安倍元首相・暗殺事件のおかしさ

(以下は『週刊文春2023年3月2日号』から抜粋)

「山上被告が(自作銃を安倍晋三に向けて)撃った方向と、安倍さんの身体に弾が入った角度が違うという疑問は、納得できる説明はまだない。」

こう語るのは、下村博文・元文科相だ。

奈良県警は2023年2月13日に、山上被告を追送検し、捜査を終結させた。
だがこの事件は、数多の謎が残っている。

山上は、安倍の背後から2度発砲して、2度目で弾が当たったとされている。

だが弾が当たったのは右前頸部で、安倍の立っていた姿勢を考えると、なぜそこに当たったのか説明できない。

銃撃された後の、救急搬送も問題だ。

ジャーナリストの照井資規は言う。

「銃撃されてから病院に搬送されるまで、50分もかかっていて、遅すぎる」

奈良市消防局の報告書によると、山上の発砲から1分後に救急車の出動指令があり、救急車が現場に着いたのは9分後だった。

救急車は倒れている安倍を収容して、ドクターヘリとの合流場所へ向かったが、安倍が病院に着いたのは銃撃から50分後である。

同報告書によれば、救急車とは別に、医師を乗せたドクターカーも出動していた。

このドクター・カーは救急車と落ち合い、銃撃から26分後に安倍に救命措置をした。

だが安倍は現場で心肺停止が確認されていたので、救命措置は効果がなかっただろう。

奈良県立医大の救命医は、(安倍の身体を診た後で)夕方の記者会見において、「心臓には弾丸による大きな穴が開いていた」と説明した。

ところが翌日の司法解剖の報告では、「心臓には銃による穴はない」と一転した。

司法解剖を担当したのは、奈良県立医大の法医学教室の教授だが、年は40代で、この分野では若手だった。

経験豊富な名誉教授は、呼ばれなかった。

安倍銃撃事件の現場検証は、事件から5日後の7月13日に行われた。
これはあまりに遅い。

安倍についた銃撃の傷は3ヵ所だったが、身体に当たった銃弾は1つしか見つかっていない。

残りの2つは、現場検証までに消えた可能性がある。

警視庁の刑事は言う。

「奈良県警は7月11日と12日に、山上が試し撃ちをした統一教会の施設を現場検証している。

殺人事件で、 銃撃があった現場を後回しにして、試し撃ちの現場を先に調べるのは、警察の常識から考えられない。」

安倍暗殺事件の時に奈良県警の本部長は、鬼塚友章だった。
彼は2022年3月に着任したばかりだった。

鬼塚を引き立てたのは、安倍政権で国家安全保障局長をした北村滋である。

鬼塚は2020年に、国家安全保障局の参事官に就任していた。

奈良県警は、安倍暗殺事件の時、奈良西署で起きた銃弾5発の紛失事件を処理中だった。

ちなみに奈良西署は、この暗殺事件があったときに、安倍の警備を担当していた署である。

上の銃弾5発の紛失事件では、当直だった20代の巡査長に窃盗容疑がかけられ、連日の取り調べでこの巡査長はうつ病になってしまった。

その後に巡査長は、違法な取り調べを受けたとして訴訟を起こした。

奈良県警は、安倍暗殺事件の鍵を握る人物の聴取もできていない。

山上を長年支援してきた彼の伯父は、県警を信用できないとして、聴取に応じていない。

(2024年6月7日に作成)


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