(『なぜアメリカはこんなに戦争をするのか』C・ダグラス・ラミス著から抜粋)
日本の歴史に関して、外国では常識になっているのに、日本では知らされていない事柄がある。
昭和天皇・裕仁(ひろひと)の戦争責任は、その1例である。
「裕仁に戦争責任がある」というのは、今や確立された歴史的事実である。
ピューリツァー賞をとったジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』とハーバート・ビックスの『昭和天皇』は、裕仁の戦争責任を実証した本だ。
2000年に行われた国際女性戦犯法廷では、多くの法学者が証拠を検証し、裕仁を有罪とした。
しかし、日本でこの事を知っている人は何人いるだろうか?
日本政府は「国際化」をがなり立てているが、外国では常識となっている歴史事実を隠そうとしている。
ハーバート・ビックスの『昭和天皇』は、10年をかけた労作である。
その本にピューリツァー賞が与えられたちょうどその頃(2001年)に、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が、文部省の検定に合格した。
「つくる会」の現行の教科書への批判は、それが事実かどうかではなく、「生徒たちの気分を悪くさせる」というものだった。
これは、歴史を学ぶ方法論としては貧弱である。
どの国でも、気分を悪くするような歴史事実はある。
私は、つくる会が「日本が行った侵略戦争について学べば、学生は嫌な気分になる」と言うのは正しいと思う。
日本が侵略戦争をしたこと、隣国を植民地にしたこと、民間人を何百万人も殺したこと。
軍がたくさんの女性を強姦し、性奴隷(慰安婦)を持ったこと。
これらの事実を知れば、気分は悪くなる。
逆に、「南京大虐殺はデッチ上げだ」「日本の侵略は、西洋の植民地主義からの解放を助けた」「慰安婦たちは幸せだった」などと聞かされれば、気分は良くなるだろう。
アメリカの若者だって、
「アフリカから連れてこられた奴隷の生活は、悪くなかった」
「フィリピンを植民地にしたことで、フィリピンは進歩した」
「日本に原爆を落としたことは、何百万人の命を救った」
と聞かされれば、気分は良くなるはずだ。
生徒の気持ちを良くさせたいならば、教科書を書くのに小説家を雇えばいい。
しかし、歴史を学ぶとは、ありのままを知ることである。
歴史学者は、たとえ都合の悪いことでも、書かなければならない。
20世紀の歴史は、悲惨な戦争の歴史であり、「嘘偽りのない記述を読むのは、ほとんど堪えられない」というのは本当である。
それでも、若者には事実を教えなければならない。
若者たちに本当の事を伝えれば、同じ過ちを避ける材料を提供できる。
最も危険なのは、若者が嘘を信じることではなく、「歴史とは権力者が決めるものだ」と信じてしまう事である。
ハンナ・アーレントは、こう言っている。
「洗脳の最終的な結果としてよく指摘されるのは、一種の冷笑主義です」
もし「つくる会」の教科書を採用すれば、生徒は「教科書や先生は嘘をついている」と思うだろう。
教科書が真実を伝えない場合、教師はどうすればいいのか。
大切なのは、「この教科書は、政治的な目的を達成するための本だ」と、正直に教える事である。
私は、どんな教科書が採択されても、生徒たちにどういう状況なのかを教えるのがベストだと思う。
特に歴史教科書の場合は、『政治的な争点になっており、政治的圧力の標的になっていること』を伝えるべきである。
このように教えれば、嘘の書かれた教科書でも、政治を勉強するために役立つ。
「真実のすべてを教える歴史記述は存在しないし、嘘ばかりの歴史記述も存在する」と教えよう。
(2014年6月11~12日に作成)