以下は、ノーム・チョムスキーさんがアメリカの社会保障制度について語ったものです。
日本にも当てはまる話なので、取り上げます。
(以下は『すばらしきアメリカ帝国』ノーム・チョムスキー著から抜粋)
今朝(2004年12月3日)のニューヨーク・タイムズ紙を見てみましょう。
息子ブッシュ大統領の経済諮問委員を務めるグレゴリー・マンキューの記事が載っています。
マンキューは、ハーバード大の経済学部教授で、経済学の頂点にいます。
この記事では、「このままだと支払いを負担できなくなるから、アメリカ政府は社会保障の給付金を減額すべきだ」と警告しています。
この問題では、簡単な解決法があります。
社会保障目的税は、所得が多くなればなるほど負担が少なくなっています。
およそ9万ドルを境にして、それ以上の所得者には課税されません。
これを是正すれば、財政問題など生じません。
社会保障制度の危機を喚き立てる人々は、退職者に対する就労者の低下を指摘します。
しかし、本当に見なければいけないのは、『全人口に対する就労者の割合』なのです。
「ベビーブーマー世代が引退したら、誰が支えるのか?」と問題視されていますが、彼らが20歳になるまでは誰が支えていましたか。
彼らが子供だった頃は、政府の歳入は今よりも少なく、学校やその他の計画への出費が急増していました。
子供だった頃の彼らを支えられたのに、なぜ60歳を超えてからは不可能なのか?
要するに、危機のでっち上げなのです。
(考えてみると、日本では高齢者は増えているが、20歳までの若年層は大幅に減っています。
子供が減っているためその部分の負担は軽減しているはずなのに、それには全く言及されず、高齢者の増加ばかり言われるのはおかしいです。)
社会保障制度は、経営コストが低い政府機関から、経営コストのかさむ民間企業へと移行させられています。
大企業や大銀行の懐に利益が移転されているのです。
この問題には、もっと深い事情もあります。
社会保障制度の基盤にある原則を、権力者は「体制を転覆しかねない」と見ています。
社会保障は、『私たちはお互いに配慮し合い、助けを必要とする人に手を差し伸べる共同の責任がある』という前提に基づいています。
だからこそ、学校に資金を提供したり、保育を確保したりします。
個人としては「あの子供が学校に行ったおかげで得をした」と言えなくても、社会にとって利益になる。
この『助け合い・共同の責任』という考え方は、簡単に支配され管理される人間を作るには不都合なのです。
社会保障制度は、労働運動をはじめとする大衆の社会活動が原動力となって確立されました。
かつてのアメリカでは、「連帯」が当然と見なされていた時期もありました。
「永遠の連帯」が労働者の合言葉だったのです。
1930年代以来、特権階級は懸命にこの原則を崩そうとしてきました。
組合を潰し、人々の交流を阻害し、他人に無関心であるように仕向けたのです。
(2014年7月11日に作成)