(以下は、ハーバービジネス・オンラインの『草の根保守の蠢動』から抜粋)
『美しい日本の憲法をつくる国民の会』のWEBサイトを見てみよう。
真っ先に出てくるのは、3名の共同代表の顔写真だ。
櫻井よしこ、田久保忠衛、三好達の3名である。
三好達(元最高裁長官)は、日本会議の代表である。
田久保忠衛は、日本会議の代表委員。
『美しい日本の憲法をつくる国民の会』の役員名簿を見ると、日本会議の事務総長である椛島有三をはじめ、役員のほとんどが日本会議の役員と重複する。
要するに『美しい日本の憲法をつくる国民の会』は、新憲法の制定を目標とする日本会議が1000万人の賛同者を集めるために作った、別働団体なのだ。
安倍首相の補佐官である衛藤晟一は、『美しい日本の憲法をつくる国民の会』の設立総会に参加し、居並ぶ日本会議の会員たちにこう言った。
「安倍内閣は、皆さんの力で作った」
衛藤補佐官が日本会議の功績を讃えるのも無理はない。
安倍内閣では、「日本会議の国会議員の懇談会」に所属する議員が、8割を超えている。
閣僚のうち公明党の人以外は、ほぼ全員が日本会議に所属している。
安倍内閣は、「日本会議お仲間内閣」と言える。
1997年に新憲法を成立させる目標で設立された、日本会議。
この団体は、どういう団体なのか。
まず、彼らの主張を見ていこう。
日本会議のWEBサイトを見ると、目指すものは次の6つだ。
①
皇室を中心と仰ぎ、均質な社会を創造する
②
昭和憲法(今の憲法)がその阻害要因なので、改憲した上で行き過ぎた家族観や権利の主張を抑える
③
靖国参拝などで、国家の名誉を最優先する政治を遂行する
④
国家の名誉を担う人材を育成する教育を実施する
⑤
国防力を高め、自衛隊の積極的な海外活動を行う
⑥
以上をもって、各国との共存共栄をはかる
主張の目新しさはなく、昔ながらの街宣右翼と何ら変わらない。
そうした主張をする日本会議に、安倍内閣の閣僚の8割以上が所属している。
そして、この主張を政策化して実現している。
日本会議の特徴は、別働団体を多数、擁していることである。
例えば、改憲を達成するために、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」「新憲法研究会」「二十一世紀の日本と憲法有識者懇談会」などを擁している。
これらの団体は、日本会議系であることを隠さない。
活発な地方活動も特徴で、日本会議は「日本会議の地方議員連盟」を擁している。
上記した各団体も、それぞれ地方組織を持っている。
彼らの活動の典型的な「成功例」は、歴史教科書採択の運動と、男女共同参画へのバッシングだろう。
この活動で、行政や教育への介入を強めている。
日本会議が総力をあげて取り組んでいるのが、改憲だ。
地方支部を通じて、あるいは別働団体を通じて、地方の議員に働きかけている。
その結果、2015年1月10日現在で、憲法改正の早期実現を求める地方議会の決議を行ったのは、25府県議会136市区町議会にのぼっている。
注目すべきは、この改憲を求める意見書を採択させようとする動きは、第二次・安倍内閣が誕生してから一気に推し進められてきた事だ。
最初に意見書の採択をしたのは、2014年2月の石川県議会だった。
この時の意見書は、日本会議の案文そのままであった。
その後、自民党本部から各都道府県に「石川県議会の意見書を参考にするように」との通達が出され、一気に動きが広まった。
安倍内閣は、意見書を採択させることで、世論を醸成しようとしている。
日本会議の運動は、規模の大きさと執拗さに特色がある。
連日のようにあちこちでイベントを開催し、多数の参加者がいる。
この動員力こそ、日本会議の強みだ。
なぜ日本会議はここまで動員力があるのか、彼らの実働部隊はどの様な人達なのか。
日本会議の役員名簿を見ると、総数62名のうち24名が宗教関係者である。
役員を輩出している宗教団体は、実際に日本会議の運動に積極的に関与している。
日本会議のイベントでは、国柱会、倫理研究所、神社本庁、霊友会、仏所護念会、念法真教、崇教真光、などが受付窓口を設けていた。
イベント参加者を動員している事がうかがえる。
日本会議の地方活動で最前線にいるのは、宗教団体が動員した人達だ。
山口県宇部市で男女共同参画条例に反対した運動は、新生沸教教団系の出版社である日本時事評論社が主導していた。
愛媛県で「新しい教科書をつくる会」の歴史教科書が採択された際は、神社本庁、倫理研究所、キリストの幕屋、モラロジー研究所など、日本会議に参画する宗教団体の活動が確認されている。
日本会議に参加している宗教団体を見ると、明治以降に生まれた「新宗教」が多い。
また、神社神道系、仏教系、天理教やPL教団からの分派など、様々な宗派がある。
これらの団体は、信仰対象や教義に統一性はない。
霊友会と、霊友会から分派した仏所護念会という、本来なら対立する団体も同居している。
1995年に自社さの連立政権は、『戦後50年の決議』を国会で採択した。
そして、「あの戦争は侵略戦争であった」と認め、謝罪を表明した。
この『50年決議』は、「村山談話」「河野談話」「小泉談話」と引き継がれていった。
そうした中、50年決議に反対した団体のうち、1997年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」は合体して、日本会議となった。
その後に日本会議は、「国旗国歌法の制定」「教育基本法の改定」「夫婦別姓を潰す」「皇室典範の改正への反対」「男女共同参画への反対」などで成果を挙げてきた。
そして『戦後70年の安倍談話』は、「謝罪も反省も侵略も植民地支配も、誰が主体なのか明確でない言い回し」となった。
この「誰が主体なのか明確でない言い回し」こそ、日本会議らが求めてきたものだ。
この談話は、時計の針を20年戻した観さえある。
「日本会議」や「生長の家・本流運動」を追いかける際に、避けて通れないのが村上正邦である。
彼は参院議員でありながら、渡辺美智雄の亡き後に旧中曽根派を継承し、総理選びに絶大な影響力を行使した。
村上正邦は、生長の家をはじめとする宗教票をバックに、参院に君臨して「参院のドン」「参院の天皇」と呼ばれた。
彼は、日本会議を作った者の1人で、その前身である「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」のリーダーの1人だった。
村上の政治力の源泉は、「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の集票力だった。
(2016年3月19~20日に作成)