全法案を策定中だが、法案の骨格を検討した有識者会議の議事録を作っていない。

「会議のメモは、廃棄した」と言う。

政治家や官僚は、情報公開についての意識改革が必要である。

第二次世界大戦後の日本人のシベリア抑留・モンゴル抑留では、日本政府が公式の資料を残していないので、今でも正確な死者数さえ分からない状態である。

政府は死者数を、帰国者からの聞き取りなどから、ソ連で5.3万人、モンゴルで2000人としている。

しかし、ロシア側の資料では6万人を超えるし、モンゴル側の資料では1615人だという。

政府は、公文書の在り方を真剣に考えなければならない。


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