細木数子の裏の顔(以下はサイト『日本の黒い霧(国際NGOだいわピュアラブセーフティネット)』の記事
「細木数子さんは笹川グループの配下だった。」から抜粋
2026年8月18日に作成)
細木数子の父・細木之伴は、民政党の院外団のメンバーとして諜報活動を行っていた。
細木之伴は、百軒店に豪華なカフェ「ロマンスクラブ」を経営していた。
細木数子の家には、自民党の大物議員の大野伴睦や、松葉会・会長の藤田卵一郎などが来ていたそうだ。
松葉会・会長の藤田卵一郎は、児玉誉士夫の配下として、鉄や銅の調達や、諜報活動を行っていた。
細木数子は少女の時期、東京成徳女子高校に在学中にミス渋谷に選ばれて、宝塚音楽学校にも合格するほどの美人だった。
しかし父親が亡くなって家計は一気に苦しくなり、宝塚への道は断念した。
細木数子は家計を助けるために、16歳の時に高校を中退して、東京駅のガード下でスタンド・バーのポニーを始めた。
そこが大盛況となり、ポニーは半年で売却した。
その売却金で、今度は新橋のガード下にクラブ潤をオープンした。
そこも大盛況となり、クラブ潤を1年で売却した。
そして細木数子は、若干20歳にして銀座にクラブをオープンし、オーナー・ママとなった。
そこで知り合った、静岡のメガネ会社の御曹司と結婚した。
しかし、わずか3ヵ月後に離婚となった。
その後は銀座のママとして、裏社会で力をつけていった。
1975年に細木数子は、4億円の借金を抱えた島倉千代子の後見人となり、このトラブルを解決した。
解決した代わりに、島倉千代子の興業の利権、レコードの販売権、島倉の所有していた赤坂のマンションを手に入れた。
1983年に45歳の細木は、政財界に影響力のあった学者の安岡正篤と結婚した。
細木は1982年に、独学で編み出した六星占術の本を出版して人気占い師となった。
(※六星占術は独学ではなく、0学占術というもののパクリである。
私は0学占術の本を読み、この事を知った。)
2006年にジャーナリストの溝口敦が、週刊現代で『細木数子 魔女の履歴書』の連載を始めた。
そこには彼女のヤクザ人脈や、女ヤクザ・女帝としての経歴が書かれていた。
細木数子は溝口を潰しにかかったが、その時に動いたヤクザが住吉会の金子幸一・組長と弘道会・司興業の森健司・組長だった。
ヤクザの大物を動かせることからも、細木がいかに闇社会で力があったかが分かる。
細木数子の娘は、「認定NPOフローレンス」の代表理事をする駒崎弘樹と共同で、女性シェルターを運営している。
細木数子の兄は、南青山の住吉会の事務所に出入りしていたそうだ。
細木数子の姉は、安藤組の幹部の志賀日出也と結婚していた。
安藤組は、組長は安藤昇で、児玉誉士夫と笹川良一の配下だった。
細木数子の経歴を見ると、笹川グループと繋がりがあったと分かる。
細木は、ライブドアの騒動の時、ライブドア株の買い煽りを行った。