(『日本共産党の研究』立花隆著から抜粋)
本書は、『文芸春秋』の1976年新年号から77年12月号まで連載したものに、加筆・訂正したものである。
日本共産党は、1976年の第13回臨時党大会と、77年の第14回党大会で、脱レーニン主義への路線転換が明確になった。
その一方で、宮本顕治がトップになってから続いてきた党勢の拡大が停頓し、76年の衆院選と77年の参院選では大敗した。
「1970年代に民主連合政府を樹立する」との第11回党大会(1970年)での豪語は、夢物語となった。
私が『日本共産党の研究』で論じた事に対し、日本共産党(※以下は日共と略する)は狂気じみた激しい中傷を浴びせてきた。
日共は、「反共者」とのレッテルを相手に貼ると、まともな議論をせずにひたすら罵倒してくる。
「反共者」と同じようなレッテルとして、「反党分子」「裏切り者」「トロツキスト」「権力の手先」といった表現も使う。
私は、反共でも親共でもない。
日共でいつも問題になるのは、「現在の平和革命路線がホンモノなのか」である。
日共が「暴力革命の方針ではありません」と言っても、「いや、あれは羊の皮をかぶった狼だ。いざとなったら暴力革命をやる」と見る日本人が、後をたたない。
自民党や財界や反共陣営だけでなく、一般人にもこの見方の人は少なくない。
サンケイ新聞の世論調査では、「日共が政権をとったら議会制民主主義のルールを守っていくと思うか、それともあらゆる手段で政権を手放さないと思うか」との質問に、次の数字が出た。
政権を手放さない 37%
議会制民主主義のルールを守る 28%
なんともいえない 27%
「日共は暴力革命を狙っていると思うか」との質問には、次の数字が出た。
そんなことはない 52%
狙っている 25%
分からない 23%
実は、左翼陣営では「日共は暴力革命を放棄した」との見方がポピュラーになっている。
だからこそ暴力革命を是とする過激派は、日共を反革命の勢力の1つとして打倒の対象にしている。
だが、マルクス・レーニン主義では、暴力革命の看板を降ろすのは異端である。
例えばマルクスの『共産党宣言』には、こうある。
「共産主義者は、これまでの社会秩序を暴力的に覆してのみ、自分たちの目的が達成できることを、宣言する」
レーニンの『国家と革命』でも、「プロレタリア国家のブルジョア国家との交替は、暴力革命なしにはあり得ない」としている。
レーニンは、マルクスの『哲学の貧困』と『ゴーダ綱領批判』を挙げて、「暴力革命は、マルクスとエンゲルスの学説の根本になっている」とする。
だからマルクス・レーニン主義に立つかぎり、暴力革命の看板を降ろすと「日和見主義」「修正主義」と批判されてしまう。
で、日共はどうかというと、マルクス・レーニン主義を捨てたのである。
1970年の第11回・党大会で、日共は党の規約を改定した。
それまでの規約には、「党はマルクス・レーニン主義を行動の指針とする。マルクス・レーニン主義の原則を日本社会に適用する」とあった。
それを「党はマルクス・レーニン主義を理論的な基礎とする。この理論に基づいて、日本革命を自主的かつ創造的に発展させる」に変更した。
これ以後、日共の行動指針は、マルクス・レーニン主義を自主的に発展させた、「宮本顕治の理論」となった。
「宮本顕治の理論」が指針となったのをよく示すのは、日共の「独習指定の文献」の変遷である。
現在の初級課程には、マルクスとレーニンの著作は無い。
中級の第一課程でも、日共の文献が5点、宮本顕治が5点、不破哲三が1点、野坂参三が1点、マルクスが1点、エンゲルスが1点、レーニンが1点である。
マルクスの『共産党宣言』とレーニンの『国家と革命』は、かつては革命理論の真髄と見なされていたが、現在の日共は独習指定の文献に入れていない。
独習指定の文献は、1968年1月に決定したリストではレーニンは39点あったが、74年8月に決定したリストでは5点まで減った。
つまり、レーニン主義からの離脱を図っているのだ。
1976年の第13回・臨時党大会では、マルクス・レーニン主義という用語を全て捨て去り、「科学的社会主義」との言葉に置きかえる変革が行われた。
日共が捨て去ったもう1つの教義が、「プロレタリア独裁」である。
最近の日共は、プロレタリア独裁を「プロレタリア執権」と言い替えて、独裁制ではなく労働者たちが権力を持つ意味だと説明している。
さらに第13回・党大会では「プロレタリア執権」もやめて、「労働者階級の権力」と言うようになった。
しかしレーニンの『国家と革命』では、「プロレタリア独裁下では民主主義は拡大されるが、同時に抑圧者・搾取者・資本家を我々は抑圧して打ち砕かなければならない」とする。
レーニンは、「資本家が打ち砕かれ、資本家階級が居なくなり国家が消滅した時に、初めて除外例のない民主主義が実現される」と説く。
つまりプロレタリア独裁下では、旧支配層は暴力的に抑圧されるのだ。
マルクスも、「過渡期の国家(社会主義の国家)はプロレタリアートの独裁でしかあり得ない」と言っている。
現在の日共は、政権をとっても民主主義と政治的自由を認めると述べるが、これはレーニン的なプロレタリア独裁の放棄に他ならない。
「暴力革命」と「プロレタリア独裁」は、マルクス・レーニン主義の原理部分と考えられてきたが、日共はそれを捨てた。
だから、日共を修正主義と罵る人たちが出るわけだ。
前述した「日共は羊の皮をかぶった狼」との見方をする人達は、日共が暴力革命やプロレタリア独裁を捨てたのは見かけだけだと言う。
その論拠としては、日共がマルクス・レーニン主義の旗を今でも掲げている点を挙げる。
彼らは「いまは平和革命の路線だが、日共の体質は変わっていない」と言う。
この見方は、なかなか説得力がある。
というのも、日共は党の路線が幾度も変わってきたからだ。
日共は53年の党史のうち、党の路線が誤りであったと否定している期間が14年あり、党が壊滅していた期間が15年あり、通算29年は党がダメだったと評している。
歴代の中央委員長(党のトップ)11名のうち、現在も積極的な評価を受けているのは4名(市川正一、渡辺政之輔、野呂栄太郎、宮本顕治)だけである。
残りの7名は、全員が裏切り、転向、脱落、誤った指導などで非難されている。
評価されている4名も、渡辺政之輔は自殺、市川正一と野呂栄太郎は獄死しており、彼らは委員長としての活動は1年に満たない。
だから長く活動した委員長で評価されているのは、宮本顕治・現委員長ただ1人である。
こうした党だから、トップが替わると今の路線が変更される可能性がある。
日共は、規約と綱領によって規定されているが、現在の綱領は第8回・党大会(1961年)で決められたもので、近いうちに宮本路線に即した新しいものが作られると言われている。
日共の規約は綱領よりも重要だが、党の目的について「人民の民主主義革命とひき続く社会主義革命を経て、共産主義社会を実現すること」とある。
かつては「プロレタリア独裁による」とか「世界革命」との言葉が入っていたが、今は無い。
ちなみに、現在の日共が唱えている「民主連合政府の実現」は、民主主義革命の1段階目にあるものだ。
(2021年10月13日に作成)