(毎日新聞2012.12.2.から抜粋)
『日米地位協定』は、在日米軍人とその家族の法的な地位を定めた協定である。
2012年10月に沖縄で起きた、米兵2人による強姦事件では、沖縄県知事の仲井真は「地位協定は諸悪の根源だ」と怒りをあらわにした。
かつて地位協定の改定に積極的だった民主党は、政権の座につくとアメリカとの妥協に舵を切っている。
日米地位協定の17条では、「米兵の公務中の犯罪は米側に、公務外の犯罪は日本側に、優先的な裁判権(第1次裁判権)がある」と定めている。
ただし、公務外でも容疑者の身柄が米側にあれば、起訴時までの米側の身柄拘束を認めている。
1995年9月に起きた、米兵3人による小学生女児への強姦事件では、米側が身柄を拘束した。
沖縄県警は身柄の引き渡しを請求したが、米軍は拒否した。
県民の怒りが高まったため、日米政府は同年10月に、「凶悪事件に限り、起訴前の引き渡しに米軍は『好意的な考慮をする』」と決めた。
2004年4月には、この「考慮」はすべての犯罪に拡大した。
しかし池宮城紀夫は、「米軍の関係者は、基地の中に逃げ込めば捕まらないと思っている。公務外でも米側が先に身柄を押さえれば、日本側は逮捕できない。」と指摘する。
2004年8月に、沖縄国際大学に米軍の大型ヘリが墜落する事故があった。
この時、米軍は現場を封鎖して、沖縄県警を無視して機体を撤去した。
県警は、事故の6日後に、事故機の無い現場検証をした。
現場で活動した消防士は、「治外法権のように、現場が米軍に占拠された」と言う。
地位協定の付属合意では、「日本は、米軍の財産について、捜索・差し押さえ・検証をしない」とされている。
1960年に締結された日米地位協定は、前身の『日米行政協定(52年に調印)』の時代から、不平等さが指摘されてきた。
だが、改定がないまま50年以上が経過している。
1995年9月の米兵による小学生女児への強姦事件では、地位協定の見直しを求める声が高まった。
しかし、当時の自社さの連立政権は、「現行の協定で事件の解明はできる」とした。
当時は、冷戦の終結後であり、「協定を一部でも変更すれば、日米安保の全体の見直しにつながる」と、外務省は懸念した。
〇本間浩の話
日米地位協定の原形は、1951年に締結された「NATO軍の地位協定」である。
日本政府は、協定の改定ではなく、運用の改善で対処してきた。
1995年10月の改善で、起訴前の身柄引き渡しに米軍が「好意的な考慮をする」ことになった。
しかし、決定権はなお米側にあるし、公務かどうかを米側が認定するのもおかしい。
ドイツでは、93年に協定が改定されて、米軍基地にドイツ国内法が適用されるようになった。
日本も参考にできる。
○村本尚立のコメント
日米同盟が問題視されると、必ず外務省が出てきて、アメリカの利益のために動くんですよ。
ここで取り上げた事件でも、地位協定の改定が盛り上がった時に、外務省が出てきて、国民の感情を無視してアメリカのために動いています。
外務省については、「アメリカに乗っ取られていて、アメリカ政府の下請けになっている」という噂があるのですが、相当に当たっている気がします。
(2013年8月17日に作成)