西武グループの絶頂(以下はたぶんNHKのテレビ番組からの抜粋
たぶん2006年に放送されたもので、ノートにとり勉強した)
西武グループの土地購入の始まりは軽井沢からだった。
堤康次郎は、軽井沢がまだ全然発展する前に目をつけ、まとまった土地を買い上げた。
土地所有者に対し、「土地を売れば西武の社員に優先的に採用する」と交渉した。
そしてゴルフ場を建設して利益を上げつつ、軽井沢の私有地の3分の2を買収した。
新潟の苗場リゾートは、堤義明が手がけた最初の大型物件だった。
昭37年に開発を始めた。
堤義明は苗場に対し、冬のオリンピックを開催したいと持ちかけた。
他の企業をいっさい入れず、西武で独占的に開発したいと、苗場町に持ちかけた。
苗場はオリンピック開催地に立候補し、開発を進めたが、開催地は札幌に決まった。
結局、オリンピック施設になる予定だった土地は、全て西武グループのリゾート施設になった。
苗場での成功で、堤義明はリゾート開発の第一人者になった。
なお、この開発の資金は、都心の資産を担保にして作った。
ちなみに堤家は、日本の敗戦後に10億円で買ってプリンスホテルを建てたが、その赤坂プリンスホテルの資産価値は現在では800億円だ。
西武グループは、バブル景気の絶調期には純資産が10兆円を超えていた。
会社の乗っ取りを得意とする横井英樹が、西武の株を数%も買い占めたことがあった。
この時は堤家は解決のため、プリンスホテルでフィクサーの児玉誉士夫、小佐野賢治、堤、横井の4人で会談し、堤は株を買い取るため50億円(20~30億円か?)ほど渡した。
買った額よりも安い額で横井は売った。
この秘密会談では、堤から児玉に10億円が貸しつけられた。
安い土地を担保にしたもので、お金は返されず、実質的には仲介手数料だった。
堤義明は政治家ともつながり、政治家の秘書を西武で雇った事にしてお金を渡していた。
大物議員に対しては、西武の社員を動員して選挙協力もした。
西武グループは、バブル期には世界一の資産家と言われ、日本全国の自治体が西武の力を借りて活性化を図ろうと話を持ちかけた。
バブル崩壊後も、西武には銀行も特別扱いを続けて、カネを貸し続けた。
そのカネで採算の取れない事業(物件)がたくさん作られてしまった。
(2025年12月12日に作成)