タイトル高市早苗の経歴、小泉進次郎のステマ問題

(以下は『週刊文春 2025年10月16日号』から抜粋
2026年3月29日に作成)

高市早苗は1961年に奈良県で生まれた。
父は機械メーカーの営業職、母は警察官だった。

神戸大学の経営学部に進学したが、ロックの音楽にハマリ、当時は革ジャンを着てバイクに乗っていた。

大卒後は、就職の内定を蹴って松下政経塾に5期生として入塾。

同塾では軍縮の勉強をしたという。

松下政経塾から派遣されて、米国の民主党の下院議員パトリシア・ シュローダーの事務所で働いた。

1989年に帰国すると、テレビ朝日の深夜番組でキャスターをした。

1992年の参院選に、奈良県から自民党候補で出馬しようとしたが、公認を得られず無所属で出馬した。

このときの事を自民党県連の関係者はこう話す。

「この参院選は、奈良県連では服部三男雄氏と高市早苗氏が公認候補者で、公認されたほうがもう1人を応援するとの約束があった。

しかし公認を取れなかった高市氏は、約束を守らず無所属で出馬した。県連の会長は激怒していた。」

この参院選では高市は落選した。

翌1993年の衆院選に、高市早苗は無所属で出馬し、初当選した。

元国会議員の話
「当時の高市さんは、同じく無所属議員だった鳩山邦夫さんに頼っていた」

1994年に彼女は、後に夫になる山本拓らが所属する政策集団「リベラルズ」に参加。

間もなく自由党の結党に加わり、その後は新進党に参加した。

この時期に彼女が仕えたのは、小沢一郎だったのである。

1996年10月、新進党の小沢党首の下で衆院選にのぞみ、当選した。

するとその翌月に新進党を離れて、与党の自民党に入党した。
この行いで裏切り者と見られた。

自民党に入った高市早苗は、森喜朗の率いる清和会に所属した。

2003年の衆院選では落選した。

2005年の郵政選挙で、郵政民営化に反対していた奈良2区の滝実への刺客として、彼女は奈良2区から出馬した。

自民党の関係者は言う。

「(刺客として)高市氏は奈良1区から2区へ鞍替えして出馬した。

高市氏は選挙中、『滝さんとは家族ぐるみの付き合いで本当に戦いたくない』と同情を買う演説をした。
滝陣営は『高市家とは何の付き合いもない。嘘をつくな』と怒り心頭でした。」

当選した彼女は、2006年に安倍内閣で内閣府特命担当大臣として45歳で初入閣した。

元議員は言う。

「当時の高市さんは保守派ではなく、夫婦別姓にも賛成で、『女性が苗字を変えなくてもいいんじゃない』と言ってました。」

なぜ高市早苗は保守色を強めたのだろうか。

政治部デスクはこう分析する。

「保守色の強い森喜朗や安倍晋三に取り入るためでしょう。

2012年の自民党総裁選では、派閥の会長である町村信孝でなく安倍を支持するのを理由に、清和会を脱退した。
これが安倍政権で要職を歴任することにつながった。」

2021年の自民党総裁選では、麻生太郎(麻生派)は岸田文雄を支援した。

高市を支援する安倍晋三に対し、「高市なんか支援するなら付き合えねえぞ」と言ったほど、麻生は高市とは遠かった。

だが2024年の総裁選では、麻生は石破を落選させるために高市を推した。

高市が石破に破れた後、麻生は「あそこまでやっても高市はマジョリティ(多数派)を取れないんだね」とこき下ろした。

それなのに2025年の総裁選では、麻生は再び高市を支援して、今度は高市が選ばれた。

当選した高市に対し、麻生は義弟である鈴木俊一の幹事長起用を求めたが、高市は「人事はお任せしますから、支援していだだきたい」と応じたという。

2025年の自民党総裁選は、小泉進次郎のほうが有利と報じられていた。

だが本誌が報じた「ステマ問題」もあって、小泉は敗北した。

ステマ問題とは、小泉の選対で広報班長をする牧島かれんが、やらせのコメント(小泉を持ち上げるやらせのコメント)をニコニコ動画に書くよう要請した事件である。

世論を捏造したのがバレて、牧島は報道を受けて班長を辞任した。

小泉陣営にいた関係者は、こう話す。

「ステマ問題が発覚した時 、牧島は謝罪したが、選対本部長の加藤勝信は表に出て こず説明もしなかった。

そのため陣営内の雰囲気は悪くなる一方でした。」

小泉の選対メンバーだった大岡敏孝もこう話す。

「小泉本人が責任を取るか、加藤さんが取るかの、どっちかだったと思う。

でも若手の女性である牧島さんに責任を押しつけた。僕はガッカリした。」


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