(『アジア三国志』ビル・エモット著から抜粋)
靖国神社の敷地内にある『遊就館』には、神社そのものよりも大きな問題がある。
ここは、元来は幕末~明治維新にかけての、新政府軍の戦没者の遺品を展示していた。
敗戦後には閉館となったのだが、財界が「東京裁判の判決は無効である」と主張するために復活させた。
現在の展示は、明治維新~敗戦までの歴史を扱っています。
遊就館では、次のように説明している。
「日本は米欧と同じに植民地主義になり、その流れで合法的な権益を守ろうとした。
石油禁輸が実施されたので、やむなく東南アジアに進出した。
東南アジアを支配していたヨーロッパの国と衝突し、最終的には日米開戦にもなった。」
「アメリカの挑発で日本が戦争に踏み切った」とも主張していたが、2006年にアメリカの抗議をうけて修正をした。
遊就館は、日本の勇士と戦闘、外交政策、ばかりを説明している。
被害をこうむった他国については、ほとんど触れていない。
第731部隊については触れていないし、南京大虐殺についても詳しい説明はない。
何万人ものアジア女性を慰安婦にしたこと、朝鮮人と台湾人を強制労働に使ったこと、1942年のフィリピン人とアメリカ人の捕虜7.5万人による「バターン死の行進」で多数の死者が出たこと、捕虜の死亡率が高かったこと、にも言及していない。
要するに遊就館は、罪を償う目的のものではなく、歴史の修正を目的としている。
日本の保守派が遊就館の展示に沿うかたちで高校の歴史教科書を作成した時には、大きな問題になった。
2005年に文部科学省が検定すると、北京やソウルで激しい抗議デモが起きた。
日本の中高生の大多数は、日本が犯した過ちについて詳しく書いてある教科書を使っている。
1990年代の初頭に、中国の教科書が改訂されて、日本の犯した罪を激しく攻撃する内容になった時も、大きな問題となった。
(2014年6月2日に作成)