(『しんぶん赤曜版2023年2月5日号』から抜粋)
経団連は毎年、春闘に向けた方針書を発表している。
その第1回目は1975年で、当時の日経連(経団連の前身)が出した。
1975年の方針書(報告書)は、前の年の大幅賃上げ(32.9%増)の再現を阻止するためのものだった。
この報告書では、1975年の春闘で賃上げは15%増まで、76年以降は1ケタに収める、という方針を出した。
賃上げをおさえるには、労働組合を味方につける必要がある。
そこで日経連は、労働組合を懐柔して、「管理春闘」を成功させた。
「管理春闘」という言葉は、1980年代の前半にメディアが命名した。
管理春闘は、労使が一体化して賃上げを抑える仕組みである。
この春闘が延々と続き、今でも続いている。
春闘で、物価の上昇以上の賃上げを勝ち取るには、管理春闘の枠組みを打破する必要がある。
統一したストライキを含む、賃上げの闘争が必要である。
「賃上げは、労働者が協力して闘い獲得するもの」という認識が重要である。
(2024年6月6日に作成)