尖閣諸島をめぐる日中の歴史

(以下は『毎日新聞 2012年10月16日、2013年6月5日』からの抜粋)

1972年9月

日中関係は、日本が中国に攻め込んで日中戦争が始まって以来、国交が断絶した。
日本が1945年に敗戦してからも、正式な国交は無かった。

それがようやく1972年9月に国交が正常化した。

9月26日or27日の日中の首脳会談で、田中角栄・首相は「尖閣諸島については、どう思うか」と尋ねた。
中国の周恩来・首相は「今回は話したくない」と答えたとされている。

1978年8月

日中の平和友好条約が締結した。

この時に鄧小平・副首相は、「尖閣については、後で相談すればよい。今の世代が解決の方法を探し出せなければ、次の世代が探し出すだろう」と発言したとされる。

1992年2月

中国政府は、領海法を制定した。

尖閣周辺の水域を、中国の領海と規定した。

2010年9月

尖閣沖で中国の漁船が、日本の海上保安庁の船と衝突事件を起こした。

日本側は船長を逮捕したが、中国政府が抗議して揉めたため釈放した。

2012年4月

石原慎太郎・都知事が、尖閣諸島の購入計画を発言した。

その1ヶ月後の中国での世論調査では、「今の日本は軍国主義だ」との認識が半数近くまで増加した。

2012年9月9日

APECの会合で、中国の胡錦濤・主席は「尖閣諸島の国有化をやめてほしい」と野田佳彦・首相に伝えた。

中国通にきくと、「国有化をしたら、軍部を抑えられなくなる」という意味が込められていたという。

2012年9月11日

日本政府(野田政権)は、尖閣諸島を国有化した。

この後、中国船による尖閣周辺への侵入が常態化した。

外務省は尖閣国有化について「中国の了承を得た」と判断し、野田首相もそれに乗ったが、大きな誤りであった。

日本政府は「領土問題は存在していない」と主張しているが、国同士が主権を主張して対立があるのに、「ない」と言うのは現実とギャップがある。

(以下は『毎日新聞 2012年8月16日』から抜粋)

2012年8月15日に、尖閣諸島に香港の船が接近し7人が上陸した。
日本側は彼らを逮捕した。
同島に外国人が上陸したのは3度目。前回は2004年だった。

尖閣諸島は、1895年に日本政府が無人島で清国(中国)の支配が及んでいない事を確認し、領土に編入した。

1945年の日本の敗戦後、サンフランシスコ平和条約に基づき、米国の施政下に置かれた。

1972年の沖縄返還に伴い、日本に返還された。

2012年4月に石原都知事が購入の意向を表明した。

(以下は『毎日新聞 2012年8月21日』から抜粋)

東京都庁が尖閣諸島への上陸を、8月17日に申請していた事が分かった。

日本政府は地権者と賃貸借契約を結び、政府関係者以外の上陸を認めてこなかった。
上陸を許可すれば、中国が反発するのは必至である。

(以下は『毎日新聞 2013年1月17日』から抜粋)

鳩山元首相は中国政府の要人との会談で、「尖閣諸島について紛争が起きているのは事実で、互いに認めることが大事」、「早期に外相・首脳会談を行い、答えを見い出すべきだ」と語った。

(以下は『毎日新聞 2013年1月22日』から抜粋)

🔵公明党の山口代表が尖閣棚上げ論

明党の山口代表はテレビ出演で、尖閣諸島について「将来の知恵に任せるのは一つの賢明な判断。しばらく静かにしておくのも大きな知恵だ」と述べた。

尖閣問題は棚上げにすべきとの考えである。

1月15~18日に訪中した鳩山由紀夫・元首相は、尖閣諸島での領土問題の存在を認め、これを中国側は称賛した。

(以下はウェブサイト『植草一秀の知られざる真実』2026年8月14日の記事から抜粋
2026年8月16日に作成)

🔵米国の態度が日中の火種を作った

1972年5月に米国は、沖縄を日本に返還した。

その際に、尖閣諸島の「施政権」を日本に引き渡した。

だが米国は、日本の尖閣諸島の「領有権」は認めなかった。

「施政権」とは管理する権限で、これが日本に引き渡されたから、日本は尖閣諸島の管轄権を保持して現在に至る。

尖閣諸島の領有権は、中国も主張していた。
そこで米国は尖閣諸島の領有権については、日本の立場も中国の立場も取らない中立のスタンスを示して現在に至る。

1972年9月に日本は、中国との国交を正常化した。
『日中共同声明』で国交を回復した。

その際に尖閣諸島の領有権問題も討議されたが、結論を将来に先送りすることで合意した。いわゆる「棚上げ合意」である。

「棚上げ合意」が存在したことは、1979年5月31日付の読売新聞が社説で明記している。


「尖閣諸島・竹島・北方領土」 目次に戻る

「日本の問題の勉強」 トップページに行く

「サイトのトップページ」に行く